第一話 200年の刻
――ピーピーピー。
静まり返った施設の中に、けたたましい警告音が響き渡っていた。
「……う……」
玲音は、ゆっくりと目を開いた。
白い天井。
ぼんやりとした照明。
耳元で鳴り続ける電子音。
「……ここは……?」
声が掠れている。
喉が焼けるように乾いていた。
玲音はゆっくりと周囲を見回した。
巨大な透明カプセル。
その内部を満たしていた液体が、排出されていく。
身体には無数の管が接続されていた。
「……そうだ」
少しずつ記憶が戻ってくる。
自分は藤野玲音。
十八歳の時、両親が見つけてきた治療装置に入った。
軌道エレベーターの事故で損傷した脊髄。
三年間、治療を続けても動かなかった身体。
それを治すために。
「……コールドスリープ」
玲音は呟いた。
両親から聞かされていた。
特殊な再生培養装置によって身体を修復する。
治療期間は十年。
長い。
だが。
十年後には、また歩ける。
そう信じて。
玲音は眠りについた。
「……ということは」
玲音はカプセルの外を見た。
「治療が成功したのか?」
恐る恐る。
右手に力を込める。
指を動かす。
――ぴくっ。
「……!」
動いた。
もう一度。
手を握る。
開く。
「動く……」
玲音の目が大きく見開かれた。
左手。
足。
首。
全身。
「……動く!」
玲音は勢いよく身体を起こした。
ベッドから足を下ろす。
床に触れる。
「……立てる」
震える足に力を入れる。
立ち上がる。
一歩。
二歩。
「歩ける……!」
玲音は思わず笑った。
走る。
ほんの数メートルだけ。
それでも。
走れる。
「……治った」
涙が頬を伝った。
「本当に……治ったんだ」
事故に遭ってから。
三年間。
自分の手足は動かなかった。
手を伸ばすことも。
歩くことも。
走ることも。
自分一人ではできなかった。
それが。
今は違う。
自分の身体が。
自分の意思通りに動く。
「……父さん」
玲音は呟いた。
「母さん」
二人の顔が頭に浮かぶ。
「ありがとう……」
だが。
返事はなかった。
「……?」
玲音は辺りを見回した。
「父さん?」
静寂。
「母さん?」
やはり。
返事はない。
「……先生?」
誰もいない。
玲音は眉をひそめた。
治療が終わったのなら。
両親がいるはずだった。
少なくとも。
誰かが待っているはずだ。
しかし。
施設には。
人の気配がまったくなかった。
「……おかしい」
玲音は歩き出した。
廊下へ出る。
照明はところどころ消えている。
壁には埃。
床にも大量の砂埃。
さらに。
壁の隙間から植物の蔓が伸びている。
「……なんだよ、これ」
玲音は足を止めた。
施設そのものが。
まるで何十年も放置されていたような状態だった。
「……治療施設だよな?」
自動扉を開ける。
その先にあった光景を見て。
玲音は言葉を失った。
「……え?」
施設の外。
そこに広がっていたのは。
巨大な森だった。
かつて施設へ続いていたはずの道路は、植物に覆われている。
道路標識は錆びつき。
建物の一部は崩壊している。
遠くには。
かつて都市だったと思われる巨大な建造物の残骸が見えた。
「……嘘だろ」
玲音は呆然と立ち尽くした。
「俺が眠っている間に……何があった?」
---
玲音は急いで施設へ戻った。
まずは情報を集める。
それしかない。
「落ち着け……」
研究者として。
玲音は自分に言い聞かせる。
「状況を確認するんだ」
幸い。
施設の非常用電源は生きていた。
内部ネットワークも。
最低限の情報端末も動作している。
玲音は網膜デバイスを起動した。
視界の端に現在日時が表示される。
玲音はそれを確認した。
そして。
固まった。
**西暦2478年。**
「…………」
玲音は何度も数字を確認する。
2478。
2478。
何度見ても。
同じだった。
「……待て」
自分が眠ったのは。
「……2288年」
そして。
現在。
「2478年……?」
玲音の顔から血の気が引いた。
「百九十年……?」
いや。
違う。
玲音はすぐに計算する。
2288年から2478年。
「……190年」
十年のはずだった。
それが。
百九十年。
「……何でだよ」
玲音は端末を叩いた。
治療予定期間。
十年。
実際の経過時間。
百九十年。
「……治療が終わってから、百八十年も放置されてたってことか?」
そんな馬鹿な。
玲音は首を振る。
「ありえない」
何かが起きた。
治療施設が放棄された理由。
両親が来なかった理由。
世界そのものが変わってしまった理由。
全部調べなければならない。
「……AIcat」
玲音が呼びかける。
しばらく沈黙した後。
「――システムを起動します」
聞き慣れた人工音声が返ってきた。
「……お前、生きてたのか」
「一部機能が正常に稼働しています」
「外部ネットワークは?」
「限定的に接続可能です」
玲音は安堵した。
「じゃあ、俺が眠ってから今までの重要ニュースを検索して」
「検索期間を指定してください」
「2288年から現在まで」
「了解しました」
大量の情報が視界に表示される。
玲音は古いニュースから順番に確認していった。
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### 2290年
**『改造人間に対する完全な人権保障へ』**
世界各国が、長年議論されていた改造人間の権利問題を解決。
一千万人を超える改造人間が正式な市民権を獲得した。
「……そういえば」
玲音は記憶を探る。
自分が生きていた時代にも。
改造人間は存在していた。
しかし。
二百年近い時間があれば。
社会そのものが変わっていても不思議ではない。
次のニュース。
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### 2296年
**『改造人間と一般人の間に生まれた子供たちに、新たな身体的特徴』**
画面に子供の写真が映る。
人間の顔。
人間の身体。
だが。
頭には獣の耳。
背中側には尻尾。
