痛みは流れ、仕事だけ
痛みは一瞬、というのは戯言だったようでそれから二日高熱に苦しみ、ダイからの薬で何とか持ち超えたものの、常に激痛が腕の付け根から伝わっていた。
しかし死ぬことはなかった。片腕になるのはは困ったことだが、呪いの力というものがよくわかったので、まあ授業料としてもいい、イワはそういう風に自身を納得させた。
ただわかりきっていたことのはずなのだが、もう完全にこの世界でしか暮らせない身体になったことは思うことがあって、喪失感のようなものを覚えた。
起き出して、次の公演の準備をする。次の公演の主演は赤毛のトワレと、そしてトワレの次に年長のミマだ。ミマは確か13のはずだ。
トワレは娼婦の子供という設定で、将来必ず娼婦にならなければいけないが嫌がっている。そんな少女に恋をするのがミマ。ミマは良家の子供で、可愛がられて育てられている。色々あるのだが、結局的にはお互いの運命は繋がらないという終わりだ。
アイは直球で出すことにした。
とりあえず声を出す練習をさせないといけない。
頭の中で筋だけは出来上がっているので、そのとおりにアイを動かすため訓練を始めた。
呪力は思い通りに使えないらしいので、ぎりぎりの線上で痛めつける。そんなアイに同情したのか、いつのまにか劇団員は黒髪のことを受け入れるようになっていた。
子供は順応性が強い、冷めた目でそう思いながら、イワは少し笑った。
同じ年くらいか、自分も。
アイ、しかしあの純粋な人間に絆される気持ちはわかる。何かを信じているのだ。この劇団員も本来の意味でそれを持ち合わせた人間を見たことで、何か考えたのだろう。
くだらない、イワは笑った。心で何を思おうと、行動まで心に影響を受けることは間抜けのすることだ。目的と理性以外の原因で自分を動かす必要はない。感情で身体を動かすと、碌なことにはならない。
さて、とイワはそこまで考えてアイを近くに呼び寄せた。
近づいてくるアイは最初のころよりも目つきが少し鋭くなっている。その据わったともいえる目つきにイワは少しの感嘆を覚えた。
「お前は悪役だが、なあ、ちょっと違う意味合いのある役だ。ちゃんと感情を理解しろ」
アイはうなずかない。
眉根を寄せたイワが、ふと気づく。
自分とアイの周りをまるで監視するように取り巻いている劇団員がいるのだ。真ん中には赤の髪が目立つトワレ、そして優しげな顔のミマ、実際優しかったりする。そして二人よりも小さな子供。ボロボロの服を着て、顔に苦労と絶望がくっきりと浮かんでいる子供に周りを囲まれ、イワは極微小の怖れを感じた。自らが感じる怖れと言う感情は久しぶりであったが、どうにも懐かしいので理解できる。そんな些細な感情はすぐに消え、目の前のアイへの苛立ちが全てを覆い隠した。
「耳聞こえないか? 聞こえないのなら、無くなっても問題ないか」
そう言って、ポケットからよく研がれた鋏を取り出す。二枚の刃を中央あたりで交差させたものだ。これは珍しいもので、拷問吏が使用していた見本を観察して、自分の手で作った。
鋏を持ったまま近づくと、イワの目の前に劇団員で最年少のリンリンが立ちふさがる。幼い少女の顔は決意にみなぎっている。
イワは瞬きする。
「なんだ?」
尋ねてみても、リンリンからの答えはない。正直、イワにとってこの少女の行動は予想外だった。リンリンは明るく、元気な子であるが、この貧民街の住民らしく精神は歪んでいる風に見えていたからだ。
イワはその場で少し思案してから、すぐにリンリンに飛びかかって、床にたたきつけた。
痛みで体を捩じらせ、目に水分をためる少女の顔を躊躇いなく一発殴り、そのまま少女の耳に鋏の刃を当てた。暴れたため耳たぶの付け根が僅かに切れる。
「動くなって」
なあ、反抗するな? こっちも煩わしいんだ。
イワは低い声で、少女の耳に囁きかける。片腕で押さえつけるのは並の腕力では難しく、また脅しをかけるのは二倍いや三倍ほどの労力を要する。
今までのやり方ではやっていけないな。イワはこの先に頭をめぐらす。
「なあアイ、お前の罰はこれから劇団員に被ってもらうのはどうだ? あと一本腕が千切れたらこっちも商売終わりだしな」
アイの瑠璃色の瞳に笑いかけると、その瞳は怒りに染まった。
しかし反抗的な目はすぐに屈服し、折れた。視線の先には震えるリンリンがいる。
「はい。劇団長」
か細い声に、イワは目を見開き、思わずと言った感じで笑い出した。
「いや、劇団長はやめてくれ。それは親父だ。そうだな、呼び方か……。お前らはなんて呼んでた?」
ぐるりと頭を回すが、返事はない。考えてみれば、イワは劇団員に呼ばれたことが無かった。それを意外だと思いながら、ブツブツと呼び名を考える。
しかし、どうも思いつかなかった。
「いや、何でもいいかそんなこと。劇団長以外で」
そう言って、しゃがみ込む。
「アイ、あんまり反抗するな。別にこっちだって好きでお前らを虐めてるわけじゃない」
こういうことは、時を経て段々とわかることだった。劇団長、支配人、そういう立場の人間は所々で威圧させることが肝要であるが、好きでするわけでもない。どちらかというと面倒くさい、と思われることだ。しかしそんなこと言う必要はない。従う方がそれを身をもってだんだんと理解し、そして反抗の仕方を器用に学んでいくのだ。この劇団内で言えばノエル、彼女はいつも反抗的な目をしているが、別に命令には逆らわない。しかし時折、その反抗的な目をする以外に行動を起こし、イワに罰を受ける。それはイワには、無意識的にしているのか意識的にしているのか定めがたかったが、どちらも同じことで、非常に器用だというしかない。時折自主的に罰を受けに行く。
二人ともそれは了承していることだ。しかし口に出すと緊張関係が崩れる。
それを敢えて口にしたのは、アイであったからだった。
「分かったな」
言い聞かせるように、語尾に力を込める。そのまま立ち上がって、「外に出ろ、少し練習が必要だ」と言った。




