Ⅴ
棟方が店に遊びに来ることは、俺の中で、一つの楽しみになっていた。
あいつが、フラッと店に来て、二人で酒を飲みながらギターや、音楽の話をする。
言っておくが、俺は、もう、音楽を熱く語るなんて事はしないからな。
本当に、夢に敗れたものは、夢の記憶を語るべきじゃない。
「俺は、昔バンドをしてた。一時はプロを目指した事があるんだ」
この店の客は、そう言って過去を語りたがる奴らばかりだ。夢を、夢で終わらせた奴らはそれで良い。夢は完結して、思い出と言う過去になる。
俺は、夢を追いかけ、現実の重さに、自ら潰れた。
熱くなって語れば、自分のふがいなさを思い起こすだけだ。
棟方と俺の会話は、他愛も無かった。
“ジャンルとしてのハードロックを創り出したのは誰か”
俺は、ツェッペリンの存在が大きいと思っている。棟方は、ジェフ・ベックの存在について俺にかみついた。
“UKとUSAの音楽性の違い”
棟方は、UKロックの方が洗練されていると言った。俺は、UKの上品さと、USAの泥臭さなら、泥臭さの方がロックだと言った。そして、UKで芽吹いたバンドも、結局はアメリカに渡るほうが多かったのだ。
店の数少ない常連達も、この、若い新参者を徐々に受け入れ始めた。
「昔な、このマスターはメジャーでレコードデビューした事があるんだよ」
常連の一人は、言わなくてもいい事まで言った。
「それ、本当ですか?」
棟方は、その言葉に眼を輝かせた。
まるで、尊敬を向けるような眼で俺を見た。
そう。実は俺のバンドは、デビューした事があるんだ。
デビュー、なんて言ってもそんな良いもんじゃない。夢の世界は、夢のままで終わった。
メジャーの世界でレコードを出せば、全てが叶うと思っていた。音楽界は、俺達の才能を認めたのだと思った。
憧れた世界で、成功する事だけを望んだ。
だが、憧れの世界は、俺に険しい現実を突きつけた。
俺は、現実に押し潰された。
「昔の事だ、もう忘れたよ」
「すごいですよ、葛木さんは夢を叶えたんですね」
「違うだろ。夢が叶わなかったから、俺はここにいるんだ」
「でも、メジャーでレコード出すなんて、すごい事でしょう?」
「レコードを出せても、それでゴールじゃない。俺は、ゴールに辿り着かなかったって訳だ。昔の話はもういいだろう。俺は、すごい事なんて何もしてない」
俺は、少しの不快感を顔に出していたのだろう。素直な棟方は、それ以上俺に突っ込んで聞きはしなかった。
「今度、ギター教えて下さいよ」
棟方は、切り替えが早い。俺に嫌な思いをさせるより、俺が興味を持つ方向に話を換えた。
「ギター?何を教えろって?」
「ほら、タッピングとか、色んな奏法を教えて下さいよ」
「馬鹿言うな、思春期にありがちな程度しか弾けない奴に教えられるか」
いいじゃないですか、ケチな事言わないで。棟方は、子供のように拗ねる。
俺にもし、息子がいたら、ギターを教えていただろうか。
考えてみれば、俺だって、コイツくらいの歳の息子がいても変じゃない。
そうか、俺は、コイツを息子のように思っているのかもしれないな。
俺達は、他愛も無い会話ばかりしていた。
だが、それだけの事が、楽しくなってしまった。
俺は、どうかしたんだろう。
あいつが、仕事を終えて一杯やりに来る、それが待ち遠しくなるなんて。
刑事と言う、あいつの立場さえなければ、もっと、色んなことを話してみたかったよ。
俺は、忘れていた。
この街の住人だと言う事を。俺は、棟方とは違う種類の人間だ。
そして、大貫の事。
大貫に協力する限り、俺は、棟方にとって憎むべき側の人間だ。
俺は、大貫の事なんて、忘れていた。
俺は、自分のつまらない思いつきを実行した。
例の、オーディオセットを店に持ち込んだんだ。
年代物のオーディオセットは、やたらと重かった。
棚に眠るレコード達に、再び命を吹き込む。棟方が喜ぶだろう。
そう思うと、古びたオーディオセットの重さは苦じゃなかった。全く、俺はどうかしてしまった。
やっとの思いで、店の鍵を開け、カウンターの上に持ってきたオーディオセットを置いた。
もう何年も放ったらかしにしていたんだ。壊れているかもしれないのに。
カウンターの隅を片付け、オーディオセットを設えた。
スピーカーの配線を繋げ、コンセントに電源を差し込む。
そして、そっと、電源ボタンを押してみた。
