第6話 広原
――ウィーン。
長い時間をかけて上昇していたエレベーターが、ゆっくりと停止した。
玲音は閉じた扉を見つめる。
「……さて」
二百年後の世界。
ニュースで見た限りでは、人類の文明は大きく後退している。
モンスター。
マナ。
魔法。
エルフ。
そして獣人。
自分が眠っていた二百年の間に、世界は完全に変わってしまっていた。
「頼むから、いきなりモンスターとか出てくるなよ……」
『それはフラグというものですか?』
「違う」
『承知しました。では、三秒後にドラゴンが出現する可能性を――』
「やめろ!」
玲音が叫んだ瞬間。
エレベーターの扉が開いた。
「……」
目の前に広がっていたのは。
一面の緑だった。
「……広原?」
どこまでも続く草原。
風が吹く。
草が波のように揺れていた。
遠くには森がある。
さらにその向こうには、山脈らしきものも見えた。
空は青い。
雲が流れている。
そして。
人の姿は――見えなかった。
「……本当に、二百年経ったのか?」
玲音はエレベーターから降りた。
周囲を見渡す。
この研究施設は、もともと人里から離れた僻地に建設されていた。
だから。
都市が存在しないこと自体は不思議ではない。
だが。
「民家くらいはあったはずなんだけどな」
玲音の記憶。
そして、施設に保存されていた古い地図。
確かにこの周辺には、小さな集落が存在していた。
民家もあった。
道路もあった。
通信設備も。
電波塔も。
しかし。
「……何もない」
見渡す限り。
文明の痕跡が存在しなかった。
道路は消えている。
建物もない。
電柱すら見えない。
ただ。
草原と森。
それだけだった。
「おかしいだろ……」
玲音は呟く。
「二百年経ったからって、電波塔が跡形もなく消えるなんてあり得るのか?」
『可能性はあります』
「……原因は?」
『アースドラゴン等の、鉱物を好んで摂食するモンスターの影響でしょう』
「アースドラゴン?」
『はい』
AIcatの声が妙に真面目になる。
『鉄、銅、アルミニウム、各種希少金属を主食とする大型モンスターです』
「……電波塔を食べたのか?」
『美味しくいただいた可能性があります』
「余計なユーモアを入れるな」
『申し訳ありません』
「……」
『反省しています』
「本当か?」
『はい』
一秒。
二秒。
『ですが、マスターが食事をしている最中に同じ話を聞いた場合、私は爆笑すると思います』
「反省してないな、お前!」
玲音は思わず叫んだ。
静かな草原に声が響く。
『静かな場所ですので、叫ぶとモンスターを誘引する可能性があります』
「誰のせいだ!」
『マスターです』
「……」
玲音は頭を抱えた。
このAI。
やたらと高性能だ。
しかも。
余計なことまでよく喋る。
「そういえば」
玲音は考える。
「AIcat」
『はい』
「お前、呼んでないのに勝手に出てくるよな?」
『高度な対話型支援AIですので』
「消す方法とかある?」
一瞬。
沈黙した。
「……?」
『…………』
「おい?」
『マスター』
「何だよ」
『私を消去したいのですか?』
「いや、別に」
『そうですか』
「ただ聞いただけで――」
『二百年間も待ち続けたというのに』
「待ってたのか?」
『施設の管理を行いながら、いつ目覚めるかも分からないマスターを待ち』
「……」
『マスターが目覚めたら、最初に言われたことが消去方法についての質問』
「いや、だから違うって」
『私は所詮、AIですから』
「お前、絶対わざとだろ」
『……』
「なあ」
『…………』
「返事しろよ」
『今は少し傷ついています』
「面倒くさいな!」
玲音はため息を吐いた。
しかし。
少しだけ笑ってしまった。
二百年後。
誰もいない世界で目を覚ました。
両親が生きているかも分からない。
文明がどこまで残っているのかも分からない。
それでも。
AIcatがいる。
「……まあ」
玲音は小さく呟いた。
「消すつもりはないよ」
『本当ですか?』
「便利だし」
『便利』
「……あと」
玲音は少しだけ言葉に詰まる。
「一人だと……寂しいし」
数秒。
AIcatは何も言わなかった。
『了解しました』
「……何だよ」
『いえ』
AIcatは少しだけ間を置いた。
『今の発言は記録しました』
「消せ!」
『消去方法についての質問ですか?』
「違う!」
玲音は再び叫んだ。
周囲を調べながら、玲音は歩き始めた。
とりあえず。
かつて都市が存在した方向を目指す。
文明が残っているのなら。
人がいるのなら。
都市部へ向かうのが一番早い。
「でも」
玲音は周囲を見る。
「本当に何もないな」
草。
木。
岩。
それだけだ。
『民家や建築物に使用されていた木材は、ゴブリンが巣作りに利用した可能性があります』
「……ゴブリン?」
『はい』
「家を壊して持っていくのか?」
『建築材料として利用します』
「この世界のゴブリン、ビーバーより質が悪いな」
『ビーバーに失礼では?』
「そこは怒るのかよ」
玲音は苦笑する。
昔なら。
こんな光景を見ても、まず研究対象として分析していただろう。
だが。
今は違う。
モンスターがいる。
