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ドアが開いて、真っ赤なジャージを着た若い男が姿を見せた。

「よお」

 若い男の後ろから、仕立ての良いスーツを来た長身の男が続いて店に入ってきた。

 嫌な気分になった。

 長身の男は、大貫と言う、このあたりを仕切っているヤクザだ。

 若い男は、大貫の舎弟のチンピラだ。

「久しぶりだな」

 大貫は、唇の右端を上げて不気味な笑顔を見せた。

「何か用か?用が無いなら座るな。あんたらがいると、客が店に寄りつかねぇ」

 俺は、無表情で大貫と眼を合わさずに言った。

 大貫が顔を見せる時は、大抵ロクな事が無い。

「よく言うぜ、客なんか来ねぇじゃねぇか」

チンピラがカウンターに身を乗り出して言った。

「まぁ、止めとけ」

 大貫はチンピラを手で制して、椅子に座った。

「用って程じゃないがな、たまには顔でも見せとこうと思ってな」

 大貫の用事について、俺は大方の予想はついていた。

 それだけに嫌な気分が増す。

 大貫は、カウンターに肘をついてタバコを銜えた。

 すかさず、チンピラがライターを差し出し、火を点ける。

 その、一連の動作が俺には馬鹿げて見えた。

 麗しきタテ社会だ。上下の関係を痛々しいくらいに守っている。案外こいつらは古き良き時代の生き残りなのかもしれない。良し悪しは別にして。

「土産くらい持ってこようと思ったんだが、最近実入りが悪くてな」

 大貫は、煙を吐き出しながら言った。

「気を使わないでくれ」

 灰皿をカウンターに置きながら、俺は答えた。

 大貫は、灰皿の上でタバコの筒を指で軽く叩き、灰を落とした。

警察(サツ)がうろついてるだろ」

 大貫は、安田がこの店に来た事を知っていた。

 俺は黙って、大貫の顔を見た。また、面倒な仕事を押し付けられる、そう思った。

「そう、嫌な顔をするなよ」

 珍しく、俺の感情が顔に出ていたようだ。

「ま、例のごとく、一仕事頼むよ」

 大貫は、このあたりの売人にドラッグを下ろしている。だが、元締めではない。大貫が流したドラッグは、複雑な手順を何層も経て売人たちに渡る。末端の売人たちは、大貫の存在すら知らない。そして、大きな仕事がある時、末端の売人たちは犠牲になる。

 大きな取引がある時、大貫は警察の目をくらまし動きをとりやすいように、小さな鼠を囮にする。つまり、売人を犠牲にして、警察が取り締まりに躍起になっている間に裏で取引を遂行する。

 その、小さな鼠の情報を流すのが俺の役目だ。

 俺が安田に流す情報が正確なのは、当たり前だ。情報源はこの街にドラッグをはびこらせている張本人なんだからな。

「今回はもう一つ、あんたに頼みたい」

 大貫が、改まって言った。

 大貫は、カウンターに乗り出し、俺に顔を近付けた。

「運び役、頼むぜ」

 俺は顔を引いて、大貫をまじまじと見た。

 大貫は笑いながら、俺を見返している。

「冗談は止めろよな」

「冗談じゃねぇんだよ」

 チンピラがいきり立って言った。

「俺のところも人手不足でな、人材が足りないんだよ」

 よく言うぜ。運び屋を素人に回そうなんて、危険もいいところだ。大方、今回の取引自体が危ない橋なんだろう。使っている運び屋が何かの事情で使えなくなったか。それなら、自分の舎弟に仕事をさせればいいものを、素人に話を振るなんて。余程、手駒を使いたくないらしい。

恐らく、鼠の情報を流したところで警察に情報が漏れている可能性があるのか。危険度が高いから、すぐに切り捨てられる人間を使いたいんだろう。

 俺は、ため息をつきながら首を横に振った。

「無理言うなよ、あんたらしくもない」

「簡単な仕事だ。やってくれよ」

 俺はもう一度、首を横に振った。

「ただでとは言わん。あんたに貸した例の金、帳消しにしてやるよ」

 大貫は、タバコをふかしながら言った。

 俺は大貫に、金を借りている。

 生きていくのには金がかかる。店を開けているにも金がかかる。酒代だってただじゃない。儲かりもしない店を、だらだらと続けている俺が悪いんだが、この店を閉めても俺には生きていく場所が他に無い。