「……」
玲音は目を疑った。
「獣人……?」
ニュースでは。
遺伝子改変によって生まれた新世代の人類について報じられていた。
さらに。
一度の出産で三人から八人の子供が生まれる例も増加。
将来的に、純粋なホモ・サピエンスが少数派になる可能性が指摘されていた。
「……俺が寝てる間に、人類の遺伝子まで変わったのか」
玲音は呆然とする。
しかし。
本当の異変は。
その後だった。
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### 2304年
**『二代目ドクターゼロ、魔法装置ナノマシンを公開』**
玲音の目が止まった。
「……ドクターゼロ?」
その名前には聞き覚えがある。
四ノ宮零士。
人類史上最高の科学者。
自らをドクターゼロと呼んだ男。
その研究を受け継ぐ者たち。
だが。
「二代目……?」
玲音はニュースを読む。
二代目ドクターゼロが開発した新型ナノマシン。
通称――。
**マナマシン。**
それを大気中へ拡散することで。
人類の進化を促す。
「……魔法装置?」
玲音は苦笑した。
「そんなもの、本当にあるのかよ」
ところが。
半年後。
世界中を騒がせるニュースが報道される。
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### 2304年10月
**『一万人に一人、特殊能力を持つ人間を確認』**
火を操る。
水を操る。
風を操る。
電気を操る。
まるで。
「……魔法」
玲音は呟いた。
そして。
もう一つの特徴。
能力を発現した人間の中には。
耳が長くなり。
肌の老化が極端に遅くなる者がいた。
ネット上では。
彼らをこう呼んだ。
**エルフ。**
「……本当にファンタジーになってる」
玲音は額を押さえた。
だが。
さらにニュースを読み進める。
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### 2319年
エルフの平均寿命。
推定二百五十年以上。
さらに。
エルフ女性による初の出産が確認される。
「……寿命まで変わってる」
玲音は呟いた。
「人間は、もう俺の知ってる人類じゃないな」
しかし。
それ以上の変化が。
世界を襲っていた。
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### 2359年
画面に表示されたニュースを見て。
玲音の表情が変わる。
**『魔素溜まりから未知の生物が発生』**
「……魔素溜まり?」
AIcatが補足情報を表示する。
マナマシンが世界中へ拡散されてから。
約五十五年。
当初。
魔法は一部の人間が使える特殊能力に過ぎなかった。
しかし。
次第に。
異変が起き始めた。
動物。
植物。
そして。
人間。
あらゆる生命がマナマシンの影響を受けるようになった。
野生動物の知能が異常発達。
現代兵器すら通用しない個体が出現。
さらに。
世界各地に。
未知のエネルギーが集まる場所が生まれた。
**魔素溜まり。**
「……モンスターが生まれたのか?」
「はい」
AIcatが答える。
玲音は画面を見つめる。
---
やがて。
人々はSNSで怪物の存在を語り始めた。
『怪物を見た』
『森に化け物がいる』
『あそこは呪われている』
『ドラゴンがいるらしい』
最初は。
ただの噂だった。
しかし。
マナマシンは。
人間の深層意識に反応した。
恐怖。
願望。
伝説。
イメージ。
人々が強く想像したものが。
現実に影響を与え始めた。
「……まさか」
玲音は息を呑む。
「人間の想像が……現実になる?」
「正確には、マナマシンが人類の深層意識と周辺環境を媒介し、現実の物質・生物構造へ干渉したと推測されています」
玲音は黙った。
そして。
ニュースの続きを見る。
世界人口。
半減。
政府機能。
崩壊。
インターネット。
使用禁止。
都市。
放棄。
文明。
後退。
「……」
玲音は何も言えなかった。
二百年近く眠っていた間に。
人類は。
宇宙へ進出する文明から。
モンスターが跋扈する世界へ変わってしまった。
しかし。
AIcatが最後に、一つの情報を表示した。
「なお、マナマシンによる変異は、人類に有害なものだけではありません」
画面に植物が映る。
青白い花。
淡く光る葉。
「軽度の外傷を瞬時に治癒する薬草が確認されています」
さらに。
「魔素溜まり周辺では、重度の外傷や難病を治療可能とされる薬草も確認されています」
玲音は画面を見つめた。
「……治療」
その言葉に。
玲音の胸が少しだけざわついた。
二百年近い時間。
この世界では。
かつて不治の病だったものさえ。
治せる可能性がある。
「……皮肉だな」
玲音は苦笑する。
自分は。
四ノ宮零士の技術によって身体を治してもらった。
そして。
目覚めた世界では。
零士の研究から生まれた技術が。
世界そのものを変えていた。
「……ドクターゼロ」
玲音は呟く。
しかし。
自分には。
零士との思い出などない。
あるのは。
幼い頃に蘇った藤野健二としての記憶。
病院。
家族。
そして。
一度だけ出会った四ノ宮零士の姿。
それだけだ。
「……父さんと母さんは、どこにいるんだ」
返事はない。
玲音は荒廃した施設の外を見る。
森の向こう。
遠くから。
聞いたことのない獣の鳴き声が響いた。
「……」
玲音は身構える。
もう。
自分が知っていた世界ではない。
けれど。
自分は生きている。
歩ける。
そして。
両親を探す理由もある。
「……探さないとな」
玲音は一歩、森へ向かって歩き出した。
その先に。
人類が忘れた文明があるのか。
エルフがいるのか。
獣人がいるのか。
モンスターがいるのか。
それとも。
両親が残した何かがあるのか。
玲音には分からない。
ただ一つだけ。
二百年という時間が。
彼の知らない世界を作り上げていた。
そして。
その世界で。
藤野玲音の新しい人生が始まった。