プツッ、とスピーカーから音が漏れた。
どうやら、まだ生きてはいるようだ。
俺は、レコードの棚に向かい、手近なレコードを取り出した。
紙ジャケットから、黒い円盤を出した。ターンテーブルの上に、円盤を乗せる。
何故か、深呼吸をした。
電源が入っても、音が出なければ使いものにならない。俺は、少しだけ緊張して針をレコードの溝にゆっくり落とした。
プツッ、と短くスピーカーが鳴った。針は、レコードの溝を滑っていく。
キース・リチャーズの、独特のリズムギターがスピーカーから流れ出した。
成功だ。俺は重なっていく音に、達成感を憶えた。
心地良い、幸福感も加わる。全く、何年ぶりだっただろう。
棟方は、驚くだろうな。そして、すぐに嬉々として、聴きたいレコードを選ぶはずだ。俺は、このレコードをあいつに聴かせてやりたいと思った。
それを想像すると、何か、むずがゆいんだが、楽しい、と言う気持ちが湧いてきた。
俺は、何かを想像して期待する事を楽しむなんて、本当にずいぶん昔に止めてしまったんだ。だから、そんな気持ちに、人を喜ばせてやろうなんて気持ちになった事自体、本当に自分で驚くくらい、快挙を成し遂げた気分だった。
俺は、棟方が来るのを心待ちにしていた。
店のドアを開けて、棟方が入ってくるのを。
だが、来たのは、大貫が連れていた、チンピラだった。
「大貫さんからの伝言だぜ」
俺は、ドアを開けたのがそいつだとわかった時、露骨に嫌な顔をした。
「そんな嫌な顔するなよ」
俺の充足感は、チンピラの登場で、一気に氷のように冷めた。
チンピラは、カウンターに肘をついた。
「伝言なら、電話で済むだろう」
俺は、苦い顔をしたまま、チンピラに言った。
「まあな。あんたに届けろって言われたモンがあったんでね。直接渡せって言われてっからよ」
「届け物?」
大貫は、俺に運び屋をやらせようとしている。しかし、まさか、直接ブツをここに持って行かせる訳は無い。
「こいつだ」
チンピラは、手にしていた紙袋を無造作にカウンターに置いた。紙袋の中には、丸めた週刊誌が入っていた。大貫は、一体何を持たせたんだろう。
俺は、紙袋の中の週刊誌を取った。
週刊誌の下に、もう一つ、小ぶりの紙袋が入っていた。外側の袋から、それを取り出す。
ずしりとした重みが、伝わった。中には、油紙の包みと、薄いピンクの封筒。包みを開けてみなくても、それが何なのかはわかった。
「どう言うことだ」
チンピラは、眉をひそめて見せた。
「知らねぇよ。悪いけど、俺はただのパシリなんだ。何も知らねぇ」
チンピラは、嘘をついているらしい。何故、俺にこんなものを渡す必要があるのか、知っているのだろう。そして、俺に同情しているのかもしれない。眉をひそめたまま、俺の視線から顔を背けた。
「確かに、渡したからな」
そう言うと、チンピラはカウンターから身を起こし、背を丸めて店を出て行った。
チンピラが去ってから、長い事、俺はカウンターで包みを眺めていた。
コレを、使う機会が俺にあるんだろうか。
俺は、高揚していた気分が、ゆっくり覚めていくのを感じた。
油紙の包みと一緒に入っていた、薄いピンクの封筒を手に取る。封筒には、白い花のすかし模様が入っている。
封筒を見つめていると、大貫の顔が浮かんだ。
嫌な奴だ。
封筒を開けると、カードが一枚、入っていた。
カードには
“金曜日は5丁目にいます”
“土曜日早朝、埠頭の公園でお会いしましょう”
二行の文章が書かれていた。
俺は忘れていた。
俺は、ただ流されて生きてきた。そして、流されるまま、流れに身を任せてきた。
その結果が、今の俺だ。
それは、些細な日常の変化では、変わらない。
棟方と関る事で、ほんの少し変わったかのように思えた日常は、いとも簡単に元の日常に戻された。
俺は、自分に似合いの生き方を改めて思い出した。
俺は、流れるままに生きるのが性に合っている。
薄暗い店の中で、俺は、この小さな店を俺に残して逝った男を思い出した。枯れ枝のように痩せて、暗い眼をした男。
この街に流れ着いた時、俺を拾ってくれた男だった。
その頃の俺は、全てに疲れ果てていた。
失った仲間。失った女。
メジャーデビューなんて、言葉の響きは結構だが、現実は苦しかった。
自分達の手で、自分達の音楽を創りだす、そんなことは幻想だった。
