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竜になれない竜姫と王子を強制された王妹は、政略結婚で家族を選び取る  作者: 卯月スズカ


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天導教の悪魔祓い

 空を裂いて降り立った悪魔祓いは、携えた大剣を振るうのも忘れているようだった。黒い髪と緑の瞳。同じ色合いを持つ二人は対峙して、見つめ合う。


「……どうして、私の名前を?」


 ネオンは背後にナデシコを庇い、戦斧を構えながら問いかける。

 表面には出さないでいるが、ネオンの思考にはジ……と、ひりつくようなノイズが走っていた。自分の発した問いの答えはとっくに知っているのに、辿り着けない。辿り着きたくない。矛盾が脳みその輪郭をぼやけさせている。


 一方、悪魔祓いは問われたことで自失から立ち直っていた。目を閉じて、覚悟を決するように息を吐き出すと、絢爛なしつらえの柄にかけた手に力をこめる。


「──拙たちが姉妹だからだよ、ネオン」


 大剣と戦斧がぶつかる。武器を手繰る二人の動揺とは裏腹に、激突は冷静そのものだった。ネオンは大剣の刃をいなし、流れるままに追撃を仕掛ける。悪魔祓い──アンナリーゼ・シラ・シュトラルは一歩下がると、刃先で床を叩く。

 その瞬間、困惑の中にいたナデシコは叫び、ネオンの前に障壁を築いた。


「ネオン、動かないで!」


 爆炎が迸る。ネオンを飲み込むはずだった焔は障壁に防がれて、この場にいる全員の視界を塞ぐだけに。炎とともに巻き上がった土煙が晴れたとき、アンナリーゼの視線の先にネオンとナデシコの姿はなかった。


「逃げた、か」


 静かな吐息を吐き出して、アンナリーゼは剣を納める。声は冷静さを思わせる平坦なものではあったが、静かながらに深く、かすかな震えもまとった呼吸には隠しきれない感情の気配が漂っている。

 アンナリーゼは踵を返して、自分が破壊した建物から立ち去ろうとする。その背中を呼び止めたのは、一人残されたヴァーチェだった。


「……アンナリーゼ卿。あなた、どうしてここに?」


 ヴァーチェの言葉には、「どうして自分を殺さないのか」という疑問が暗に込められていた。アンナリーゼは質問に答えることなく、天導教の方針に逆らい竜を招き入れたヴァーチェの生殺与奪権を握る者として告げる。


「ここには誰もいなかった。あなたも、竜姫も、拙も、あの子も。誰も、初めからいなかった」


 今度こそ、アンナリーゼは振り返らずに去った。足音も立てることなく、突然の轟音にざわめく街中を一人の群衆として歩いていく。

 緑の瞳は鋭く強張っていた。抑える必要のなくなった動揺がアンナリーゼの心臓を締め付ける。そんなアンナリーゼの胸中を押し測ったようなタイミングで、翡翠の宝石で作られた小鳥がアンナリーゼの肩に留まった。


『リズ』


 小鳥が伝えるのは長姉クエリの声。アンナリーゼはクエリの声を遮って、ほのかに苛立ちが混ざった声で尋ねた。


「姉上、説明を。どうしてネオンまでこちらにいるのですか」

『ネオンにも真実を知る権利はある。そうでしょう?』


 堂々と交わされる、シュトラル女王と天導教の英雄の密談には誰も気付かない。アンナリーゼが無詠唱で作った防音の結界によって、声は外に伝わることなく消えていく。

 

『以前までのネオンなら、私もこれまで通り、あなたの真実について隠したままでいるつもりだった。けれどね、あの子も進んでいるの。ネオンはもう、声を失って立ち尽くしていた子供じゃない』


 アンナリーゼは歩き続けながらも、返事を返せないでいた。アンナリーゼがネオンを見るのは、父王の弑逆以来だった。物陰に隠れ、密かに伺っていた葬儀のときに目の当たりにした、抜け殻のように虚空を見つめて声を失っていたネオンの姿は今でも克明に思い出せる。

 そう。ネオンはもう、成長している。知らない間に悪魔を狩るほどの英雄に至っていたのだ。アンナリーゼもクエリの主張の正しさを知っているから返答に窮している。感情がどれだけ反論を試みても、理性が言い訳を作れないのだからどうしようもない。

 アンナリーゼがようやく口にした言葉は、自分でも恥ずかしくなるほどに負け惜しみが滲むものだった。

 

「……拙も、姉上の主張は理解しました。ところで、姉上。要件はそれだけではないでしょう?」


 今までは家族として、姉妹としての話。けれどわざわざ声を直に伝えてきたからには、女王としての話もあるのだろう、と断定して問いかける。

 アンナリーゼの予想はまったくその通り。クエリは普段のように穏やかな口調で、まるで夜の散歩を提案するように、世界の平穏を崩すと宣言した。

 

