第四話 失踪
朝になっても。
父親は帰ってこなかった。
母親も帰ってこなかった。
玲音は、何度も玄関を確認した。
「……まだかな」
時計を見る。
午前九時。
昨日の夜に出ていったのだから、もう戻ってきてもおかしくない。
「お父さん……」
返事はない。
「お母さん……」
当然、返事はない。
玲音はソファに座った。
テレビをつける。
いつもならニュースを見る気分ではない。
適当に子供向けの番組をつけた。
画面の中では、キャラクターたちが楽しそうに笑っている。
「……」
玲音は笑えなかった。
前世の記憶を思い出した時よりも怖かった。
健二としての記憶には、死の記憶がある。
病院。
長い闘病生活。
そして最後の日。
それは恐ろしかった。
だが。
今は違う。
自分は健康だ。
まだ五歳の子供だ。
そして。
両親がいる。
その両親が――
帰ってこない。
「……どこ行ったの?」
玲音は膝を抱えた。
「ちゃんと戻るって書いてあったじゃん……」
机の上には、昨日の置手紙。
何度読み返しても内容は同じ。
『少し調べたいことがある』
『必ず戻る』
『心配しなくていい』
最後には。
『父さんと母さんより』
と書かれている。
「……嘘つき」
玲音の目に涙が溜まる。
「戻ってこないじゃん……」
五歳の玲音に、両親の失踪を受け止められるはずがなかった。
前世がある。
大人だった記憶もある。
けれど。
それでも玲音は五歳の少年だった。
怖ければ泣く。
寂しければ泣く。
大切な人がいなくなれば――
泣く。
「お母さん……」
玲音は声を押し殺して泣いた。
昼になっても帰ってこなかった。
夕方になっても。
夜になっても。
二人は戻らなかった。
玲音は一人で食事をした。
食欲はなかった。
「……おいしくない」
いつも母親が作ってくれる料理。
同じ材料。
同じ味付け。
なのに。
全然違う。
「……早く帰ってきてよ」
玲音は誰もいない部屋に呟いた。
翌朝。
玲音は警察に連絡した。
「お父さんとお母さんが帰ってきません」
対応した警察官は、最初こそ普通の行方不明事件として話を聞いた。
「最後に見たのはいつ?」
「昨日の夜です」
「何か言っていた?」
「研究を調べるって……」
「研究?」
玲音は頷いた。
「僕の前世に関係する研究です」
警察官が怪訝な顔をする。
当然だ。
五歳の子供が「前世」や「人格保存チップ」について話している。
普通なら、子供の空想だと思うだろう。
しかし。
「これです」
玲音は置手紙を渡した。
警察官が読む。
表情が変わった。
「……少し待っていて」
しばらくすると。
別の警察官が来た。
さらに。
もう一人。
玲音は不安になった。
「お父さんとお母さん、見つかる?」
「……調査するからね」
「本当に?」
「もちろん」
その言葉を信じるしかなかった。
それから数日。
警察から何度か連絡があった。
しかし。
進展はない。
両親の携帯端末は、同じ日に通信記録が途絶えていた。
銀行口座も動いていない。
交通機関の利用履歴もない。
防犯カメラにも、二人がどこへ向かったのか分かる映像が残っていない。
まるで。
最初から存在しなかったかのようだった。
「……おかしい」
玲音は呟いた。
前世の知識があるからこそ分かる。
これは普通ではない。
二人が突然失踪しただけなら、何かしら痕跡が残る。
なのに。
何もない。
「どこに行ったの……」
玲音は両親の寝室に入った。
ベッド。
衣服。
写真。
二人がいつ帰ってきてもいいように、何も片付けられていない。
玲音はベッドに座った。
「……寂しい」
涙が出る。
「帰ってきてよ……」
五歳の少年には、それしか言えなかった。
失踪から二週間。
警察から呼び出しがあった。
玲音は担当の警察官と一緒に、警察署へ向かった。
ところが。
案内された部屋に入ると。
そこには見たことのない人物がいた。
警察官ではない。
黒いスーツ。
年齢は五十代ほど。
玲音を見るなり、男は静かに口を開いた。
「君が藤野玲音くんだね」
「……はい」
「ご両親のことについて、少し話を聞かせてもらえるかな」
「警察の人?」
「違う」
男は微笑んだ。
「ただの関係者だ」
「関係者?」
玲音は警戒した。
その時。
担当の警察官が部屋に入ってきた。
そして。
玲音の耳元に顔を近づける。
「……玲音くん」
「はい」
「この件には、これ以上関わらない方がいい」
玲音は目を見開いた。
「え?」
警察官は周囲を確認する。
そして、声を落とした。
「これは警察からの正式な話じゃない」
「……」
「ただの忠告だ」
「どういうこと?」
「君の両親は……」
警察官が言葉を止める。
そして。
「この件には、上の方から触れるなと言われている」
玲音の背中に冷たいものが走った。
「……誰に?」
警察官は答えなかった。
「君はまだ子供だ」
「でも!」
玲音は立ち上がった。
「お父さんとお母さんなんです!」
「……分かっている」
「帰ってこないんです!」
声が震える。
「どこにいるかも分からないんです!」
警察官は苦しそうに目を伏せた。
「だからこそ、これ以上探すな」
「嫌だ!」
玲音は叫んだ。
「僕は待ってるだけなんて嫌だ!」
「玲音くん」
「お父さんとお母さんを探して!」
涙がこぼれる。
「お願いだから……」
警察官は何も言えなかった。
その隣に立っていた黒スーツの男が、静かに口を開いた。
「……君のお父さんとお母さんは、自分たちの意思で消えた可能性もある」
「嘘だ」
玲音は即答した。
「絶対に違う」
「なぜ?」
「だって」
玲音は置手紙を握りしめる。
「帰ってくるって書いてあった」
男は何も答えなかった。
玲音は男を睨む。
「それに」
「……」
「僕のことを置いて、何も言わずにいなくなる人じゃない」
男の表情が、ほんの僅かに変わった。
「……そうか」
それだけ言うと、男は部屋を出ていった。
玲音は、その背中を見送った。
胸の奥で。
何かが引っかかる。
あの男は。
両親のことを知っている。
間違いない。
その日の夜。
玲音は一人で自宅に戻った。
家の中は静まり返っている。
「……ただいま」
誰もいない。
いつもなら。
「おかえり」
と返ってくる。
玲音は靴を脱ぐ。
リビングへ行く。
そして。
両親の写真の前に立った。
「……僕、探すから」
小さな声で言った。
「絶対に見つける」
涙を拭う。
「お父さんも」
「お母さんも」
「絶対に見つけるから」
その日。
五歳の少年は初めて決意した。
自分の両親を探す。
そして。
自分自身に何が起きたのか。
前世の藤野健二と、四ノ宮零士。
人格保存チップ。
擬似転生。
それらがどう繋がっているのか。
全部、自分で調べる。
玲音は知らなかった。
両親が追っていた「研究」が。
この世界の歴史そのものに関わるほど、巨大なものなのだと。