技術の高さを認められたと、有頂天になっていた。実際、ルックスを前面に出している奴らに比べれば、俺達のバンドの技術は郡を抜いていた。デビューすれば、誰もが才能を認め、俺達は好きなだけ、好きな音楽をやれるはずだった。
しかし、現実は違った。
たった二枚、レコードを出しただけで終わった。売れ行きも良くなかったよ。ハードロックより、アイドルバンドのようなルックスや、奇抜な化粧やグラム系の奴らが受けてた時代だ。正統派だと自分達では信じていたが、正当なハードロックは泥臭いだけで、受け入れられ難かったんだろうな。一部には俺達の音楽を受け入れてくれる奴らがいたが、それは少数派でしかなかった。
レコード会社は、生き残る為に路線変更を迫った。アイドルバンドなんてルックスじゃないないから、それは無理だ。レコード会社が持ってきたのは、奇抜で派手な衣装を着て、万人受けするポピュラーミュージックをやれ、と言う話だった。
俺達のバンドは、それを受け入れられなかった。
自分達の信じるものが、必ず理解される時が来る。それが、俺達が出した答えだった。
しかし、理解される時はなかなか訪れなかった。
訪れたのは、レコード会社からの契約解除の通知だった。
俺の仲間は、それぞれ、別の道を探し離れていった。
俺はと言えば、燻っていた。
スタジオミュージシャンをしながら、多少音楽と着かず離れずの生活は続けていた。スタジオミュージシャンと言っても、TOTOのようなすごいモンじゃない。ツテで声を掛けられて、録音にサポートで参加する程度のものだ。
俺には、一緒に暮らしていた女がいた。名前は、木綿子。
明るくて、俺達のバンドを支えてくれた女だった。俺が、自分の人生の中で、唯一人、本気で愛した女だった。
木綿子は、バンドを解散してからも、
「いつかきっと、あなたの才能は認められるよ」
そう言って、俺を励ましてくれた。
俺を見守ってくれた女。
二人であの頃、よく、聴いていた曲。
ROSANNA。
畳み掛けるような、テクニックの応酬を突きつける曲。
木綿子が好きだった曲。
支え、俺にとっては、唯一の支えだったのかもしれない。あの頃は、それに気付きもしなかった。
あの日、木綿子がいなくなるまでは。
仲間を失い、自分よりも下手糞な奴らのサポートで、ギターを弾いていた俺は、自分の才能を切り売りしている気分に耐えられなかった。だんだんと、俺は堕ちていった。
俺は、人工的に快楽を与えてくれる薬物に頼るようになった。
そして、彼女は、俺の前から姿を消した。
「心配しないで。子供なんて、無理なのわかってるから。でも、病院は一人で行かせて」
蝉時雨が、部屋に響いていた。
俺は、彼女の言葉に何も言えず、背中で部屋を出る彼女を見送った。
彼女は二度と俺の前に姿を現さなかった。
彼女を失った時、俺は何もかも自分が失ったことに気付いた。
この街に流れ着き、暗い眼をした男に拾われた。
「この街で生きていくなら、全部諦める事だ。諦めれば、ヤクにも頼らなくて良くなる」
老人はそう言った。
俺は、何も求めない生き方を選んだ。
老人の言うとおり、何も求めなければ、快楽も必要無くなった。
さほど苦しむ事も無く、ドラッグとの縁は切れた。
俺は、老人と一緒に、まるで自らも老人のように日々を過ごすようになっていった。
俺が、無気力と言うなら、無気力になったのはその頃からだろう。
無気力な日々は、穏やかな日々でもあったな。
どのくらい、老人と一緒の日々が続いたのか。
やがて、老人は人生の終末期を迎えた。
悪性の腫瘍に、痩せた体を蝕まれ、枯れ枝のような身体が更に細くなった。
病院には行かないと言った。
自分の寿命は、自分が一番知っている。俺は、この街で静かに死んでいくさ。
そう言っていた。
だが、身体を蝕む悪巣は、老人に過酷なほどの痛みを与えていた。
俺は、老人の苦しみを少しでも和らげる為、大貫から薬を買った。
多分、老人の為じゃなかったんだ。
苦しむ老人を見るのが嫌だった。苦しむ人間を間近に見る、俺が耐えられなかっただけだった。
「苦しませるな」
そう言う、大貫の甘言にのった。
老人は、最後の際に
「諦めて、この街の住人になれ」
そう言った。
5丁目の売人は、いつもゲームセンターにいる。
俺は、仕事をする為に、携帯を手に取った。
携帯の電話帳を開き、安田の番号を探し出し、通話ボタンを押した。