『ええ。宣戦布告の用意が調ったから、リズにも備えてもらう必要があるわ』





 走った。ナデシコはネオンの手を引いて、ひたすらに走った。竜の強靱な心肺機能を強化して、それでも息が切れるほどの距離と時間を走って山の中へ逃れると、ようやく足を止める。

 ぜい、ぜい、としばらくは二人分の荒い呼吸が静かな山中に響いていた。ナデシコは息を整えながらネオンの様子を見やる。

 呼吸は荒いが、いつかのようにトラウマを抉られたときのような反応ではない。とはいえ、単に逃走の負担だけでネオンの息がここまで乱れるとも考えにくい。

 

 姉妹だと、あの悪魔祓いは口にした。ネオンの反応を見れば、彼女がシュトラルから離反したというアンナリーゼ・シラ・シュトラルその人であることは疑いようがなかった。

 

「……ネオン、その」

「うん……ごめんね、ナデシコ。少しだけ時間がほしい」


 ナデシコは頷くと、ネオンから少し離れて周囲を伺う。

 あたりに人間の気配はない。アンナリーゼが追いかけてきている様子もない。しばらく留まっていても問題はなさそうだった。

 

「まったく、何がどうなってるんだか」


 ナデシコは地べたに腰を下ろすと、星空を見上げながらため息をついた。

 竜が天使の末裔であること。天使とは王冠を素材にして作り出されるものであること。ただでさえヴァーチェからもたらされた情報に圧倒されていたところにアンナリーゼの襲撃だ。ネオンほどのショックではないにしても、今にもこぼれそうな思考をまとめる時間はナデシコにも必要なものだった。

 

「竜は天使の末裔である――そうね、突拍子もないけれど納得はできる。王冠と人間の意図が竜の成り立ちに絡んでいるなら、魔物と呼ぶには人に近く、人と呼ぶには魔物に近い性質にも説明がつく」


 もう独り言を我慢する必要もない。ナデシコは遠慮なく声に出して、思考のパズルに取りかかる。

 

「あとは、そう。天使が何体作られたか。竜の祖先だけとは考えにくいけれど、近年に作られたなら天導教も隠さないはず。……いえ、あるいは天導教そのものが役割を終えてもおかしくないのに、まだ存在し続けているとなると――今まで、天導教の理想は叶っていない?」


 手のひらを空に向けて、星屑を握る。遠い遠い、天の光。山脈を越える竜の翼でもたどり着けない、遙かな宙の果て。

 今、頭を悩ませている謎だって、夜空の星へ辿り着くことに比べれば簡単すぎるほど。ナデシコは思考に溺れないよう、頭の片隅でそんなことを考えながら考察を続けた。

 

「そう、そうね。天導教はずっと昔から悪魔の封印を担ってきた。役割そのものに疑いが向けられたことはなかったはず。王冠の一つや二つ程度じゃ、天使を作るにはまったく足りないんでしょうね」


 つまり、それは裏を返せば――と考え始めたところに、ネオンの気配がやってくる。ナデシコは座ったまま、首を後ろに倒してネオンを迎えた。

 

「もういいの?」

「うん、大丈夫。まだ混乱はしているけど、落ち着いた」


 ネオンはナデシコの隣に座り、同じように夜の空を見つめる。その横顔を見れば、ネオン自身が言った通り、平常心は取り戻した様子が窺えた。ナデシコは今までの考察をいったん脇に置いて、アンナリーゼについて触れた。

 

「あの人も無詠唱者だったのね」

「私もびっくりしたよ。ナデシコが助けてくれなかったら危なかったかも」

「運が良かっただけよ。あたしが気付けたのだって、あの人が触媒を使っていたからだし」

「触媒っていうと、魔術の補助をする?」

「ええ。あの人の場合は大剣が触媒も兼ねていたみたい」


 魔術師の最高位、無詠唱者。天導教の悪魔祓いという役割に偽りなく、アンナリーゼの実力はほんの少しのやりとりでも肌が感じ取っていた。


「……ナデシコ、これからどうしようか」


 ネオンは膝を抱えるものの、右手はそのまま地面に投げ出されている。ナデシコは自分でも意味を考えず、気まぐれとしか言いようのない心のままに、星屑を掴もうとしていた左手を重ねた。

 

「ドラキュリア派との接触は成功したから後は戻るだけ――って言いたいけれど、迂闊に動くのも危ないでしょうね。あたしたちの存在も知られちゃったし、会談場所が割れたルートもわからない」

「なら、状況を見ながら的確慎重大胆に、ってわけだ。うん、私にとっては馴染み深いやり方だからね、安心して任せてくれても大丈夫だよ?」

「それ、行き当たりばったりを良いように言ってるだけじゃない。……ま、頼りになる人がいるのは嬉しいわ」


 ナデシコとネオン、どちらの警戒にも人の気配は引っかからない。だから今だけは、傍らの体温に身を委ねて息を沈める。迫る動乱も、この一夜の休息は破れなかった。

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