「大貫さんがここまで言ってくれてんだ。駄々こねんじゃねぇよ」

 カウンターを乗り出して、チンピラが俺のTシャツの胸元を掴んだ。

 チンピラの拳が、俺の顔をめがけて飛んできた。

チンピラの拳は俺の顎に当たった。

「止めとけ」

 大貫は、チンピラの拳が俺に当たったのを確認して、わざとらしくチンピラを制した。

 カウンターを挟んでいたおかげか、チンピラの拳をまともに受け損なったが、唇の端がわずかに切れていた。茶番だ。俺は、大貫の言う事に逆らえない。流されるように、この仕事を請けるだろう。そして大貫は、俺が仕事を請けることを知っている。

 チンピラが続けて口を開こうとした時。

 ドアが勢い良く開いた。

「失礼します」

 場違いな挨拶をしながら、安田と一緒にいた若い刑事、棟方が顔を見せた。

 大貫とチンピラが、一斉にドアの方に顔を向けた。

「葛木さん、どうしたんですか!」

 俺達の様子に尋常ならぬ物を感じたらしく、棟方は俺に駆け寄ってきた。

「なんですか、あなた達は?葛木さん、大丈夫ですか」

 棟方はチンピラと、俺の間に勢いよく割り込んだ。

「なんだ、てめぇは」

「何をしているんだ、あんた達」

 棟方とチンピラは向かい合った。

「なんでもない、あんたには関係ない」

 俺は、何故だか棟方をこの馬鹿げた茶番に巻き込みたくなくて、棟方の肩を押さえた。

 大貫も、チンピラの肩を掴みながら

「もういいだろう」

 そう言ってチンピラを抑えた。

「じゃあ、そう言うことで。期待してるぜ」

 大貫が立ち上がった。

「じゃあな」

 行くぞ、とチンピラに声を掛けて、大貫はドアを開けた。

「待て!」

 棟方が後を追おうとした。

「止めろ」

俺は、棟方の腕を掴んで止めた。

「しかし」

「いいんだ。大した事じゃない」

 棟方は、頬を紅潮させている。

「血が出てるじゃないですか。何です、あいつら。これは立派な傷害ですよ」

 棟方は正義感の塊のような顔で、俺に言った。

「このくらいでいちいち騒ぐんじゃない。この程度は日常茶飯事だ。コレくらいで傷害だなんだって警察の世話になってりゃ、この街じゃ生きていけないさ」

 俺は、切れた唇を拭いながら言った。

「それで、何の用だ。安っさんの遣いか?」

「客ですよ」

 棟方の意外な答えに、俺は驚いた。

「客?」

 棟方は、はにかんだ様な笑顔で椅子に腰を降ろした。

「だって、ここはバーでしょう?酒を飲みに来たんですよ」

 俺は思わず噴出した。

 客?こいつが客としてこの店に来るなんて、想像だにしなかった。それに、まだあどけなさの残る、この若い刑事が酒を飲んでる姿すら想像できなかった。

「ボウヤ、酒なんか飲めるのか?」

「馬鹿にしないで下さい。僕だって成人してるんです。酒くらい飲みます」

 少し、ふてくされたその言い方が、更に俺の笑いを誘った。

「何飲むんだ」

 俺は笑いながら訊いた。

「じゃあ、ビールを」

 バーに酒を飲みに来た、と言いながらビールを頼むとは、やはりあまり酒を飲む事に慣れていないのだろう。

 俺は、カウンターの下の冷蔵庫からビールの瓶を一本取り出し、グラスとセットで棟方の前に置いた。ビールの栓を抜き、グラスに冷たいビールを注いだ。

「いただきます」

 行儀良く言って、棟方はビールを口に含んだ。

「しかし、何だってここに来た?もっと行儀良く飲める店なんて、いくらでもあるだろう」

 棟方はグラスを置いて

「気になる事があったもんですから」

 ニコニコとしながら言った。

 一瞬、仕事(・・)に関る事かと思ったが、棟方の様子からは仕事を感じさせるものは無かった。

「実は、アレです」

 棟方は、俺のコレクション、レコードの棚を指差した。

「ふん?」

「実は、この間来た時にTOTOが置いてあったのが気になって。葛木さんが『興味があるのか』って聞いたでしょう。あの時に棚のレコードが気になって、他にどんなのがあるんだろうって」

