第五話 軌道エレベーター
それから十年。
藤野玲音は、十五歳になった。
両親が失踪してから、十年が経っていた。
五歳だった少年は、もういない。
鏡の中に映っているのは、背の高い少年だった。
黒い髪。
少し細い身体。
そして、どこか大人びた目。
「……十五歳か」
玲音は鏡を見ながら呟いた。
この十年間。
両親は帰ってこなかった。
警察の捜査も、途中で打ち切られた。
正式には「行方不明」。
死亡した証拠もない。
生きている証拠もない。
ただ。
玲音だけは、二人が生きていると信じていた。
「……絶対にどこかにいる」
そう思わなければ。
耐えられなかった。
玲音は現在、一人で暮らしていた。
もちろん十五歳なので、普通なら両親や保護者と暮らしている年齢だ。
だが、玲音には特殊な事情があった。
幼い頃から異常な学習能力を持っていた玲音は、義務教育を早期に終え、その後も独学で学び続けていた。
十五歳になる頃には、大学レベルの学問を一通り修めている。
それでも。
「勉強ができるからって、大人になったわけじゃないんだけどな」
玲音は朝食を食べながら呟いた。
冷蔵庫から適当に取り出したパン。
温める。
飲み物を用意する。
それだけ。
「……母さんの料理、食べたいな」
ふと、そんなことを思う。
胸が少し痛む。
玲音は首を振った。
「……まだ諦めてない」
両親は生きている。
そう信じている。
そのために。
玲音は十年間、両親が追っていた「研究」について調べ続けていた。
キーワードは三つ。
人格保存。
擬似転生。
そして――
四ノ宮零士。
四ノ宮零士。
今から約百五十年前に生きた男。
人類史上でも類を見ない天才科学者。
遺伝子工学。
機械工学。
医学。
人工知能。
宇宙工学。
彼が関わった研究は、数え切れない。
さらに。
「ドクターゼロ」
そう呼ばれた零士は、数々の発明を残している。
現代社会の基盤となっている技術の中にも、零士の研究成果を発展させたものが数多く存在する。
そして。
玲音が最も気になっていたのが――
人格保存技術。
だが。
そこだけは、徹底的に情報が封鎖されていた。
研究資料の多くは非公開。
関連企業も存在しない。
研究者の記録も断片的。
「……絶対に何かある」
玲音はそう考えていた。
そんなある日。
玲音の端末に、一通のメールが届いた。
「……ん?」
送り主を見る。
政府関係機関。
件名。
『軌道エレベーター創業50周年記念式典へのご招待』
玲音は眉をひそめた。
「俺に?」
招待状を開く。
そこには、玲音の名前だけでなく――
「……父さんと母さん?」
二人の名前も記載されていた。
玲音は息を呑む。
『藤野玲音様』
『藤野○○様』
『藤野○○様』
三人まとめて招待されている。
「……どういうことだ?」
両親は十年前から行方不明。
なのに。
なぜ今。
「……罠か?」
そう考える。
だが。
もし。
本当に両親の痕跡があるなら。
行かないという選択肢はなかった。
「……行く」
玲音は招待状を閉じた。
数日後。
玲音は小笠原諸島へ向かった。
巨大な輸送船から降りる。
目の前に広がっていたのは――
巨大な建造物。
空へ向かって、どこまでも伸びている。
「……これが」
軌道エレベーター。
地上と宇宙を一本の構造物で繋ぐ、人類最大級の建造物。
完成から五十年。
今も世界中の人々を宇宙へ運んでいる。
「……すごい」
玲音は素直に感動した。
科学者としての興味。
そして。
自分が生きる時代の象徴を目の前にした興奮。
「玲音!」
振り返る。
知り合いだった。
政府関係者や企業関係者。
そして。
会場には世界中から集まった著名人がいた。
政治家。
科学者。
企業家。
軍関係者。
宇宙開発関係者。
誰もが、この五十周年という節目に注目している。
玲音は周囲を見回した。
「……父さん」
「母さん」
二人の姿はない。
当然だった。
十年前から行方不明なのだから。
「……何か手掛かりがあると思ったんだけどな」
玲音は落胆した。
しかし。
その時だった。
ステージ上の巨大スクリーンに、一人の人物が映し出された。
白髪の老人。
その隣には、見覚えのある肖像画。
「……?」
玲音が目を細める。
スクリーンに表示された名前。
四ノ宮零士。
会場から拍手が起こる。
「軌道エレベーターの基礎理論を確立したのも、ドクターゼロでした」
司会者が説明する。
玲音は黙って画面を見つめた。
「……零士」
知っている。
前世の健二の記憶に、最後に登場した男。
だが。
自分が知っている零士は、病室で見た男だけ。
こんな大人物だったとは知らなかった。
司会者は続ける。
「ドクターゼロは、生涯にわたって多くの研究を残しました」
画面が切り替わる。
遺伝子工学。
再生医療。
人工知能。
宇宙開発。
エネルギー。
そして。
「人格情報保存技術」
玲音の目が見開かれる。
「……!」
会場の説明では、その技術は医療分野で研究された後、現在では厳重に管理されているとされていた。
玲音は食い入るように画面を見る。
「……やっぱり」
両親が追っていた研究。
自分の頭に存在するという人格保存チップ。
そして四ノ宮零士。
全部が繋がっている。
「……父さんと母さんは」
その時。
玲音の後ろから声がした。
「君も、ドクターゼロに興味があるのか?」
「……!」
振り返る。
白髪の老人。
胸元には研究者を示す徽章。
「あなたは?」
「私は、四ノ宮研究所の元研究員だ」
玲音は息を呑んだ。
「四ノ宮……」
老人は玲音を見る。
「君は藤野玲音くんだね?」
「……どうして僕の名前を?」
老人は答えなかった。
ただ。
意味深に笑った。
「君のお父さんとお母さんのことも知っている」
玲音の心臓が跳ねた。
「……本当ですか?」
「ああ」
「どこにいるんですか!?」
玲音が詰め寄る。
老人は周囲を確認した。
「ここでは話せない」
「じゃあ、どこで?」
「……」
老人が何かを言おうとした、その瞬間。
会場の照明が一瞬だけ落ちた。
「?」
次の瞬間。
――警報。
けたたましい音が会場中に響き渡った。
「警備システムに異常!」
「何が起きた!?」
「侵入者です!」
人々が一斉に騒ぎ始める。
玲音も立ち上がる。
「……何だ?」
遠くから。
爆発音が響いた。
ドォォォン!!
会場が揺れる。
「きゃあああ!」
「伏せろ!」
悲鳴。
混乱。
警備員が走り出す。
そして。
玲音の目の前を、一人の男が横切った。
普通の人間ではない。
異常な身体能力。
人工的に強化された筋肉。
瞳には機械式の光学装置。
「……強化人間?」
玲音が呟く。
男が叫んだ。
「俺たちは人間だ!」
「人間として扱え!」
その直後。
銃声が響いた。
一発。
二発。
そして――
連続する銃撃音。
玲音は、その場で動けなくなった。
「……何だよ、これ」
五十年前の記憶にはない。
この時代に生きる十五歳の玲音ですら、こんな光景は想像したことがなかった。
そして。
次の瞬間。
遠くで警備員が、特殊な武器を構えた。
「撃つな!」
誰かが叫ぶ。
だが。
もう遅かった。
強烈な閃光が走る。
そして。
その瞬間。
玲音の世界は――
大きく揺れた。




