心は流れ、役になり
イワは一時辰以内に四人の相手を終えた。ジェイの魔力はつき、イワの体はぼろきれのようになっていた。
ぼろぼろのイワの周りに劇団員が全員そろう。イワは不明瞭な声で、
「成功させろ」
といった。イワの瞳からは、決壊が乞われたように、まるで無意識のように滂沱として涙が流れている。血だらけの顔に涙の線が美しく流れる。
「できはそれほど悪くない」
静まり返る劇団員の中で、ミワが「劇長、痛みはないのですか」という。
イワはこたえない。
「自分の役割を果たせ」
イワは言う。
「痛みは?」
ミワが言葉を重ねる。イワはその方向を見えていない目でとらえ
「お前らも経験してるだろう。それくらいの痛みだ」
とこたえる。瞬間、椅子からイワの体は崩れ落ちる。しんとする一同に、イワはうつむき加減で、「親父は?」ときいた。
「劇団長はいません」
「呼べと指示しただろう」
イワの声にトワレが「その、劇団長は花売りの子のところで、いかないってそういっていました」、「それと、お金が足りないと」、イワは黙る。
「そうか」
トワレとミマは顔を合わせる。リンリンも沈痛な面持ちである。ひどくかすれ、疲れ切った声であった。アイは震える拳を握りこみ、瞳に激情をたたえる。
「今日は指示できない。アイ以外部屋から出て、準備しろ」
残ったアイにイワはうわごとのように「お前の黒髪は憎まれて生まれてきたからじゃない。お前は憎まれ、それが原因でその髪になった。だが憎まれ生まれたやつは世には山ほどいる。だけど黒髪はまれだ。そこには作為があるんだ。きっと力があるお前には」アイは、瞳を揺らす。
「お前もたてつけ。そういう理不尽、世間に。お前がどう生まれようが、お前にはどうしようもない関知できない領域のことだ。であるならお前の生き方に、運命は干渉できない。
干渉できない、俺はそう思って生きている」
アイはしばらく呆然としていた。イワは小さく笑った。
「大丈夫だ、お前は。お前は信じなくても、大体わかる。お前は、人を傷つけない」
「俺は……あんたの腕を」
「いらないものだ。ま、俺が化け物だからだ」
イワはそのまま、ほほ笑みながら寝た…………ふりをした。
アイが出て行ってから、イワは目をつむり、伸びをした。
劇はしんと静まり返って終わった。ミワのちょっとした親切に、命を懸けて報いる「呪われた男の子」をアイはよく演じた。
「ぼくをまともにみてくれる……それだけでよかったんだ……ありがとう」その言葉と共に、舞台は閉幕した。観客には無駄死にだとわかっている。けれどアイは清々しく天使のような顔をよく再現した。
イワは劇が終わったあと、アイを呼び出し「憎んでいる人間にでも、同情できるものだ。おびえている人間にも、お前は演じる前にそれが分かった。そうだろう。俺が教えた」
イワの押し殺しているが狂った音階の笑い声に、アイはその瞳の形が分かるくらいに見開けた。
「あれは……」
イワは答えずに笑いながら、「もうさがれ」といった。アイの茫然とした顔にイワはただただ満足だった。
アイの人気はうなぎのぼりだった。搾取する側である観劇者が、自己犠牲の化身であるアイの演じる者たちに異常な陶酔を覚えた。
そしてイワはまるっきり方向転換して「狂い死に血色の衣装を着る貴婦人」をつくった。
「これは残酷劇だ」
アイが所属してから人情劇ばかりつくっていたがいきなりの方向転換である。といってもイワはただのグログロの血肉だらけの臓物劇なぞつくるともりはない。
イワの光を移さない目に、どろりと艶が出る。
「セックスじゃない、セクシャル。滴る紅血と同様に、ぐちゃぐちゃにあふれてくる婀娜、全身全霊に生きるものあふれ満ちている色気、それをお前はあふれさすんだ。狂気にやどる濃密な色気を」
