その六
たまに、悠一と二人きりで飲むときはホテルのバーが多かった。それも、駅に近い鉄道系などのミドルクラス。急用が入ったり実習が伸びたり、駆け出しの商社マンと医学生が時間を合わせるのは結構、難儀だったんだ。お互い、待ち合わせ時間に少々遅れても、気軽に時間を潰せる格好の場所だった。夜の街に繰り出すにも、都合が良かった。敷居が低いわりに、意外とバーテンも洗練されていて、すぐ馴染みになった。バーテン相手に時間を潰している内に酔いが回ってしまうこともよくあった。とはいえ、それは俺のことで、悠一が酔っ払っていたなんてことはなかったな。
その日も実習で遅れた悠一が来たときには俺はかなり出来上がっていた。酔いは彼我の差を縮めてくれる。大人になるに連れ、理性を鈍らせなければ、畏敬する友と対等に渡り合えなくなりつつあったって事かもしれない。普段、意識はしていなくても、心の奥底に、畏友に対するちっぽけな負けん気が育ちつつあった。今、思えば、少年期思春期の純粋な憧れの存在を、自分レベルと同等に感じたいという願望が湧き始めていたのだと思う。社会人になって、益々広がる友との差を昇華しきれない焦りもあった。
「お~い、いつものやつ! 」
俺はバーテンに呼びかける。遅れたほうがウヰスキーの水割りかストレートを一気飲みする。二人の決め事。駆けつけ三杯というやつ。
「名医殿にツーフィンガーで! 」
カウンターにストレートグラスが三つ並ぶ。相手は悠一。こんなもの屁でもない。苦笑いを浮かべながらも忽ち飲み干したあと、チェイサーを、喉を鳴らして流し込む。喉仏が上下に振れる。男らしさが際立つ瞬間だ。
「ああ旨い」
めっきり秋めいてきた頃だったが、その日は夏日近い陽気だった。悠一の白く太い首にウッスラ汗が滲んでいた。近づいてきたホールの係を制して、テーパードジャケットをカウンター椅子の背凭れに脱ぎ掛け、悠一はニコッと俺に微笑みかけた。
(ああ、やっぱり、敵わない…… )
実の弟の様に、いや、それ以上に、保護し導いてくれた悠一は、昔も今も変わらない。おおらかな瞳で俺を見ていた。ここ暫く、俺の内に湧き出ていたヤッカミめいた敵愾心が自分ながら情けなく思えた。このときは未だ冷静だったのだと思う。
俺は何気ない風を装いながら、悠一に尋ねてみた。
「おまえ、真由美のこと、どう思う? 」
「なんだよ、いきなり! 」
「だからさ、悠一。おまえ、真由美を異性として見たことがあるかって訊いてるの! 」
俺は横の悠一を窺うように、首を振って見上げた。悠一は澄んだ瞳で、暫く俺の両目を見返していた。
「ないね…… 」
やがて、悠一は、プイと視線を逸らせて正面を向いた。横顔に柔らかな笑みを浮かべていた。
「村上の娘っていう感覚しか持っちゃいない。言わば、お前の妹って感じだな。俺にとっても同じ。妙な気持ちは湧きようがない」
普段なら、それで話は終わり。だが酔いも手伝って、俺は妙に粘付いた。
「村上の娘?! それを言うなら松本の娘だろ。お前んちの身内を俺んちで預かっているわけだろ」
「フン…… 、なんだ、迷惑なのか? 」
「そんな、さもしいことを言ってるんじゃない。木で鼻を括ったような、突き放した言い方じゃ真由美が可愛そうだって言ってるんだ」
「妹のように感じているって言ってるだろう。それで不足か…… 」
妙な絡み方をする俺に、悠一も少しばかり憮然とした表情を浮かべた。
「真由美は、お前のことが好きなんだと思う」
俺は直入に切り込んだ。悠一の表情は憮然から柔和な笑みに変わった。
「好きって、どういう意味だ? 」
「兄貴分という感情以上のものがあるってことさ」
「恋愛感情ってことか? 」
「ま、…… そう言うことだ…… 」
「真由美が、そう言う類のことを口にしたのか? 」
「いや…… 、直接言った訳じゃない。俺の勘だ! 」
悠一は、柔らかい眼差しながら、しばらく俺を凝視していたが、やがて、適度な距離を保って待機しているバーテンダーに目を移した。
「ロックでトリプル。シラフでする会話じゃないよな…… 」
