血は流れ、焦げた匂いは鼻につく
劇団は布やら何やらのものではなく、木で作られたちゃんとした小屋である。舞台は簡易のものを用意するが、普段劇団員――少年少女たち――はここで生活する。今日連れてきた少年を含めると六人になる。イワと父を含めると八人、あまり大きな集団とはいいがたいが、小屋での少年少女たちの生活空間は極狭いといえる。
犬が小屋に少年を投げ入れると、イワは劇団員で一番年長のトワレを呼んだ。トワレは赤毛の少女で、虚弱体質だが、気が強く反抗的だ。
「水」
トワレはイワを睨みながら、すぐに水を手渡してくる。イワはそれを少年の足に掛け、ジェイに舐めさせる。ジェイは何故か知らないが、少しの怪我なら直すことができるのだ。
トワレは少年を見下ろし、髪が黒だと気づいて飛び退くように後ずさった。
「なんで……黒毛が」
怯えで震える唇で、そう紡ぐ。イワは答えず、屈みこんだ。そして少年の顔をもう一度見る。自分の気に入った部位をもう一度見るためだ。
汚い木の上に、少年の顔。苦しげに、悩むように目を閉じている少年の瞼に触れ、無理やりこじ開ける。グルンと目玉が回って、怯えたように瞬きしようとするが、イワはそれを許さない。
じっと二人の目が合う。少年の顔が驚愕に染まり、喉からは空気の音が断続的に這い出る。イワはうっとりと笑った。少年の瞳、すみわたる瑠璃色。
イワは片目は潰れ、もう片目もそれほど見えないが、それでもキラキラと硝子の破片のように光る瑠璃色は視界で瞬いた。
それからしばらくしてイワは少年を何と呼ぶか考えて、悩んだが結局アイと呼ぶことにした。
それ以上に悩んだのか、次の劇でどういう風にアイを出そうかということだった。普通に出せば反感を買うし、客足は途絶える。しかし影響力が大きいということは、逆に考えれば非常に有利だ。使い方さえ正しければ、この劇団もますます発展するだろう。
お気に入りの椅子の肘を無意識に握りこむ。ぎりっと爪が食い込んで、爪の間に木の欠片が入り込んだ。
「かつ」
無表情に低く呻く。その場の空気が冷えた。近くにいた劇団員が震える。
イワは「勝つ」もう一度確かめるようにつぶやく。勝たなければ、負ける。自明の理である。引き分けなどこの世にありはしない。それを生まれたときから示され、そしてイワはいつも負け側だった。勝負というのは常に集団戦。巻き込まれているものなのだ、生まれたときから。
イワはがくりと背凭れに身体を預ける。そしてしばらく動かなかった。
イワが起きだしたのはそれから三時間も立ってからのことだった。その間に碌なことが思いつかなかったため、表情は暗い。
イワが考えたのは、とりあえずアイを痛めつけるなどというようなことだったが、完全に間違いの発想だとは分かっていた。劇に出す前にまず黒髪への怯えを取り除かなければいけないのだ。嫌悪は使えるが、怯えは使えない感情である。
その怯えを取り除く方法が思いつかないのだ。大男が滑稽な踊りをすれば楽しいし、美女が芋虫踊りをすれば腹を抱える。単純なことはわかるが、思考実験をしたわけでもないし、黒髪への怯えの形は読みにくい。
黒髪、何におびえるかは簡単な話で、単純に呪われているのだ。黒髪は呪われている。誰からも望まれていない子供どころか憎まれている子供は胎内にいる間に負の感情がたまって黒髪になる。生まれた子供は強力な呪力を備えるようになる。憎しみがたまると、局地的な破壊が起きるのだ。
生まれる前、赤子の頭蓋骨を壊す方法は産婆が死ぬので一般的ではない。なので大抵の黒髪は生まれれば捨てられる。まあどこに捨てるのか、といえばこの景楽街はかなり多いだろうが。ただアイは10いくつだ。捨てるには遅すぎる。
呪力、か。イワは軽く首を傾げて、近くにいた子供にアイを呼ぶように言った。
連れてこられたアイに、前を示して座らせた。アイはじっと下に目を向け、唇を強い意志で閉じている。イワは子供のくせに、結構な根性の座り方をしている、と思った。
隣のジェイの頭を撫で、イワは短い言葉で暴力を指示した。
少年は動かない。運命に供するような様子に見えたが、じっと瑠璃を見ていると分かった。じわりじわりと侵食するように瞳が潤んでいる。泣きたいのか、と思った。
ジェイは教えられたように的確に少年の幼い肢体を痛めつけ始めた。少年の口は開かない。暴力に身を任せるとき、イワはじっと見る。身体が裂け、血が噴き出て、痣が色付く。少年の口が微かに開き、「うぐぁ」と呻いた。
四刻ほどたった時、イワが暴力を担当し、ジェイは傷を治療し始める。死んでしまっては困るからである。
「起きろ」
意識を捨てようとするので、イワは仕方なく水をぶっかける。塩入なので、少年は失禁した。
イワは軽く眉をしかめて、小さくため息をついた。次の瞬間、イワの腕が捩じ切れた。
捩じ切れた腕がどさりと地面に落ちる。腕の付け根から血が噴き出る。
腕の付け根には黒い靄のようなものがかかっている。呪力か、冷静に判断できたものはそこまでで、イワの口からは絶叫が漏れた。
血に染まる視界に、自分の腕と、少年の空ろな目が見える。周りで子供が静まり返っている。
瞬間イワはありったけの自制心で、絶叫をこらえた。
必死で腕の付け根を押さえた。身体が崩れ落ち、膝をつく。少年の瞳に目を合わせて、睨み付ける。
「ほら、見ろ。これがお前の復讐だ。嫌われるのも無理ない」
少年は口を開け、イワに見入っている。そして目をそらした。イワは笑う。
ひっひふ。気色悪い笑い声だ。腕が痛く、まともに笑えないのだ。
瑠璃の瞳が閉じられる。イワは少年の頭を一度踏み、倒れこんだ。
傍らのジェイに「ダイを呼べ」と指示して、仰向けに寝転がる。気絶するわけにはいかない。
劇団員に殺されるかもしれないのだ。
ジェイが連れてきたのは老人のほうだった。このあたりの修繕屋ダイは布の繕いが仕事だが、医者まがいのことをしている。息子の方はまじめな人間で、そちらを希望していたが、来たのは意地の悪い老人のほうだった。
死ぬかけのイワの姿をニヤニヤ見たと思ったら、バッタのように気持ち悪く飛躍して近づいてきた。
「ほうほう痛いか痛いか」
舌足らずな嫌味に答えずに、イワは「はやくしろ」と言った。
「うむ腕はつけられんね、ちゃあない。わかったわかった」
そういってぺろぺろと唇の周りをなめ、「焼こうじゃないか」と言った。
イワは瞠目し、小さく首を振った。




