美は流れ、傷跡だけ
「アイ、のことだ」
黄はアイという言葉の間に間をあけた。イワはうなずいた。「おまえの言いたいことはわかってる」と。疑わし気な黄に「おまえはアイの正体をおれに話そうとしてるんだろ」
「ああ!」
「さて、俺の推理をしよう。アイは、きっと高貴な人間だろ?」
「おまえ……」
黄は少し見直したという顔をした。もちろんあてずっぽうだ。
「そうだ、アイ、いやアイ様は、現皇太子妃のお子だ」
黄の言葉にイワはぶっとんだ。予想外過ぎたのだ。
「私は、妃殿下にアイ様を探すように命を受けた」
「それがどうして、あんな牢獄に?」
イワは珍しくまともな相槌をうつ。黄は言いよどんだ。
黄は周りに人がいるかもしれないと思ったのか、「ここでは」といった。イワはここらの住人がこの話を聞いても理解できないし、何もできないとは思ったが、まあ飲み屋を我慢して、この変わった話を聞こうという気にはなった。イワはそのとき、なにか頭にちらつくものがあったのだ。
イワの劇長室で黄との話をつづけた。黄のはなしは長くつまらなかった。大部分が皇太子妃と自分の話であったからだ。
黄はもともと皇太子妃ヒスギの家に仕えていたらしい。ヒスギには恋人がおり、その人間と婚約をしていたが、まあ横恋慕した皇太子が妃に迎えてしまった。
そのときヒスギはまだ側妃という立場だった。しかししだいに寵愛が深くなった。
「そしてヒスギ様の妊娠が分かった」
「ふうん、皇太子の子だろ?」
黄はゆっくり浅い息を繰り返した。その緊張のまま「それが違う」と掠れた声で言った。
「皇太子殿下はヒスギ様と共寝するだけで、一度も行為をされていなかった。殿下は気に病んでいらした、無理に妃にしたことを、それほど愛しておられた。だから心がほぐれるのをまっていらしたのだ」
「ははは、間抜けだな」
イワは明るく返したが、黄は信じられないものを見る視線をした。
「そしてその子供は誰からも恨まれ、真っ黒な髪として生まれた。その子供は私が、ある家に預けた。黒髪を殺すと自分が黒髪になる、殺す人間はいない」
「ふん」
「ヒスギ様はそれをずっとくやんでいらした。だから私にアイと名付けた自分の子を探すようにお命じになられたのだ。殿下とヒスギ様の間にはもうお子が三人いる。私を牢獄に繋いだのは皇太子殿下なのだろう。今更皇太子はアイ様に出てきてほしいと思っていない」
「推測か」
ちろりと問いかけると、「それが正解だろう」と投げやりに返された。
イワは人間の細やかな愛情やら執着やら憎悪は理解できない。全員の行動の矛盾が最低の纏まりであると思ったが、わりとそういうものかと思った。アイが黒髪に生まれたということは、この男も、今アイを探している皇太子妃もアイを憎んだ。
「なんだその女はアイをいまさら捕まえて何をする気なんだ。殺すつもりなのか?」
「はっ……? 理解できないのか? ヒスギ様は黒髪を皇族として待遇されたいと考えられているのだ。かわいそうに後悔されておられる」
「ふうん。でも皇太子は嫌なんだろ?」
「ああ」
「なんで俺にそんな話を?」
「おまえなら……はあ、なにか案を考えてくれるかと」
意外な高評価にイワは歯を見せて笑った。そしてふうと頭の底にある考えが、広がる。
「なあ、俺にちょっと時間をくれはしないか」
まだまとまってはいないが、少し面白い考えがうかんだ。
アイが口を血まみれにして劇団に帰ってきた。噛み切った場所は知れていたので、口を洗浄させた。
「よし、いけるか」
いつもの席に座り改めて聞いてみた。アイの身なりはかなり変であった。首元のひらひらに、太ももまである靴下。
「分からないんです……」
アイの言葉に苦しみを読み取って、イワはちょっと頬杖をついた。
「お前何もつかめなかったのか?」
無言でアイはうつむく。ふとそこに自尊の傷つきがあるのを見とがめた。
こいつは……。役者として恥じている。よくもまあそこまで思い上がったものだ。しかし、なんだ? イワは妙に胸がざわつくのに、ぐうっと尻の一を変えた。
「お前、どうして王女が嫌いなんだ」
「王女は短絡的で、聖人を殺します。俺なら、絶対に殺しません。どんなことがあっても」
「殺しかけただろ、お前」
思わずイワは自分を指さした。
「あれは……。そんな、殺そうとしたわけじゃ」
暗い顔をするので「まあいい」とイワは言葉を制した。
「お前、耽美嫌いだろ」
「たんび?」
「きっもいブサイクが美しいものを過剰評価するってことだ」
無言のアイにイワはうんうんとうなずいて「まあ俺もきらいだが一定数好きなやつがいるんだよ」と笑った。
「これは理不尽なんだよ。この聖人こそが物語もっとも理不尽だ。こいつは美しいがゆえに醜いものを許さない、拒絶する。
傲慢だと思わないか。おまえは神なのか」
ふとアイは黙り、何度か瞬きして驚いた様子を見せた。それからじっと言葉を口の中で転がし、静かに「劇長は……」といったきり黙った。
「なんだ」
「いえ、あの劇長。もし俺が素晴らしい演技を見せたら、話したいことがあります」
「ああなんでもいい」
イワはあいまいにうなずいた。




