181:その頃――
「何故奴らは北上してこぬのだ!!」
苛立たし気にグラスを床へ投げつける男がいた。
あれから半年以上経過したが「南の同胞がオルフォンス王国に混乱をもたらし」と言った奴らの言葉を鵜呑みにして待ったが、一向に王国が混乱する様子はない。
「バルファルク様。やはり奴らと手を組んだのが……」
「だまれローズメイン! わたしを無能呼ばわりする気か? そもそもお前たちは、このわたしがいなければ生きていないのだぞ」
ローズメイン侯爵――いや元侯爵が川へ飛び込み、命からがら岸へ上がった時。
彼の目の前には一体の蛮族が立っていた。
死んだ――と思ったが生きていて、蛮族に担がれ平原を北に向け走っていたのだ。
人目につかない森を、何日も走り続けた。モンスターに襲われることもあったが、蛮族が一撃で粉砕。
蛮族とモンスターは共存していないのかと、バカ正直な感想を頭に浮かべたほどだった。
考えてみれば、モンスターとて種が違えば敵対する。同種であっても縄張り争いをすることだってある。
蛮族はモンスターを使役するのであって、仲良く共存しているわけではなかった。
ローズメインがバルファルクと合流した時には、妻と娘、それから故シュパンベルク元伯爵の妻と息子もそこにいた。事前にディローリア帝国の国境にある別荘へ行かせていたのだが、まさかそのまま逃避行になるとは思わなかった。
バルファルクが「蛮族を味方につけた」と言った時には耳を疑ったが、実際、蛮族を従えていたのを見ている。
これなら国を乗っ取れると、そう思ったのだ。
だが、クーデターは失敗した。
国内の貴族は、国王と王弟の仲を疑っていなかったはず。バルファルクは三十年以上も、仲のよい兄弟を演じてきたのだ。
いったいどこでバレたのか。
本当なら今頃、自分は王国の宰相にのし上がっていたはず。
それがどうだ。
爵位は失い、国には帰れず、蛮族に囲まれた暮らしをしている。
地位も権力も富も、全て失った。
だが、ここで諦める気にはならない。
「バルファルク様。一度考えを変えてみてはいかがでしょう?」
「変えろだと? 何を変えろというのだ!?」
「オルフォンス王国のことはこの際一度忘れましょう。より狙いやすい地位を仕留めるのです」
「より狙いやすい? どういうことだ。このわたしにオルフォンスを忘れさせ、新たになんの地位へ就けと!?」
オルフォンス王国の国王よりも、その座に就くのは容易いだろう。
なんせその席は既に空白なのだし、更に国内はその座を巡って争い、混乱している。
「バルフォルク様。まずは皇帝におなりください」
「なに?」
皇帝――その言葉を聞いて、バルファルクの表情が変わった。
一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、次の瞬間には声を出して笑い出す。
「なるほど。ディローリア帝国か。確かにあそこは今、帝座は空席。そうか、このわたしのために空けられていたのか」
「その通りでございます。帝国が混乱している今が好機。皇帝の座を、どうぞ手中にお納めください」
これで自分も帝国宰相の地位に就ける。蛮族に囲まれた暮らしともおさらばだ。
そうしなければ娘に――クリスティーナに何をされるかわからない。
ローズメインにとって蛮族も娘のクリスティーナも似たようなものであった。
「あなた、なかなか教えるのは上手いじゃない。気に入ったわ、私の奴隷にしてあげる」
「お前がボクの奴隷になるなら認めてやる」
「あなたが私の奴隷よ!」
「お前だ!」
オルフォンス王国とディローリア帝国の国境は、その半分が山脈によって遮られていた。
更に山脈はディローリア帝国とその北にあるエゲルト王国の間にも伸びている。
バルファルクやその部下たちが潜伏しているのは、帝国とエゲルト王国とを隔てる山脈。帝国がエゲルトに攻め入るときの軍事拠点とするべく築いた砦だった。
砦は百年も前に放置されたもの。もぬけの殻だったこともあって占拠するのに労力は必要なかった。
そんな砦の一室で、クリスティーナは青銅色の肌を持つ少年と言い争っていた。その脇には青ざめた顔のランドファスの姿もある。
この光景はいつものことで、クリスティーナと少年がヒートアップすることはない。
クリスティーナは今、少年から魔法を学んでいた。意外なことに才能があったのだ、この少女には。
「わかった。お前は奴隷ではなく、ボクの番にしてやってもいい」
「つがい? 何よ、番って」
「番っていうのは……えぇっと……」
少年は少し考えた後「ボクの子を産む女のことだ」と説明。
するとクリスティーナは頬を含まらせ「お断りよ」と答えた。
「私はね、ディルムット様の赤ちゃんを産むの!」
「ディルムット? 誰だ、それは」
「ディルムット様はディルムット様よ。私の奴隷になるって約束したのよ」
「な、なんだと!?」
嘘だ。そんな約束していないし、むしろめちゃくちゃ嫌われているじゃないか。
部屋の隅で縮こまるランドファスは、口にはしないもののそう思っていた。
「お前の奴隷に、ディルムットという奴が……。だからそいつの子を産むっていうのか!?」
「そうよ。私に赤ちゃんを産んで欲しいっていうなら、あんたも奴隷になりなさい。そうしたら二番目ぐらいには考えてあげるわ、エフターナ」
エフターナと呼ばれた少年はしばらく考えた。
本来、人間が自分たち蛮族の奴隷になるべきだ。だが自分が奴隷にならなければ、番にならないという。
エフターナはクリスティーナを気に入っている。
同族では決して存在しない白い肌に金色に輝く髪を持つ存在。華奢でありながら気は強く、暴力的でありながらその力は弱い。
力の弱さを芯の強さで補う、高潔な女だ――とエフターナは思っている。
実はそう考えている蛮族の子は少なくはなく、クリスティーナの前には逆ハールートのレールが敷かれようとしていた。
奪われてたまるか。
エフターナはその一心で、ついに口にした。
「良いだろう。ボクがお前の奴隷になってやる」
――と。
(ひいいいぃぃぃぃぃ! ばばばば、ば、蛮族が人間の、ど、奴隷になった!?)
ランドファスの理解が追い付かなくなった瞬間だった。