バーテンは、そつのない会釈で仕事にかかる。ハイエンドなホテルのバーのような、繊細なクリスタルではない。厚手の何の変哲もないオールドファッションのソーダグラス。それでも流石に、氷はサイズに合わせた見事な一割。90CCは溢れんばかりになる。
琥珀がグラスの内で緩やかに対流する。悠一は、笑みを浮かべながら、暫し、目で楽しんだあと、例によって、一息で呷った。
「お前が、そう言うんなら、そうなんだろう…… 」
飲み干したあと、悠一は前を向いたまま、そう呟いた。
「うん…… !? 」
切り込んだつもりだった俺は面食らって、間抜けな声を上げた。
「俺は、な、昔から、お前の勘は信用することにしているんだ」
「え? そうだったっけ? 」
「俺は人間関係には至って鈍感なんだ。というより、人のことにあまり関心がないんだ。その点お前は違う。ひとの本音を読み取れる繊細さを持っている」
悠一の言葉に俺は戸惑った。子供の頃から、悠一の的確な指摘を指針に生きてきた俺にとって、師匠の方から、俺の評価を聞くことは殆ど記憶になかった。
「お前は人間が好きなんだ。別け隔てなく他人を理解しようとする優しさに満ちている。バーやお座敷でも、よく前さばきしてくれたじゃないか。おかげで楽しい学生時代を送れたよ。…… 親父さん譲りの村上の血だな…… 」
「そうかあ…… ? …… 」
いついかなる機会でも場の中心は悠一だった。みんなの関心は常に悠一で、俺へのアプローチは悠一へ近づくための依頼がほとんどだった。俺は悠一のマネージャーを自認して、それはそれで誇らしかったものだ。
「武! 俺がお前を唯一無二の親友としている最大の理由。お前はわかっているか? 」
(えっ? さて…… なんだろう。幼馴染で、頼りない弟分だから、可愛がってくれている…… 。ま、そんなところか…… )
「お前には嘘がない。嘘を付くという人間本来の質が欠落しているんだ」
「ええ? そんな事はないだろう。俺だってしょっちゅう誤魔化し誤魔化し、生きてるよ」
「お前の嘘なんか5分も持たない。邪気がないのさ。嘘付いてますと顔で言いながら付く嘘なんか嘘とも言えない。生来、お前は嘘のつけない質なのさ」
「俺もなにか飲むわ! 」
柔らかい何かがいい。悠一に茶化した風は見られない。つまり、褒められている。畏友に持ち上げられるのは、嬉しい反面、多少の緊張も強いられる。幸い此処は、それなりのバーだ。
「アレキサンダーだろ」
悠一には俺の好みはお見通し。
「武! お前、アレキサンダーのカクテル言葉知っているか? 」
「カクテル言葉? なんだ? それ? 」
「花には花言葉。カクテルにも固有のカクテル言葉があるのさ」
「へ~、そうなんだ? 」
「ちなみに、アレキサンダーのカクテル言葉は…… 『完全無欠』…… お前の事だ」
翌朝、俺はホテルのベッドで目覚めた。昨晩は、例によって、悠一の巧みな会話で盛り上がって、しこたま飲んだ。食事も、飲みながらバーで済ませたように思う。結局、俺は沈没した。と言ったところだろう。
横で、椅子に腰掛けながら新聞に目を通しているガウン姿の悠一に気がついた。バーテンにでも言ってツインを用意させたのだろう。
「イテッ! 」
起き上がろうとしたが頭がガンガンした。胸悪くもある。
「おうっ、起きたか。無理すんな」
甘いカクテルを立て続けに飲んで悪酔いしたはずだ。何度も嘔吐した記憶もある。いつものことだが又、悠一の世話になったようだ。悠一は冷蔵庫からミネラルを取り出し、コップに注いで手渡してくれた。
「会社の方は手配しておいた。放って置くのは気が引けるが、俺は実習があるんで先に出る。済まない。武は、酔いが覚めるまでゆっくりしていればいい」
悠一は手早く身支度を整えたあと、枕元まで戻ってきて、おれの顔を覗き込みながら、こう言った。
「武の助言を入れることにする。真由美のことは俺なりに考える。俺に任せてくれ。いいな! 」
悠一が出て行ったあと、俺は体調の不快さとは別の、ほろ苦い感覚に包まれて天井を見上げていた。




