天使・竜・悪魔
竜とは天導教が信仰する天使に連なるものである。ヴァーチェの主張を聞いたナデシコは言葉を返さず、指を組んでテーブルを見つめていた。ネオンはナデシコの横顔を見つめて、今頃ナデシコの中で暴れ狂っているはずの思考の渦を思った。いつもの独り言すらこぼれない様からは、ナデシコが受けた衝撃の強さを表しているようにも感じられる。
ヴァーチェもナデシコを慮ってか、口を閉ざしている。ネオンはこれ幸いと、同居人に問いかけた。
『フレア、今の話どう思う?』
『……どうして俺が考えてやる必要があるんだ。こういうことはお前の嫁に任せておけばいいだろうが』
『いや、君の考えが必要なんだ。ハルピュイアの王たる君の視点が欲しい』
ネオンはこれまで、フレアの意見を滅多に求めてこなかった。それだけにフレアは怪訝そうにしている。ネオンが脳裏に浮かべるのは、いつも目にしているナデシコの読書姿。
『確かに私も君も考え事が得意じゃない。ナデシコに任せるべきだって意見は正しい』
『おい、俺とお前を一緒にするな』
不満をありありと表明する声を気にもとめず、ネオンは続ける。かつて殺し合った仲とはいえ、常に肉体を共有している間柄だ。会話は軽口の応酬にも似ていた。
『君も、ナデシコが暇さえあれば本を読んでいるのは知っているだろう? でもね、あの読書速度だと王宮の魔術書なんてずいぶん前に読み尽くしているはずなんだ』
『……結論から言え。回りくどいのは面倒だ』
『ごめんごめん。要するに、ナデシコはほんの少し視点のズレを得るだけで、いくらでも考察し続けられる。普通なら同じ本を何度読んでも得られる情報は変わらないけれど、ナデシコはそうじゃない。違う本から得た情報を元にして、再解釈を繰り返しているんだ』
シュトラルで魔術を研究しているのはウルミアとミラリスが治める理術院だ。王宮図書館に収められている魔術書は基礎的なものがほとんどで、ナデシコのレベルなら本来必要としないはずのもの。けれどナデシコは毎日のように王宮図書館に通っては、とっくに読み終えたはずの魔術書を繰り返し紐解いて、ベッドにメモを溢れさせている。
惰性ではない。ナデシコが常に新しい知見を求めて魔術書に没頭しているのをネオンは知っている。フレアもネオンが言いたいことを把握すると、ため息交じりに頷いた。
『思考の永久機関か。まったく、つくづく竜に向かない娘だ』
『――かも、ね。というわけで、私は君の意見を聞いて、ナデシコに伝えたい。ドラキュリア派の主張、どう思う?』
話がぐるりと戻ってくる。フレアは面倒そうにしながらも、ネオンの問いに答えた。
『荒唐無稽、とは言いがたい。それだけ竜は異質だ』
『異質?』
『人に近すぎる。人の身体と人の言葉を当たり前に持つのは、俺たちからすればあり得ない』
フレアがそう告げて、直後。ナデシコが面を上げる。ナデシコは組んだ指はそのままに、ヴァーチェへ問いかけた。
「あたしたちが天使に由来するとして。今、竜と天導教が対立している理由は?」
「降臨したドラゴンは、乞われるまま、一方的に人を救済することを良しとしなかったと伝わっております。それが他の宗派の者からすれば受け入れられなかったのでしょう。ドラゴンは天導教の歴史に記されず、ドラキュリア派が記憶するのみとなりました」
「普通なら派閥ともども消されるでしょうに。よく今まで生き残ってきたわね」
ナデシコの声には呆れ混じりの感嘆がこもっていた。素直な感想に、当事者のヴァーチェすら深々と頷いて肯定する。
「ええ、わたくしも同意見ですの。当時は天使を降臨させられるほどの勢力だったことが幸いしたのでしょうね」
ヴァーチェが何気なく答えた瞬間だった。ネオンは外と内から、同じ疑問の声を聞く。
「……降臨させた?」
『降臨させた――だと?』