イワは語る。アイはそれを清廉潔白そうな瞳で見つめている。
「……到底無理です」
アイは理解できないのだろう、その眉に困惑と不可思議をのせてただただ怯えの目をする。
「演技指導は考える」
イワはあっさりとこたえる。アイは黙っている。うんだような目で、劇長をみる。この世界には何があるのか、そこにあるのはただ「劇」なのだ。そうかんじられるような瞬間だった。
劇の内容は、歴史的逸話を参考にした。領主の娘にある美しい娘がいた。その娘は領主が死ぬと新しく女領主になる。そこからはじまる残酷。
女領主はただただ狂っていた。人間の血をほしがる。人間の血を飲み、人間の血がたまった風呂に入り、人間の血の香水をつくる。そんな女の腹心の配下がアイである。
この「男」は圧倒的な美男であり、表情一つ変わらない。女主人のために自分の恋人も殺す。何の罪もない人々も殺す。ずっと殺す場面だ。アイは人を殺して殺して殺しつくす。残酷になぶり殺しに、血をえるために。
そして最後は女領主は捉えられるのだ。兵士が城に入り、女領主をとらえようとするのだ。
女領主はほほ笑みながら血色のワインを飲み、血色の湯船につかっている。
その前にアイがいる。アイは兵士と最後まで戦い続ける。
傾楽街から出ると、そこは牢獄がある。罪びとを収監するところで、ときおりものすごい体力と精神力を持った化け物が脱獄し、傾楽街に逃げ込んでくることがある。最底辺の街であり、異常者の集まりであるが、実のところ悪意と下劣さ、低俗な能力しか持たぬものたちなので、脱走者たちはうまく街になじめればその卓越した能力で、すぐに街での権力を得ることができる。今、街には二人の脱走者たちがいる。
イワはその中の一人に借金をしている。正確に言えばイワの父親が、である。その脱走者は売春や金貸しをしている。筋肉隆々で、その豆粒みたいな目の冷酷さや、昆虫じみたところはイワの発想に力を与える。
人間ではない、という例えはこの男のためにある、とイワは思う。先日のキギは脱獄者の部下である。
イワは街のまるで糞便を捨てる場所にしか見えない大通りを歩き、道に捨てられた毛布にしか見えない犬にけりをくらわしていた。
大通りの中に、二人がかりで揺らしてもびくともしなさそうなまともな建造物がある。赤い布で中が見えないようにされているが、脱獄者のすみかであることは間違いない。
入り口に立っている、護衛だろうでくのぼう役にしか使えなさそうな男に「脱獄の件」と小声でささやいた。胡乱な気配が漂う。
「うう」
とうなり声を上げながら、イワのほうを見る。イワは、男の耳が聞こえないことに気付いた。
内心で罵りながら、イワはその男ににっと笑い、その巨体にジェイをけしかけた。巨体がバランスを崩したのを狙い足を払う。護衛は「ううううう」と意味不明なことをうなりながら、その赤い布に体を倒し、飲み込まれるように赤い布の奥の空間に倒れた。
「ううううう」
護衛は体をおこし、憎しみのこもった瞳とこぶしでイワに相対した。イワも適当に意味不明な言葉を返す。
すると奥から「はいれ」と声が聞こえた。イワは肩をすくめ入ろうとすると、護衛の横を過ぎるときに、思いっきり顔を殴られた。
脱獄者は女と共にいた。アイは愛想よく二人に頭を上げた。女は白目をむいていた。
イワは「脱獄の件で、参上まいりました」と適当な敬語で話し出した。このようなしゃべり方はうけがいいのである。
脱獄者の目は小さくどこかにイッたままだ。イワが適当な歌を歌い出すと、やっと瞳に正気の色が宿りだす。
「こんにちは」
イワが再度いうと、「ああ」と返事があった。脱獄者はこの街において堕落し、精神の均衡を悪くしているのだ。
そしてイワは商談を始めた。




