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八十七歳。
四ノ宮零士は、世界で最も有名な科学者の一人となっていた。
遺伝子工学。
機械工学。
人工知能。
医学。
量子物理学。
そして過去観測技術。
彼が生み出した発明は、人類の歴史そのものを変えた。
その功績から、零士はいつしかこう呼ばれるようになっていた。
――ドクターゼロ。
科学者としての名声だけではない。
四ノ宮グループを世界有数の企業へと成長させ、その資産は莫大なものとなっていた。
世界長者番付――第三位。
しかし。
そんな零士にも、老いだけは平等に訪れていた。
ベッドに横たわりながら、零士は天井を見つめる。
「……もう、八十七か」
身体は思うように動かない。
昔なら一晩で完成させられた計算も、今では目を通すだけで疲れる。
それでも。
「まだ私は……死ぬわけにはいかぬ」
零士は傍らに立つ腹心へ命じた。
「例のものを」
「……はい」
腹心が静かに頷く。
運ばれてきたのは、小さな装置だった。
人格保存チップ。
かつて零士が、別世界で得た技術を元に完成させたもの。
その技術は、すでに何度も改良されている。
記憶。
知識。
人格。
思考傾向。
そして、零士という人間そのものを可能な限り保存する。
「準備はできております」
「そうか」
零士は装置を見つめる。
長い人生だった。
三十九歳。
初めて異相世界へ触れた。
そして五十歳。
健二を探した。
それからさらに多くの世界を見た。
何人もの自分。
何人もの健二。
何度も人生を経験した。
その度に、零士の人格は少しずつ変わっていった。
だが。
それでも、最後まで忘れられなかった男がいる。
「……健二」
零士は小さく笑った。
「結局、お前には一度も会えなかったな」
本当に会えたのか。
それとも、自分の中に作り上げた存在だったのか。
今となっては、零士自身にも分からない。
「まあいい、どうせならあいつが好きだったアニメを現実にしてやったらどんな反応を見せたか見たかったな。」
零士は目を閉じた。
「いつか……また会おう」
人格保存チップが起動する。
電子音が室内に響く。
零士の意識が、少しずつ遠のいていく。
そして――
その日。
四ノ宮零士は、八十七年の人生に幕を下ろした。
「まったく……」
葬儀場へ向かう車の中。
零士の声が聞こえた。
「葬儀は小さなもので良いと、あれほど言ったであろうに」
「蒼汰、何か言った?」
隣に座る母親が尋ねる。
「ううん、何でもなーい!」
少年――四ノ宮蒼汰は笑った。
だが。
彼には聞こえていた。
曾祖父の声が。
もちろん、周囲の誰にも聞こえていない。
なぜなら。
零士の人格保存チップは、すでに蒼汰の脳内に接続されていたからだ。
日本最大規模となった葬儀。
世界中から要人が集まった。
科学者。
政治家。
企業家。
そして、零士の発明によって人生を救われた無数の人々。
誰もが、偉大な科学者の死を悼んだ。
だが。
その棺の中に眠る零士本人は――
「……規模が大きすぎるだろうが」
蒼汰の中で、ぼやいていた。
「曾祖父ちゃん、文句言ってる?」
「うん」
蒼汰は笑う。
「やっぱり何でもない!」
そして。
葬儀の最後。
蒼汰は祖父から一つの名前を受け継いだ。
「今日からお前が、二代目ドクターゼロだ」
「……僕が?」
「ああ」
蒼汰は少しだけ考える。
そして、笑った。
「分かった!」
その日から。
四ノ宮蒼汰は、自らを――
二代目ドクターゼロ
と名乗った。
彼もまた、曾祖父と同じように科学の道へ進んだ。
そして数十年後。
擬似魔法装置。
完全自律型医療ナノマシン。
仮想現実装置。
そして――
人類の常識を覆す、数々の発明。
彼は歴史に名を残す科学者となった。
しかし。
蒼汰自身は知らなかった。
自分の中にいる「曾祖父」が、ただの人格データではないことを。
そして零士自身も、まだ知らなかった。
十を超える世界で得た記憶。
何人もの「自分」。
何人もの「健二」。
そして長い年月をかけて進行していた精神同調。
それらが人格保存チップの中で、複雑に絡み合っていることを。
零士の人生は終わった。
だが。
四ノ宮零士という存在は、まだ死んでいなかった。