「好きなのか?音楽」

 俺は、ラムを舐めながら訊いた。

「昔のロックとかね。まあ、親の影響ですが。安田さんに話したら『見せてもらえばいい』って言われたんで。あなたも、この間『またな』って言ってくれたし、客として来てもいいのかと思ったのですが、警察官が飲みに来るのはやっぱり、迷惑ですかね」

 棟方は、笑顔で言った。

「客なら歓迎するさ。好きなだけ飲んでけ。女もいない場末の汚い店でよければな」

「女の人とか、そう言うのはちょっと・・・。そう言う店もたまには行きますが」

 なんとなく、こいつがキャバ嬢に両脇を挟まれてかしこまっている姿を想像した。想像の中の棟方は、顔を紅潮させながら、背筋を伸ばしてビールを飲んでいる。自分の勝手な想像ながら、大体合ってるんじゃないか、と思うと余計におかしくなった。俺は、声を立てて笑った。

「なんで、笑うんですか」

 棟方は少しむっとした様子で、俺を睨んだ。

 俺は、その様子がおかしくて、更に笑った。

 棟方は、頬を膨らませながら、「何がおかしいんですか」と言い、ビールを飲んだ。

 俺は、ひとしきり声を出して笑いながら、ふと、自分が笑うなんて事が、ずいぶんと久しぶりな気がした。裏も何も無い、純粋な笑顔すら、最後にしたのは思い出せないくらい昔だった事に気付いた。

「僕、そんなにおかしなこと言いましたか?」

「気にするな、オジサンの勝手な思い出し笑いだ」

 レコードが気になった、と言っていた。

「好きなだけ、見ていけばいいさ」

 俺は、壁際の棚を顎でしゃくった。

「ありがとうございます」

 棟方は、行儀の良い返事を返すと、レコードの棚に向かった。

「うわあ、すごいですね、このコレクション」

 一枚ずつ、棚からレコードを取り出し、ジャケットを眺めている。

「ディープパープルだ」

 リッチー・ブラックモア。

 高速ピッキングの元祖。

 彼のリフは、明快さを好む。職人と言われるほどのテクニックは、ディープパープルと言う、ハードロックの原型を作り上げたバンドの要だ。その後の音楽界にディープパープルとリッチー・ブラックモアは様々な影響を与えた。

「ディープパープルがあるって事は、ああ、やっぱりだ。レインボー」

 棟方は、整理されていないレコードの棚から、レインボーのジャケットを見つけ出した。

 ディープパープルを脱退した、リッチー・ブラックモアが結成したバンドがレインボーだ。リッチー・ブラックモアのバロックを思い起こさせるクラシカルな、様式美を感じさせるギターソロは、このバンドで完成形となった、と言っても過言じゃないと俺は思っている。

 ハードロックは、テクニックがないと絶対にこなせないジャンルだ。ヘビィメタルは更に重低音が加わる。中途半端なテクニックで手を出して、ピッキングの真似事をしても音楽にはならない。

 それにしても。

 棟方は、音楽に関する知識があるようだ。ディープパープルの次にレインボーを見つけた。

 俺は、なんとなく、棟方に興味を持ち始めた。

 ロックとはそぐわない、こいつの行儀良さとのギャップが、俺に興味を持たせたのだろう。

 ガンズ、スキッドロウ。

「僕は、リアルタイムでは全く知らない世代なんですけどね、この人達のすごさは伝説ですよね」

 棟方は、次々とジャケットを手にとって、裏表の両面を飽きることなく眺めている。

 ストーンズ。T・REX。ヴァン・ヘイレン。

 俺は昔、それらの音楽を聴きながら、夢に思いを馳せていた。音楽に興味を持った少年は、一度は必ずギターを手にする。俺も例に漏れず、ギターを手にした。ギターを手にした俺は、メロディアスなサウンド創りをするギタリストに憧れた。

