第八話 無気力
あの事件から、三年が経った。
玲音は十八歳になった。
窓の外では、雪が降っている。
白い雪が、ゆっくりと街を覆っていく。
「……」
玲音はベッドの上から、それを眺めていた。
三年前。
十五歳だった玲音は、軌道エレベーターの崩壊事故に巻き込まれた。
死者、五万人以上。
そして。
生存者は一人。
藤野玲音。
奇跡の生還者として、世界中で報道された。
だが。
本人にとっては、奇跡でも何でもなかった。
「……三年か」
玲音は呟いた。
首から下は、未だに動かない。
治療技術は進歩している。
何度も手術を受けた。
最新の再生医療も試した。
人工神経接続も試した。
それでも。
自分の手足は動かなかった。
「……」
玲音は天井を見る。
三年前と、何も変わらない。
いや。
正確には、変わった。
身体は成長した。
顔も大人に近づいた。
だが。
心は、あの日から止まっているような気がした。
玲音は、以前なら何でもできた。
勉強。
運動。
研究。
努力すれば、ある程度のことはできた。
いや。
努力しなければできないこともあった。
玲音は天才だった。
だが。
最初から何もかも完璧だったわけではない。
十五歳になるまで。
毎日勉強した。
毎日身体を鍛えた。
分からないことがあれば調べた。
失敗すればやり直した。
その結果。
日本最難関大学どころか、世界最高峰の研究機関からも声がかかるほどになった。
「……頑張ったんだけどな」
玲音は天井を見ながら呟いた。
そして。
全部失った。
歩けない。
走れない。
手を動かせない。
自分で食事をすることすらできない。
最初の頃は。
「いつか治る」
そう信じていた。
一年目。
リハビリを続けた。
二年目。
最新の治療を受けた。
三年目。
「……無理なのかな」
玲音は、初めてそう思った。
テレビをつける。
ニュース。
政治。
経済。
宇宙開発。
そして。
お笑い番組。
玲音はなんとなく、お笑い番組を選んだ。
画面の中では、芸人がくだらないことをしている。
観客が笑う。
「ははは!」
大きな笑い声。
玲音は画面を見る。
「……」
面白い。
そう思う。
何をやっているのかも分かる。
前世の健二だった頃なら。
こういう番組を見るのが好きだった。
仕事が終わって。
病院のベッドで。
くだらない番組を見て。
一人で笑っていた。
「……」
玲音は笑おうとした。
「……ふっ」
口元を動かす。
しかし。
笑えなかった。
「……あれ?」
自分でも不思議だった。
面白い。
ちゃんと面白い。
なのに。
笑えない。
玲音はテレビを消した。
「……何でだよ」
静かな部屋。
「何で……笑えないんだ」
目から涙がこぼれた。
「……」
涙を拭うこともできない。
また。
何もできない。
「……くそ」
玲音は天井を見る。
「もう……いいや」
その言葉が出た瞬間。
自分でも驚いた。
以前の自分なら。
絶対に言わなかった。
「諦めない」
「努力すれば何とかなる」
「まだ方法はある」
そう考えていた。
だが。
今は。
「もういい」
それしか思えなかった。
玲音は、自分が怠けているのだと思っていた。
「もっと頑張らないと」
「リハビリしないと」
「勉強しないと」
「研究しないと」
頭では分かっている。
だが。
身体が動かない。
そして。
何より。
心が動かない。
前世では。
病気でもできることを探した。
本を読む。
テレビを見る。
人と話す。
勉強する。
小さな楽しみを見つけて生きていた。
でも今世は違う。
一度、何でもできる身体を知ってしまった。
走る喜びを知った。
友達と遊ぶ楽しさを知った。
自分の手で何かを作る楽しさを知った。
自分の足で好きな場所へ行く自由を知った。
だから。
それを失ったことが、あまりにも辛かった。
「……前世より、辛いな」
玲音は小さく笑った。
乾いた笑いだった。
そんな日々が続いた。
十八歳の誕生日。
玲音のもとに、いくつかの贈り物が届いた。
研究者仲間。
大学関係者。
以前の知人。
しかし。
両親からの贈り物だけはない。
当然だった。
二人は十年以上、行方不明なのだから。
玲音は届いた箱を見つめた。
「……父さん」
「母さん」
もう何度、この名前を呼んだだろう。
あの日。
両親を探すために、軌道エレベーターへ行った。
そこで。
両親の痕跡を知る人物を見つけた。
だが。
テロが起きた。
そして。
その人物から聞いた。
『生きている』
両親は生きている。
そう思っている。
それだけが。
玲音の心の中に残った、最後の希望だった。
しかし。
三年経っても。
何の連絡もない。
「……本当に生きてるのかな」
初めて。
そんな疑問が浮かんだ。
「……」
玲音は目を閉じた。
「……もう、探すのも疲れた」
その日。
玲音は初めて。
両親を探すことを諦めようとした。
その翌日。
午前十時。
玲音の端末に通知が届いた。
「……?」
普段なら無視する。
だが。
表示された名前を見た瞬間。
玲音の目が見開かれた。
「……え?」
画面には。
十年間。
一度も表示されたことのない名前があった。
藤野父
玲音は呆然とする。
「……嘘だろ」
通知を開く。
『玲音へ』
たった五文字。
それだけだった。
玲音の胸が大きく鼓動した。
「……父さん?」
返信を打とうとする。
しかし。
手が動かない。
「あ……」
当然だった。
玲音には手が動かせない。
思考入力へ切り替える。
『父さん?』
送信。
数秒。
既読。
そして。
返信。
『玲音。無事でよかった』
玲音の目から涙が溢れた。
「……父さん」
十年。
十年だ。
ずっと探していた。
ずっと待っていた。
「どこにいるの?」
返信する。
『母さんも一緒?』
しばらく既読がつかなかった。
やがて。
『ああ』
たった一文字。
玲音は目を閉じた。
「……生きてる」
その瞬間。
胸の奥で。
止まっていた何かが。
ほんの少しだけ動いた。
そして。
父親から次のメッセージが届いた。
『ずっとドクターゼロを追っていた』
玲音の目が見開かれる。
『やっと見つけた』
『そして、あの博士に協力を迫った』
玲音は息を呑んだ。
『お前を治すために』
「……僕を?」
玲音は画面を見つめる。
最後のメッセージ。
『玲音。お前の身体を治す方法がある』
玲音は。
三年ぶりに。
ほんの少しだけ。
生きることに興味を持った。




