狂気は流れ、澄める眸
話がまとまり、イワはすぐに劇団に戻った。子供たちは最近久しくまともな食事を食べていないので、がりがりになっていた。イワは脱獄者からくすねてきた果物をいくつかやり、椅子に座り何やら考え出した。考え事はただの金勘定といえばそうであるが、複雑さもあった。
浮いたお金があったので、その金でちょっとさきの小辻に外食に出た。
おなか一杯食べて、一番下の硬貨2枚である。ただも同然だった。
「おなかへりました」
トワレに言われて、イワはおなかいっぱいなので実感がわかず「まあ我慢しろ」といった。そこでアイを呼び出し、「おまえに仕事がある」と切り出した。
「はい」
続きを期待しているようであったが、イワはそれ以上いうこともないで、あっちへ行けを言った。
次の日に、イワは脱獄者にアイの身柄を渡した。それと引き換えに下から4番目の硬貨を3枚もらった。
一人の劇団員と引き換えに、その日は劇団員全員に食事がいきわたり、イワの父親も正規の値段で花を買い、ついでに強姦したりしていた。
仕事の内容は、実に簡単だった。脱獄者はちょっと前から、牢獄に入ってくれるものを探していたらしい。というのも牢獄で、脱獄者はある妄想を抱いたらしい。脱獄者と同房のものが政府の高官で、皇家のある秘密を握っている、というものだ。そいつの脱獄を手伝い、「ゆすり」に一枚かませてもらうとう算段を妄想の中でしたらしい。
そして必要なのが、体重の軽いもの、という条件であった。アイは合格して、今は牢獄にいる。
そのお金は二日くらいで、なにかに消えてしまった。ジェイは街中うろつき倒してついには、赤ん坊をがじがじ噛みながらかえってきたりした。その間、トワレに演技指導したりして大変だった。
そして1か月たったとき、なんと脱獄に成功したらしかった。
景楽街はざわざわとしだし、街中のものが、なにかもらえるのかなあと思いながら入り口に寄り集まり、その脱獄者を歓迎した。
脱獄者は黄色い服を着ていた。その色鮮やかさは大変なもので、そしてその横には影法師、死霊としか思えない黒い影があった。黄色い服よりも皆、影は何かであるかで盛り上がった。「あっ、ありゃあ、死神がついとるわい」「死神じゃあない、多分地面の黒い染みだろうて。この前そこで女の子がしんどった」「おお、死霊様、おおおおお」
けれど黒い影はすぐに動いて、「ありゃあ人間だよ」と誰かがいった。
イワよりも先に、ジェイがうれし気に、そのズタボロのしっぽを無理やりピンとさせて、走り出した。
イワが様子をうかがっていると、ジェイは慣れた匂いに喜び勇んで、黒い影にガブリがぶりと噛みつき歓迎の意を表明していた。黒い影はどうやら黄色い服の男に支えられているようで、黄色い服が、ジェイの喜んで丸出しになっていた歯めがけてさっと腕を払った。
ジェイははらわれ、しばしピクリとも動かなかった。というのもジェイは今まで、そんな繊細な暴力を受けたことがなかったのだった。邪魔であれば、急所を蹴られるか、顔を殴られる。しかしそのように上品にはらわれたのは初めての経験であったのだ。イワはそう推測した。
イワはのんびり歩いて、「アイ、お帰り」といった。アイはずたぼろで顔は真っ黒だった。イワもよく知っているが、殴られ過ぎると顔は真っ黒になるのだ。しかしその瑠璃の瞳は晴れ過ぎた目の奥に光となって見えた。その目は憎しみを通り越した虚無、空虚の中の絶望を宿していた。牢獄というのは酷いところであるという噂は間違いではなかった。
「ああ、その顔が第二幕のときのやつだ」
「……ぉ………ぁ……」
イワはじっと聞いていた。かすれ、水の音が混じっていてよく聞こえなかった。けれどそれは劇のセリフだった。
「おまえの心も体も、ああただただその流れる血にすぎない。そのすばらしさ」
イワは聞こえないながらも、そのセリフの狂気の色気はわかった。
イワは医者を呼び、お金をかけてアイの顔を直そうとしたが、その必要はなかった。脱獄した黄色い服の男、黄=メイはなにやら逃がしてくれた脱獄者と話した後、アイの顔を魔術で治したのだった。ジェイのよりも数段すごい術であった。そのかわりしばらくアイといたいと申し出てきた。
「ああ」
とイワは言った。いるかわりに治療で稼いでくれと頼んだ。黄は身なりを整えると、政府の高官であったという説が十分に信じられそうだった。
アイはただただまるで心が死んだように稽古に励んでいて、すこぶる凄みがある。劇団の少年少女たちも戸惑っている。
イワは黄に頼んで、劇の宣伝をしてもらった。だいたい宣伝してもらったのはどこかしら欠損した売春婦たちで、席は3分の二以上売れた。
そして劇は始まった。