 そして、八十年代、自分がやりたい音楽と言うものを夢想した。

 やがて、夢を現実にしたいと、都会へ出た。自分には、夢を叶える力があるのだと、根拠も無く信じていた。

 棟方は、どんな音楽を聴いて育ってきたんだろう。

「ボウヤの世代の音楽は、俺にはわからん。知ってるのは、ポール・ギルバートや、ヌーノくらいまでだ」

「ヌーノ・ベッテンコート!エクストリームですね。好きでしたよ。僕、ギター買って貰って無謀にもヌーノを練習したんですよ。全く弾けなかったけど」

 ポール・ギルバート、そしてヌーノ・ベッテンコートは、九十年代を代表するギタリストだ。ポールはミスタービッグ、ヌーノはエクストリーム。ギターキッズ達に、絶大な崇拝を集めた2大バンド。二人のギターを聴いた時、夢を諦めた俺ですら、胸が騒いだくらいだ。

「へえ。ギターやったことあるのか」

「思春期にありがちな程度ですよ。音楽のセンスって、遺伝しないんですかね?練習してもあまり上達しなかったから、そのうち熱心じゃなくなったけど。憧れのギタリストみたいにはなれなかった」

 棟方は、棚から振り向いて笑った。

「プレーヤーがあったら、借りて帰りたいぐらいですよ」

 棟方は少し興奮気味の声で、棚を探りながら言った。

 この棚にあるのは、LP版のレコードばかりだ。今時、余程の趣味でも持っていない限り、レコードプレーヤーなんて持っている奴はいないだろう。この店にも、そんなものありはしない。この棚のレコード達は、音としての役目は果たせない。その代わりに、手に取る者の思いを呼び起こす為のアイテムとして存在しているんだから。今まで、俺にとってはそれだけで充分だった。

 嬉々としてジャケットを捲る棟方を見ながら、俺は自分の寝床に、埃を被ったオーディオセットがあるのを思い出した。もう何年も電源を入れたことすらない、年代物だ。壊れているかもしれないな。家に帰ったら、まだ動くかどうか、電源をいれてみようかと思った。そして、動くなら、ここに持ってこようか、などとつまらない事を考えた。

「これ、この前のですね」

 棟方は、TOTOのアルバムを手にしていた。

 この前、棟方が初めてこの店に来た時、俺が過ぎ去りし夢を自分で笑って、カウンターに放り出していたアルバム。

 このバンドは、デヴィット・ペイチとジェフ・ポーカロを中心に結成された。そこに、スティーブ・ルカサーが加わる。『腕利きのスタジオミュージシャンが集まって結成されたバンド』それが彼らだ。スタジオミュージシャンなんてのは、自分の腕だけで仕事をしている、職人みたいなものだ。神業を持った、職人、それがTOTOを創った男達だ。

 彼らは、結成時、既にスタジオミュージシャンとして、一流だった。

 一流の才能が集まって、自分達の音楽を創り始めた。

 所謂、AORと言われるが、そのサウンドは、ハードロック、フュージョン、ジャズ、あらゆるスタイルを要素に含んでいる。生半可な技術ではそうはいかない。

 あらゆるスタイルに対応できる、才能溢れるバンド。

 TOTOⅣ。

 棟方は、ジャケットの裏を声に出して読んでいた。

「アフリカ。この曲、よく聴いたな。ロザーナ。ああ、母が好きなんですよ、この曲」

 ロザーナ。

 “Meet You All The Way”

 お前に会いたい。

 ロザーナ。

 一瞬、強烈なメロディーを伴って、すざましい勢いで、記憶の波が身体を通り抜けていった。

 光。

影。

 去っていった仲間。

 去っていった女。

 寂しそうな笑顔。

 一番大事だったのに。

 波は、やるせない想いを、俺の身体に残していった。


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