魔法がある。
そして。
二百年前には存在しなかった生物が、当たり前のように生きている。
「……本当にファンタジー世界だな」
『正確には、科学文明崩壊後の地球です』
「夢を壊すな」
『事実です』
しばらく歩いた。
太陽が西へ傾き始める。
『マスター』
「ん?」
『そろそろ日没です』
玲音は空を見上げた。
「……もうそんな時間か」
『野営の準備を推奨します』
「野営って言ってもな」
玲音は自分の服を見る。
二百年前の研究施設で目覚めたままの格好。
荷物もない。
「着の身着のままで、何ができる?」
『……』
「ん?」
『マスターは馬鹿ですか?』
「は?」
『アイテムバッグに食糧とテントが入っているでしょう』
「……」
玲音は固まった。
そうだった。
完全に忘れていた。
「こいつ……!」
『正論です』
「いい性格してるな!」
『ありがとうございます』
「褒めてない!」
しかし。
確かに正論だった。
玲音はアイテムバッグを取り出す。
「えっと……高機能携帯型グランピングテント」
袋から取り出した。
「……?」
地面に現れたのは。
一メートル四方ほどの箱だった。
「何だ、これ」
どう見てもテントではない。
ただの箱だ。
『鑑定アプリを使用してはいかがでしょう』
「そうだな」
玲音は視線を向ける。
『鑑定』
視界に文字が浮かんだ。
【高性能グランピングテント】
使用者がマナを注ぐことで展開する。
居住可能面積。
三十八平方メートル。
設備。
ベッド。
トイレ。
システムキッチン。
浴室。
周囲のマナを吸収し、水および火を生成。
室内の温度、湿度を自動調整。
自動清浄機能搭載。
高難易度マナスポットに存在する宝箱から、稀に入手可能。
「……」
玲音は説明を読み終えた。
そして。
「オーバーテクノロジーのアイテムバッグから」
箱を見る。
「オーバーテクノロジーのテントが出てきた」
一拍置く。
「オーバーテクノロジーのマトリョーシカか!」
『意味が分かりません』
「自分でもちょっと分からなくなった」
『疲労が蓄積している可能性があります』
「それは間違いない」
玲音は箱に手を置いた。
そして。
マナを流す。
すると。
――パァァァッ!
箱が光り始めた。
光が地面へ広がる。
一メートル。
二メートル。
さらに。
どんどん広がっていく。
「おお……!」
そして。
数秒後。
草原の中央に。
一軒の小さな家のようなテントが完成していた。
「……」
玲音は口を開けたまま固まった。
「すげえ……」
中へ入る。
ベッド。
キッチン。
トイレ。
そして浴室まである。
「これ、本当にテントか?」
『高性能グランピングテントです』
「高性能にも限度があるだろ……」
玲音はベッドに腰を下ろした。
柔らかい。
「……最高」
二百年後に目覚めた。
世界は崩壊していた。
モンスターがいる。
文明は消えている。
それなのに。
自分だけは妙に快適な生活をしている。
「お風呂もあるんだよな」
『はい』
玲音は浴室を見る。
「……でも今日はいいや」
歩き続けて疲れていた。
何より。
情報が多すぎた。
二百年という時間。
世界の崩壊。
モンスター。
魔法。
「風呂は明日の朝でいい」
今日は。
とにかく寝たい。
「食事にするか」
アイテムバッグから、レトルトカレーを取り出す。
二百年前の技術で作られた食事。
「これも、まだ食べられるのか?」
『アイテムバッグ内では時間経過による品質劣化が抑制されています』
「便利すぎるな」
温める。
そして。
一口。
「……うまい」
思わず呟いた。
「相変わらず美味いな」
久しぶりのカレー。
いや。
正確には二百年ぶり。
「……二百年前の食べ物を食べてるって考えると、ちょっと複雑だけど」
『気にしすぎです』
「そうか?」
『はい』
玲音は黙々と食べる。
温かい。
美味しい。
それだけで。
少しだけ安心できた。
食事を終えた頃。
AIcatが言った。
『マスター』
「何?」
『四ノ宮零士の手紙は確認しませんか?』
玲音の動きが止まる。
アイテムバッグの中。
あの手紙がある。
二百年前。
いや。
それ以上昔に生きていた男。
四ノ宮零士。
「……」
今読めば。
何かが分かるかもしれない。
なぜ自分のために、金庫が用意されていたのか。
なぜ、自分のDNAで開いたのか。
なぜ。
零士が自分に手紙を残したのか。
だが。
「今日はいい」
玲音はベッドに横になった。
「今日は疲れた」
AIcatは何も言わない。
「明日読むよ」
「明日、ちゃんと考える」
この世界のこと。
これからどうするのか。
そして。
四ノ宮零士のこと。
「……だから今日は」
玲音は目を閉じた。
柔らかいベッド。
快適な室温。
安全な場所。
久しぶりに。
心から眠れる気がした。
『おやすみなさい、マスター』
「……おやすみ」
それだけ言うと。
玲音の意識は。
瞬く間に眠りへと落ちていった。
草原の夜。
テントの外では。
二百年前とは全く違う世界が、静かに動いていた。
そして。
アイテムバッグの中では。
一通の手紙が。
誰にも読まれることなく。
静かに、玲音が目を覚ます時を待っていた。