ナデシコとフレアは異口同音に、まったく同じ箇所に引っかかりを覚えているようだった。ネオンは二人の反応へ呆気にとられつつも、すぐにナデシコの身体に触れた。ナデシコの注意が向いてすぐ、床に落ちる影を指させば、ナデシコもネオンの意図を把握したようで、沈黙のまま肯定の意思がやってくる。
ネオンの影は、フレアとの繋がりを示すわかりやすい合図だ。フレアも口に出した以上は考えを教えてくれるだろうと踏んだ通り、数秒の静寂の後に声がやってくる。
『……ネオン。王冠と天使について尋ねろ。それではっきりする』
「わかった。――ヴァーチェ・ドラキュリア。一つ尋ねたいのだけれど、天使と魔物たちの王冠には何か関係が?」
ネオンの視点では、フレアがここで王冠を気にかけた理由にピンと来ていないのだが、どうやらナデシコの考えとも一致しているようだった。ならネオンは毅然とした態度で、確信を装う。
ヴァーチェはぱちぱちと目をしばたたかせて、驚きを露わにしていた。相手がネオンでも隠す気はないのだろう。素直な表情からは腹芸の色がまったく感じられない。
「驚いた。どうしてそれをご存じなのですか?」
「――だって、特異点なのは明らかだもの」
きゅっと、ネオンの脇腹をナデシコがつねる。無理に答えなくていい、という口止めの意味なのはネオンもわかっているが、それはそれとして唐突な攻撃は心が痛い。もうちょっと優しく止めてくれてもいいのに。
一方、ナデシコは淡々とした声でヴァーチェに推測を告げていく。やはりナデシコの考察はフレアと同じところに辿り着いていたようで、答える声によどみはない。
「天導教は王冠を持つ悪魔を敵と見なして狩り、封印している。それなのに、王冠を持つ竜帝は悪魔と認定されていない。あなたの主張が正しければ、竜は天導教が降臨させた天使の末裔。なら、こう解釈できるでしょう? ――天使とは、悪魔の王冠を素材にして、降臨させるものなのだと」
天導教はどうして王冠を求めているのか。王冠を持つ竜帝はなぜ、悪魔とされないのか。かねてからの疑問が、天使という存在で結びついていく。
ナデシコはヴァーチェの言葉を借りて「降臨」と表現したが、実態がそうでないことはネオンも悟った。大方、王冠が持つ力を材料にして、天使と呼ばれる未知のものを作り出しているのだろう。
『……お前と契約したのは正解だったか』
フレアの呟きが聞こえた。しみじみとした声はいつものように遺憾さを漂わせながらも、安堵が滲んでいる。ネオンは声を使わずに同意を伝えながら、ナデシコを見つめる。
薄紫の瞳は現実を見つつも、今も思索にふけっていた。独り言は今もこぼれていないが、よく見れば唇は小さく動き続けていた。どうやらヴァーチェの手前、気を張っているから声に出ていなかっただけで、思考は脳だけで抑えきれるものではなかったらしい。
この場の主体はナデシコとヴァーチェだ。ネオンはナデシコが考察に溺れていないか観察しつつ、話が再開されるときを待つ。
今、会話に気を取られすぎていないのはネオンだけだった。だから――その敵意に、気付いたのだろう。
反射だった。ネオンは言葉で思考する前にナデシコを胸に引き寄せて、ソファを落ちて床に伏せる。不意をつかれたナデシコが声を上げたのと同時に影から戦斧を取り出して、屋根の破壊と共に攻撃をしかけてきた騎士の大剣を受け止めた。
「――え?」
「……ふぇ?」
ナデシコとヴァーチェ、状況を飲み込めていない二人の困惑が声に出た。その間も壊された屋根からはパラパラと音を立てて建材の欠片が床に落ちて、夜空の月明かりを覗かせている。
「驚いた。まさか、気付かれるなんて。魔術師がいるとだけ聞いていたのだけれど」
黒髪緑眼の女性だった。騎士装束に施された意匠は、彼女が天導教に所属する悪魔祓いであることを示している。
女性は鍔迫り合いの末に距離を離しつつ、ネオンに視線を向けて。
――呆然と、その瞳を見開いていた。
「…………ネオン?」




