105:災厄が訪れた。
「ほんとに……気づかなくてすみません」
「そ、そんな。いいんです、お気になさらないでください。それだけ、ダイエットが成功したってことだもの。私、嬉しいです」
うぅ、なんて健気なんだ。普通なら「どうして気付けなかったの!? 婚約破棄よ!」ってルートだろうに。
やっぱり優しい子だ。
よっぱらい貴族を梁から解放し、公爵に睨まれた二人は悲鳴を上げて庭園から出て行った。
あの分だと今年も婚期を逃すことになったな。いや、死ぬまで独身貴族だろう。
貴族だけに。ぷぷっ。
そうして会場へと戻ると俺たちに、いや俺にとっての災厄が訪れた。
「見つけましたわ、ディルムット様」
「ひっ」
金髪赤目……クリスティーナ嬢!?
出禁はやっぱり解除されていたのか。
「ディルムット様! 私と結婚なさい!!」
「……は?」
俺がエヴァンゼリン嬢と婚約したこと、知らないのか?
確かに、それが決まる直前に王都を出禁になってはいるけれど。さすがに父親から聞いているだろ?
「あの、クリスティーナ嬢。俺は」
「えぇ、わかるわ。私と結婚できることが嬉しいのでしょう?」
言ってねーし。
「私のように美しい令嬢は、そうそういな……。ディ、ディルムット様。そこの馴れ馴れしい女は、誰?」
俺の隣できゅっと袖を掴み、不安そうな顔をしている「馴れ馴れしい女」とはもちろん。
「婚約者のエヴァンゼリン・フォン・ハルテリウス公爵令嬢です」
「エヴァン、ゼリ……は?」
「ですから、エヴァンゼリン公爵令嬢ですよ」
クリスティーナ嬢は首を傾げ、エヴァンゼリン嬢を上から下、下から上へと見つめる。
それから、ヘラッと笑った。
「ディルムット様。ご冗談がお上手ですわね。エヴァンゼリン嬢がこんな子なわけないわ。彼女はデブなのよ。ぶくぶく醜く太った子ブタのような令嬢なんですもの」
……今、俺の背後で殺気を感じるのは気のせいだろうか。
振り向きたくない。
そう思うのと同時に興味もあった。
そっと。そっと振り向く。
そこには口元だけ笑って目が笑っていない三人、公爵様、エヴァンゼリン嬢のお父上君、エーリヒ様の三人が立っていた。
クリスティーナ嬢、死んだな。
それにしても、出禁の影響なのかな?
「ディルムット様。子豚公爵令嬢なんかより、私の方が魅力的でしょう? 婚約破棄をなさって、私と」
「クリスティーナ嬢。人というのは数年で体形を変えることが可能なんですよ。あなただってご存じでしょう? この五年の間に、少し太られましたよね?」
社交の場から遠ざかっていたからなのか、とにかく、少し太っていた。
まぁまだ子供だし、気にするほどでもないだろうけど。
が、本人は気にしているようだ。
俺が言った瞬間、その顔がタコのように茹で上がった。
さらに。
「そういえば、ドレスがピチピチですわね」
「確かに以前よりふっくらしたような?」
「王都を出禁になって、社交の場にも出れなくなったから気にする必要もなかったのでしょう」
「子供同士の茶会にも出れなくなっていらっしゃったようですし」
「ふふ。さぞかし自堕落な生活をご満喫なさったのでしょうね」
人を見下すことに快楽を覚える貴族たちが、ここぞとばかり口を開く。
それを耳にしてクリスティーナ嬢の顔が、ますます、いや少し青くなったか。
「こ、このぐらい、すぐに痩せれますわ! 結婚に支障はありませんっ」
「やめるんだクリスティーナ!」
あ、幸薄そうな兄登場か。
あれから三年経って、エーリヒ様フィリクス様ほどではないが、イケメンに成長してる。
ただ、薄幸度合いは増しているように見えた。
「お前、誰に向かってそんな口を利いているのかわかっているのか!?」
「お兄様こそ、誰に向かって言っていますの?」
「あのご令嬢はエヴァンゼリン公爵令嬢なのだぞ!」
「は? お兄様こそ何を仰ってるの」
あ、そういえばクリスティーナ嬢、発音がちゃんとしたんだな。
まぁさすがに十歳だし、そうだよなぁ。
「クリスティーナ嬢。あなたは周りをしっかり見るべきだ」
「ディルムット様。見ていますわ、あなたのことを」
「よく見ましょう。俺たちの後ろにいらっしゃるお三方が誰なのか、わかりませんか?」
そう言ってエヴァンゼリン嬢の手を引き、横に二歩ずれる。
クリスティーナ嬢の視界を塞いでいた俺たちが避けると、にこやか()な表情を浮かべる男三人がよく見えるだろう。
「……宰相? エーリヒ様……ん?」
クリスティーナ嬢が三人と、そしてエヴァンゼリン嬢を見比べる。
痩せたことでエヴァンゼリン嬢は、エーリヒ様とますます兄妹らしく見えるようになった。
「銀髪で赤い瞳の高貴な令嬢が、エヴァンゼリン嬢以外にいるでしょうか?」
「……へ。で、でも……」
「もう一度言います。この方はエヴァンゼリン・フォン・ハルテリウス公爵令嬢。俺の妻になる方です」
「つ、妻っ。はぅん」
え、なんでエヴァンゼリン嬢がダメージ食らってるの!?
倒れそうになるのを必死に支え、それからクリスティーナ嬢を改めてみた。
わなわなと震える令嬢。
「エヴァンゼリン嬢、この五年間でダイエットをなさっていたの?」
「もしかしてディルムット様のために?」
「なんていじらしい令嬢かしら」
「お二人は長年、手紙で愛を育んでいらっしゃったのね」
「ハルテリウス公爵家はみなさま容姿に優れたお方ばかりでしたが、エヴァンゼリン嬢もとてもお美しいわ」
恋話大好き令嬢方が小鳥のようにさえずる。
それを耳にして、クリスティーナ嬢はなお一層震えた。
「申し訳ありません、クリスティーナ嬢。あなたの好意は俺にとって不快でしかありませんでした。一方的に押し付ける好意なんて、愛とは呼べません」
彼女に近づき、その耳元で囁く。
「あなたのように心の醜い方は、嫌いなんです」
「みに、くい……私が!?」
「はい。とぉーっても」
これでもかと言うほど満面の笑みを彼女へと向けた。
それから踵を返し、エヴァンゼリン嬢の元へと戻る。
「エヴァンゼリン嬢。彼女の言葉を鵜呑みにしてはいけません」
「こ、言葉?」
「君は今も昔も、とても愛らしいのですから。内面も、そして外見だってそうです。初めて会った五年前も、君はかわいらしい女の子でしたよ」
「かわ、かわ……はぅん」
「え、ちょ、また倒れるの!?」
慌てて抱きとめると、何故か周囲から黄色い歓声が湧きおこった。
え、何? どういうこと?
驚いて周囲に視線を向けると、クリスティーナ嬢が走って会場から逃げ出す姿が見えた。




