別れ
9
『お主らの国を脅かしたのは、我の眷属たちじゃ』
「へえ。でも、あんたがけしかけたって訳じゃあなさそうだ」
『いかにも。むしろ、あやつらがああも理性を失ったのは、我の管理が及ばなくなったゆえと言える』
「煉斗。ヴォジャノは、配下の魔物を深く愛し、快適な住処を与えるそうです。だからこそ、彼の眷属は他者を傷つけることがないのですが……」
煉斗が得心したように指をさした。
「でも、あんたのチカラが弱まって、統率が取れなくなったのか。奴らを引き連れるための手綱を、引いていられなくなった」
『悠久の時を生きたつもりだったが……。先に言った通り、命ある存在たる我には《老い》というものがある。ヒトも、歳をとれば肉体が衰えるじゃろう』
「それと同じで、あんたの肉体……と言っていいのかどうか分からんが、まあ、体にガタがきたんだな?」
『左様じゃ……情けないことじゃがな』
「人間界で言えば、牧場の管理人がヨボヨボじいちゃんになって、柵の修理もできなくなったってことか……ははっ」
ことのあらましは大体把握できた。ただ。
アイリスは首を傾げた。
「難しい問題ですね……」
「そうだよなあ」
こうなった以上、誰をやっつければ問題が解決するというのでもない。悪意のない、ただの《現象》である。これをどうこうしようなど、それこそカミサマでもなければなし得ない偉業だろう。
異形の樹はしわがれた、確かに年季を感じさせる声で言った。
『これも、自然の摂理なのだろう。あらゆる命は、いつか消える。ろうそくの炎を吹き消すように。我がそれを一番、分かっておったはずじゃのにな……』
ヴォジャノは「彼らを森という《鳥籠》のなかに閉じこめ、ずっと守っておこうという考えは烏滸がましかったのかもしれん……」とも付け加えた。
煉斗はすこし考える素振りを見せてから、異形に語った。
「少なくとも、あんたがこの森を守護してた何千年は、ここの動物たちは環境の変化に晒されることもなく、生きてこられたんだ。
あの、オオカミや、クマや、ユニコーンどもだって、あんたに感謝こそすれ、中指を立てることもなかろうさ」
すると大木の神は、ごうごうと風鳴りじみた轟音を立てた。
──笑っている……のか?
表面に刻まれたキズが、笑顔でいるように見えたのは錯覚だろうか。アイリスは、皺だらけの老人を幻視した。穏やかで、柔和な笑顔をしている。
ヴォジャノはいつまでも、ごうごうと笑っていた。
「それじゃ、俺たちはエルフの女王サマに、このことを報告してくるよ」
「喜ばれそうにない知らせを告げるのは、いつだって気が進まないですね」
それを聞いたヴォジャノがどこか申し訳なさそうにしたので、ふたりはクスッと笑ってしまった。
「そんじゃ、ヴォジャノ、だったっけ? また来ることもあるだろうから、その時まで。どうせ老いぼれったって、俺らの寿命よりあんたの老後のほうが長いんだろうからな」
「今度はゆっくり、創世記のお話をお聞かせくださいっ」
アイリスは学者肌なので、興味があるのだろう。ここに来てから妙に口数が少なかったのも、じっと《太古の神》を観察していたためだった。
『《レント》と、《アイリス》……その名、この胸に刻まれたぞ。数百年ぶりに思い出した《楽しい》ひとときだった』
煉斗は手を振って応え、アイリスは深々とお辞儀をした。
白衣の青年とエプロンドレスの少女は、並んでゆっくりと歩き始める。泉を渡り、対岸に上がる。そうして、元来た森に消えていく。
悠久を生きる神がもうひとつ思い出したもの。
それは《寂しい》だった。




