ヴォジャノ
8
丸く切り取られた空が、青く澄んでいた。 見慣れたスカイブルーだが、今は貴重に思えた。
ふたりが辿り着いたのは、ひらけた場所だった。たゆたう水面は、空よりも深い青を宿している。
「湖……にしちゃ小さいか」
「泉と言ったところでしょうか」
泉は丸い形をしていたが、より正確に言えば環状、《ドーナツ型》をしていた。穴の部分にあたるのは、水ではなく草と土。
つまり、島があったのだ。緑の地面が、水に囲まれてぽつんと存在している。
そして。
「ありゃ……なんだ?」
「ただの樹にも見えますが……」
しかし、直感とも言うべき部分が、その認識が間違いであることを告げていた。
浮き島には、なにやら巨大なモノが鎮座していたのだ。ザラザラした茶色い表面に、太い幹とそこから伸びる枝葉。見てくれはほとんど、そこらの樹木と変わらない。
特徴的なのは根の部分だった。複雑に絡みあって大地を踏みしめている姿は、まるで人間の足のようでもあった。
「これと同じものを、前に本で読んだことがあります」
「なんだっけ、《マタタビは死んだ》?」
「《旅人の神話》ですよ。これは確か、すべての生き物を産み出した生命の神で、名は……」
──ヴォジャノ。
ライラいわく、花びらの転移装置のモチーフになった神。と、煉斗が記憶を呼び覚ますより先に、驚くべきことが起こった。
『我が名を呼ぶ者よ』
腹の底に響くような、低く重い声。
紛れもなく、目の前の《樹》から発せられている。人の形をしているとは思ったが、まさか喋りだすとは。
煉斗が引きつった声で応じた。
「や、やあ。元気? 俺は、今すごく悩んでることがあるんだ──喋るデッカイ樹の、いったいどこに口があるのか……」
煉斗の口調は人によっては苛立ちを与えるもので、このような超常的な存在なら特にその確率が高いのだが、(ゆえにアイリスにたしなめられてしまった)ヴォジャノは意に介さないようだった。
『我はヒトとは違う。無論、あらゆる獣とも』
「カミサマって?」
『そう呼ぶ者も、おるな……』
『だが』と、神は付け加えた。
『我は母なるものだ……。お主らを創造せしもの。この世に生きるすべからくの命は、もとは我であったものだ……』
「《旅人の神話》にもそのような記述がありました」
つまり、神などという距離のある呼び方はやめてくれということだろうか。
煉斗は、すくなくとも敵意はなさそうだと判断した。
「なあ、そっちに言ってもいいか?」
巨木はなにも応えなかった。煉斗はそれを肯定と受け取った。
「んじゃ失礼して」
煉斗が歩き出すと、アイリスもこわごわといった様子ながらついてくる。
橋に類するものは、当然といえば当然なのかもしれないが見当たらない。泉を横断するしかないが、そこまでの水深ではないので大丈夫だろう。
靴を脱いで、水面に足をつけると、思わぬ変化があった。
体が、驚くほど軽い。全身に力が漲ってくる。
「これは……?」
『命の泉に沸く水は、生命に力を与える』
「こりゃすごいな! ちょっと持ってっていいか」
そう言うと懐から取り出したのは、今朝コーヒーを入れたスキットルだ。それを水につける煉斗を見て呆れたアイリスだったが、ヴォジャノが
『効能は一日ほどしか保たぬ……。早く使うことだ』
と快諾するので肩をすくめたくなった。(スカートの裾をつまんでいるのでできなかったが)
小島にたどり着くと、裸足で草を踏む感触が心地よかった。見上げると、すぐそこに神の姿。
よく見ると、幾重にも重なった根に包まれるようにして、光の玉のようなものがあった。それは鼓動のように規則的なリズムで明滅を繰り返していたが、なんというか……弱々しかった。
「あんた、神ってことは不老不死なんだよな?」
『ヒトがそう名付けただけで、厳密には違う、有限の存在じゃ。ゆえに、老いもするし、ひょっとしたら死にもする。
現に、我は己の力が弱まっているのを知っておる……。眷属どもの管理すらままならないのも、そのせいなのじゃ』
眷属……というのはあの魔物たちのことだろうか。それを管理できなくなった──。
「ちょっとその話、詳しく聞かせてくれよ」
大変気になる言葉だった。
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