第12話 実態
「こんな穴蔵じゃ、落ち着いて話もできないよね」
詩音は自宅の中を見回しながら、苦笑した。
石造りの壁に囲まれた室内は薄暗く、窓らしい窓もない。
住むには十分なのだろうが、文明崩壊前の生活を知る玲音からすれば、どうにも居心地が悪かった。
もっとも、先ほど解体場でオークの血抜きを見せられたばかりの玲音にとっては、今のところ、どんな場所でもありがたかった。
「ちょっと待ってて」
詩音はそう言うと、持っていたカバンを床に置いた。
そして、中から何本もの蛍光灯を取り出す。
「……え?」
玲音が目を丸くしている間に、詩音は慣れた手つきで蛍光灯を壁や天井に設置していった。
配線をつなぎ、スイッチを操作する。
パッ。
室内が一気に明るくなった。
「詩音さんも、アイテムボックスを持ってたんですね」
「まあね」
詩音は満足そうに頷く。
「ただ、こんな明治か大正時代の骨董品しか残っていないんだ」
「それを言うなら、昭和や平成では?」
「……詳しいね」
「……あ」
しまった。
玲音は内心で頭を抱えた。
この世界では、文明崩壊から二百年が経過している。
明治、大正、昭和、平成という時代区分を、今の住民がどこまで知っているかは分からない。
不用意に口を滑らせるべきではなかった。
「まあ、昔の時代について少し知っているだけです」
「ふうん?」
詩音は意味ありげに玲音を見たが、それ以上は追及しなかった。
「久しぶりだったから、設置に手間取ったよ」
詩音は椅子を引き、玲音に座るよう促した。
「明るくなったところで、話を……って、ごめんごめん」
「はい?」
「まだ顔色が悪いね。薬草茶でも飲みな」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたカップを受け取り、玲音は中身を一口飲んだ。
「……!」
途端に、胃の辺りに残っていた不快感がすっと薄れていく。
頭の重さまで軽くなった気がした。
「すごい効き目ですね……」
「この辺りで採れる薬草を使っているんだ。簡単な不調なら、これでだいぶ楽になるよ」
玲音はカップを見つめた。
医薬品が不足している世界では、薬草の知識も貴重な技術なのだろう。
文明を再建するなら、こうした知識も集めていく必要がある。
「ところで、話というのは?」
玲音が尋ねると、詩音は椅子に腰掛けた。
「君は農業について疑問に思っているよね」
「なぜそれを!?」
思わず声が裏返った。
今朝、テントでAIと話した内容だ。
もちろん、誰かに聞かせたつもりはない。
「ははは。エルフというのは、キツネ並みに耳が良くてね。集落中の話が聞こえるんだよ」
「それは、すごいですね……」
「冗談だけどね」
「……」
玲音は無言で詩音を見た。
「ただ、この集落には耳の良い獣人が多いんだ。彼らが言うには、君のテントからは一切音が聞こえないらしい」
『マスター、あのテントは防音仕様です』
頭の中に、AIの声が響いた。
(……相変わらず、とんでもない高性能だな)
玲音は改めてテントの性能に感心した。
しかし、続く詩音の言葉に、その感心は吹き飛んだ。
「ところで、祝儀は何時にするか決めたかい?」
「……は?」
「君のテントから、火照ったアリスが鼻歌を歌いながら出てきたって、集落中で噂になっていてね」
「ぶっ!?」
玲音は飲みかけた薬草茶を吹き出しかけた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 何の話ですか!?」
「長老という立場上、冠婚葬祭は仕切っているんだ。早めに予定を決めておいた方がいいだろう?」
「ご、誤解です!」
玲音は慌てて手を振った。
「ただ、アリスが石鹸の匂いを気にしていたから、シャワーを勧めただけです!」
「だと思ったよ」
「だったら、どうしてそんな話に!?」
「若い子たちは、面白い話が好きだからね」
「面白がらないでください!」
詩音は楽しそうに笑った。
「まあ、アリスは美人で働き者だからね。若者にも人気があるんだ。変な誤解を招かないように注意しな」
「何を注意するんですか……」
「さあ?」
「長老!」
玲音は深いため息をついた。
ようやく解体場の一件で落ち着いてきたというのに、今度は妙な噂で頭が痛い。
詩音は一通り笑ったあと、ようやく真面目な表情に戻った。
「さて、話を戻そうか」
