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背信 武と悠一  作者: マーチン中井
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その五

 俺が大学4年の秋、ウチに真由美が行儀見習い兼お手伝いとして住み込む事となった。悠一の父慎太郎さんの紹介で、遠縁の娘だと言う。紀州の、さる神社の禰宜の家の出だったが、通学するのに余りに不便な実家を見かねて慎太郎さんが世話を焼いた訳だ。

 真由美は透き通るような白い肌の控えめな性格の女だった。その年、俺の大学の文学部に入学していた。古典を勉強したいとのことだった。下宿代代わりに母の手伝いをすると言う事で話は決まった。元々、慎太郎さんは母芙美子の所作を高く評価していて、父、博などは

「おまえ、俺との勝負にかこつけて芙美子に会いに来ているんじゃないだろうな」

などと揶揄する程、母のファンだったんだ。

悠一を儲けた後、妻を亡くしてひとり身になっていた慎太郎さんは、逆に、父に

「芙美子さんは、おまえにゃもったいない」などと言い返して居たものだ。


 お袋は俺に真由美の勉強を見てやれなどと言う。俺は経済だったし、国文なんて教えられるわけもないんだが、お袋にすれば、同じ学校の4年生が一年生に教えられない筈はないと言うぐらいの認識しかない。さいわい、まだまだ教養課程だったから、俺は自分の得意な教科を選んで胡麻化していた。それでも真面目に質問などされると冷や汗ものだった。遊び九割で過ごして来た大学生活だもの。勉強の中身もさることながら、真由美と、どう接すればよいのかと言う戸惑いもあった。

 異性と言えば、俺の遊び相手は花柳界や風俗の玄人筋がほとんどだったから、堅気の家庭の女性とは縁がなかった。18の娘と身近に接して、少しばかり窮屈な思いをした。下ネタを肴に酒を飲むと言う訳には行かない。だからと言って嫌だった訳じゃない。母親を筆頭に海千山千の女性ばかりに囲まれて育って来た俺には真由美は、多分、実際以上に清純に見えた。いっぱしの遊び人を気取っていた割に、俺は普通の男女関係を築く術に劣っていたってところだろう。佳奈に淡い恋心を抱いた中学時代から幾らも進歩しちゃいなかった訳だ。


 俺には俊英の友がいる。某大医学部首席をひた走る悠一に当然のように言った。

「もとはと言えば、おまえの親父さんのお節介が始まりなんだから、俺を助けろ」

苦笑しながらも悠一は月に二、三度通って来てくれるようになった。真由美との二人だけの、ぎこちない時間と空間は、忽ち、華やかな小サロンになった。悠一を交えただけで、俺と真由美との仲も一気になごやかになり華やいだ。距離も縮んだ。何時か神職に就く気でいる理屈っぽい文学少女の質問に辟易していた身には、軽やかに応えていく悠一が誇らしくて、

(俺は、こんな、すごい親友を持っているんだぞ)

などと言われのない嬉しさが込み上げて来たものだ。悠一も真由美が気に入ったようで、それも、又、俺には得意だった。

「最近は、親しい女と言えばリケジョばかりでね。目先が変わって愉しいわ」

世話を掛ける一方だった俺が、親友に喜んでもらえたのだから。


 大学を卒業した俺は、中堅の総合商社に就職した。悠一も学業が忙しく、お互い時間を合わせるのが難しくなった。それでも、連絡を取り合って、月に一度は真由美を交えて食事など共にした。比較的時間に余裕のある真由美は俺や悠一の誘いに、それぞれ応じていたようだ。この頃の俺は、真由美に学生時代の友達関係以上の感情はなく、真由美と悠一の二人の時の様子などを聞くのが楽しみですらあった。

「同じですね」

「うん? なにが? 」

「悠一さんも貴方とのことを聞くんです。食事中、半分は武さんの話題よ。貴方たち、幼い頃からの親友でしょ。私なんかより、お互いのこと詳しいはずでしょ。なんだか不思議な気がするのよね」


このとき、俺の心を、得体の知れないザワメキみたいなものがよぎった。初めて経験した言いようのない穏やかでない感情。いや、昔、これに似た感覚にとらわれたときがあったような気もした。このときは思い出せなかったが、あとになって気がついた。佳奈や淳平。彼らが悠一と絡んだ時に感じた或る種の不安。

アレは軽い嫉妬だったと思い至った。


しかし、それが嫉妬だとして、一体、誰に向けられたものだったのかは分からなかった。しかし、今回は分かる。

俺は真由美の言葉の端々から悠一の真由美に対する感情を探っているのではないか。もしかしたら悠一も同じような気持ちでいるのかも知れない。


俺は、真由美を異性として捉え始めている感覚をはっきりと認識した。そして、同時に、尊敬一辺倒だった親友の人と成りに、自分が何処かで、嫉妬していたのだというおぞましい事実を明瞭に自覚した瞬間でもあった。


(勝てるわけがない)

嫉妬するなどおこがましい。卑屈な矮小感が俺を覆った。しかし……、俺は思い直した。

相手は、並の人間ではないのだ。長い間、誇りにしてきた友ではないか。嫉妬などしてはならない。一瞬生じた敵愾心を俺は一蹴した。


「で、真由美はどうなんだ? 」

「どうって、何が……? 」

「その、……あのさ、俺と悠一、真由美はどちらといる時が楽しい? 」

「あら、そんな事……。三人でいるときが一番楽しいわ」

真由美は困ったような表情を浮かべた。答えになっちゃいない。俺は嘘だと即座に思った。話題豊富な並外れた俊英が、真由美を退屈させるはずがないと確信した。真由美精一杯の気遣いがやるせなかった。


「応援してやろうか!? 」

「えっ、……何を…… ? 」

「真由美、悠一が好きなんだろう!? 」


 今、思えば、悲しく惨めな自分を認めたくない一心だったのだろう。この時、敵わぬまでも堂々と渡り合うべきだったかも知れない。あの時、自分に芽生えた感情に、もう少し正直でいたら、その後の展開も違ったものになったかも知れない。のちに、俺は、それを思い知らされることになる。



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