媚びは流れ、哀れだけ
調子を狂わされている。イワは俯いたまま、苦笑した。
手を強く握りしめ、開く。
「アイ、同情だ」
イワは続けた。
「いろいろ考えたが、それしか思いつかない。めいいっぱい、同情を買うんだ」
この犬街に、他人を憐れむ豊かな情緒を有している人間がいるのか定かでない。けれどそうするしかない。
アイは何かを言いかけ、首を振った。
「意見があるなら、言ってみろ」
鋭い視線に、アイは意を決したのか、深く息を吸った。
「――無理、です。俺は、知ってます。俺を憐れむような人間はいないです、誰も。憐れむっていうのは、親身にならないといけません。その人のそばに近づいて考えなきゃだめで、す。誰も近づいて、近づくのはしてくれません」
イワは答えない。それからまるで何も聞いていないかのように、「もう少し色々と話した方がいい。もう少し流暢に話せるようになれ、餓鬼みたいだ」
アイは唇をかみしめ、瑠璃色の瞳をきつく据えた。もどかしさ、そして揺らぐ憎しみ。イワは唾をのみこんだ。目をつむり開ける。
「劇長、は甘い。貴方も分かっていない一人だ」
「……それがどうした」
冷たい声。
アイは沈黙した。じっとうつむく顔には表情は浮かんでいない。しばらく、イワが眺めていると、少年の口元にわずかながらの諦めが浮かんだ。
それを見つけ、イワはゆっくり言った。
「それぐらいは考えた。なあ劇長、とお前は言うが、自分の仕事は何か知ってるか?」
「……虐め」
「違う。脚本を書くことだよ、主な仕事は。そうしてな、なんで物語が生まれたかと言えば、動かすためだ。現実というものは重くて質感が伴っているんだ。だから、感情も動く、しかし現実なんだ、現実において余りにも情報が多すぎて、何を感じれば悲しめば喜べばいいのか分からないんだ。そうしてそれを凝縮させたのが物語だ。要点を絞り、一つの塊としてぶつけ、伝える。物語は感情を動かすためにあり、扇動し、同じ場所に全員を導くことが必要だ。だから自分は周りの感性をお前のところまで導く、分かったか」
「それは……」
アイはそういったまま、言葉を紡がない。イワは自分の饒舌に舌打ちし、苦々しく思う。
何故、自分はこんなにくだらない自説を馬鹿みたいに喋ったのか。
言うべき言葉は一つだったはずだ。『黙って従え』。
「今回の劇、陰の主役はお前だ、お前なんだ。だから……」
いや、こいつにいってもしょうがないことだ。これは自分自身にいうべきだ。
全力でやれ。
「なんで手を抜いてる?」
劇団員に、何度目かになる中断を言い渡し、イワはアイを呼び寄せた。
「そんなこと」
ぼんやりとした表情のまま、首を振る少年に険のある声で、
「その表情、小さな声、途切れがちのセリフよみ」
どこに手がかかっているんだよ、低く唸る。
イワの頭にあるのはもう公演が数日後に迫っているという事実だった。台詞は頭に無理やり叩き込んだが、それ以降のアイの成長は途絶え、今は完全に停滞している。
イワは流石に焦りを前面に出すことはないが、何度も練習を中断し、アイに注意していた。
しかしアイは変わる様子を見せない。
イワは自分自身の怒りを必死で抑えながらも、どこか冷静に腕組みする自身にも気づいていた。
これは無理だ、では次の公演をどうしようか、と。
アイを出さない選択肢は全く考慮にない。出したところで、どうしようもなく失敗だが、それを最少に収めるしかない。
自分は間違った方向へ、それも酷い失敗への道を進んでいるのではないか、心許ない気分だった。そしてアイの姿勢はそれを増長させた。
けれど、進むしかない。
「もう一度」
そう声を上げ、練習を再開させた。
公演当日、イワはジェイを後ろに連れ、街を廻った。
それは新しい演目をするときの習慣で、イワの心機能を鎮静させるための手段であり、意図的にそれを起こすために思考に沈む時間でもあった。
その時間で、イワは同じ題ばかり考えていた。同じ人間を、何度も繰り返し、想像していた。
たぶん、劇団員の少年少女なぞどうでもいいのだ、それなのにアイに関しては深く感情を移している。あの子供らが死のうが死ぬまいが、どうだっていいことだ。
けれどアイは違う。
立ち止まって、大きく息を吸った。
「おおう、おおう! 瑠璃劇団の片目女じゃねぇか!」
ごほっ、イワの口から異音がした。肩には酷い激痛が走っている。蹴られたのだ、と気づいてイワは片目で後ろを睨み据えた。
イワの二倍程ある身長に、鍛え抜かれ引き締まった体躯。昔はもう少し巨大だったが、最近になって絞りぬかれ前よりもいくぶん迫力が増している。
「どうだぁ、調子は?」
「はい。いいです。キギさんは、ずいぶん引き締まりましたね。どうも、前よりもたくましく感じられます」
イワは口が腐ったような気持ち悪さを感じながら、わざとらしくおだてた。しかしおだてても別段見返りは期待できない。こいつら下劣者は常に機嫌を取っておかないと、とんだ被害を受ける羽目になる。だから、これは普通の対応を期待するためのものである。
「ひっ、きっ、睨んじゃあねぇか。まあいいが!」
そのまま通り過ぎようとするので、「キギさん、仕事の話があるんです」後ろから声をかけた。
「はあ!」
振り返ったキギに、報酬を告げると目がぎらついた。
内容を聞かれたので、答えると、珍しくさわやかに笑った。
「いいなあ、むちゃくちゃのほうがいいんだろ」
「はい」
何人かの顔役にそのあと声をかけ、劇団に戻った。道端の花売りをしこたま殴って、もらってきた花を適当に飾り付ける。
イワはいつもの席に座り、しばらく考え込んでいた。劇団の入り口がざわつく音がした。
イワは隣のジェイに今から起こることを告げ、「頼むぞ」というと、「キャン」と珍しく使命感にあふれた顔つきで、犬歯をぎらつかせた。
「何の用ですか?」
入口に出ると、キギと二人の男が剣呑な顔つきで「おらぁ」と低く言った。その声に、入り口で稽古をしていた劇団員の少女たちはちびりそうなかおをした。
「くそ劇団の金の払いが遅れてる。頼むぞぉ」
キギではない男が言う。
そしてキギが完全に頭がちぎれるだろうという速度で、イワの頬を握りこぶしでぶん殴った。イワはさすがに頭がちぎり切れるかと思った。頭が熱せられたように痛んで、土に倒れこんで白目をむいてびくびく牽連する。茶土のむわっとした匂いが鼻につく。ジェイが治療してくれ、ぐらぐらした頭で必死に立ち上がる。
「支払送らせてやる。その代り一人くれ」
イワは眉を寄せた「困ります」次は腹だった。そのまま流れるように、腹の上に座られぼこぼこに殴られる。イワの顔は変形して、完全に袋と化す。
ジェイが治療する。
他の劇団員たちに他の男たちが何やら手を伸ばそうとする。
「申し訳ないですが、劇団員には触らせません」
ジェイに命じて、劇団員を守らせる。
「ああ? じゃあどうする」
「遅らせてください」
「ああ?」
「新作では利益が出ます」
キギが目を光らせる。イワは地面に額をこすりつけた。
「開幕までどれくらいだ」
「一時辰です」
「じゃあ四人だ」
「ありがとうございます。客はここに連れてください。開幕まで離れるわけにはいきません」
キギはイワを劇団の中に入れた。