「……お願いします」
「農業は、三十年ほど前まで細々と続けられていたんだ」
「それじゃあ、なぜ今はやっていないんですか?」
玲音は身を乗り出した。
やはり、農業を知らなかったわけではないらしい。
「近くの山に、ゴブリンのマナスポットができたんだ」
「マナスポット……」
初めて聞く言葉だった。
「最初は、緑豊かな山だったんだよ。それが少しずつ木々を失い、草も生えなくなっていった。気づいたときには、もう手遅れだった」
詩音の表情から、笑みが消えた。
「やがて、ゴブリンが大量に現れた。スタンピードだ」
「……」
「田畑どころじゃなかった。集落まで襲われてね。私たちには、逃げることしかできなかったんだ」
詩音はカップに視線を落とした。
「今の集落がある場所まで逃げ延びる間に、住民の半数が犠牲になった」
「半数……」
「着の身着のまま逃げたから、農具も種もほとんど失った。木材も簡単には手に入らない。家を建てることさえ難しくてね。今の穴蔵暮らしが精いっぱいなんだよ」
玲音は言葉を失った。
農業をやらないのではない。
やれなくなったのだ。
種がなければ、畑があっても作物は育たない。
畑を作ろうにも、魔物の脅威がある。
そして、集落を守るための資材も足りていない。
文明を再建するというのは、単純に便利な道具を持ち込めば済む話ではなかった。
「……食料は、どうしたんですか?」
「最初の一か月は、野草や虫を食べて生き延びたよ」
「虫……」
「この世の地獄だった。できれば思い出したくもないね」
詩音は苦笑したが、その目は笑っていなかった。
「そんなある日、近くに、群れからはぐれたオークがいたんだ」
「オークですか?」
「ああ。最初は抵抗があったよ。人間に近い姿をしているからね。でも、背に腹は代えられない。覚悟を決めて食べてみたんだ」
詩音は少し遠い目をした。
「……驚いたよ。まるで銘柄豚のような味わいだった」
「銘柄豚……」
「それからは夢中で食べた。生きるためには、好き嫌いなんて言っていられなかったからね」
玲音は、今朝の解体場で見たオークを思い出した。
あの巨体。
あの顔。
あの血の匂い。
「……俺には、やっぱり無理そうです」
「ははは。まあ、慣れの問題だよ」
「ところで、そのオークもマナスポットから生まれたんですか?」
「おそらくね。近くにオークのマナスポットがあったんだろう」
「ゴブリンのマナスポットとは違うんですか?」
「モンスターにもいろいろあるからね。少なくとも、この集落ではオークは益獣として扱われているよ」
「益獣……」
玲音は眉をひそめた。
人間に害を与える魔物がいる一方で、人間の食料となる魔物もいる。
単純に、モンスターをすべて駆除すればいいという話でもないらしい。
「それで、ゴブリンのマナスポットを潰すことが、この集落の悲願なんだ」
詩音の声に力がこもった。
「いつか、あの山を取り戻したい。畑を作り、作物を育て、木を植える。子供たちに、私たちが味わった苦労をさせたくないんだ」
「……マナスポットって、潰すことができるんですか?」
玲音の問いに、詩音は頷いた。
「一定量の魔石を祠に納めれば、その土地は人類の領域になる。そうすれば、モンスターも発生しなくなるらしい」
「らしい?」
「この情報も、ドクターゼロの放送で伝えられたものなんだ」
「……また、ドクターゼロ」
玲音の表情が曇った。
文明崩壊の原因に関わり、未来のことまで語っていた男。
そして今度は、マナスポットを攻略する方法まで残していた。
「といっても、あの放送を見て、今も生きているのは私のようなエルフくらいだろうね」
詩音は肩をすくめた。
「人間の寿命では、二百年も前の話だから」
「……」
玲音は黙り込んだ。
ゴブリンのマナスポット。
魔石。
祠。
人類の領域。
どれも、この世界を立て直すうえで避けては通れない問題だ。
そして、それらの情報を残したのは、またしても四ノ宮零士だった。
いや――ドクターゼロ。
(お前は、どこまで予想していたんだ?)
玲音は拳を握り締めた。
(文明が崩壊することも、人類がここまで追い詰められることも……。そして、俺がこの世界で目を覚ますことまで、全部お前の計画通りなのか!?)
答える者はいない。
ただ、二百年の時を越えて、ドクターゼロの残した言葉だけが、この世界に生き続けていた。




