第七話 目覚め
知らない天井だった。
白い。
どこまでも白い天井。
玲音はぼんやりとそれを見つめていた。
「……ここは?」
声が掠れている。
喉が痛い。
身体を動かそうとする。
右手。
「……」
動かない。
左手。
「……え?」
動かない。
玲音は眉をひそめた。
「……?」
もう一度、力を込める。
動かない。
腕だけではない。
足も。
指も。
首から下が、自分の身体ではなくなったようだった。
「……動け」
玲音は必死に念じる。
「動けよ……!」
それでも。
何も起きない。
「……なんで」
呼吸が荒くなる。
「なんで動かないんだ……!」
玲音はパニックになった。
前世の記憶が、一気に蘇る。
病院。
白い天井。
ベッド。
動かない身体。
そして。
病気と共に生きた、藤野健二の人生。
「……また?」
玲音の目から涙が流れた。
「また……こうなるのか?」
せっかく。
せっかく健康な身体を手に入れたのに。
走れた。
泳げた。
友達と遊べた。
自分の足でどこへでも行けた。
それなのに。
「……嫌だ」
玲音は震えた。
「嫌だ……」
その時。
扉が開いた。
「藤野さん!」
看護師が入ってくる。
玲音が目を開けているのを見ると、驚いた顔をした。
「先生! 患者さんが目を覚ましました!」
看護師が慌てて端末を操作する。
「分かりますか?」
「……はい」
「自分の名前は?」
「藤野……玲音」
「ここがどこか分かりますか?」
玲音は首を横に振ろうとした。
だが。
首も思うように動かない。
「……分かりません」
「大丈夫です。落ち着いてください」
医師が入ってくる。
身体の状態を確認する。
ライトを目に当てる。
様々な検査をする。
そして。
「意識は正常です」
医師が言った。
「ただし……」
玲音は息を呑む。
「脊髄への損傷が大きい」
「……治りますか?」
「現時点では、何とも言えません」
「……」
玲音は目を閉じた。
やはり。
身体が動かない。
それだけは現実だった。
しばらくして。
玲音は一人になった。
病室には静かな機械音だけが響いている。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
玲音は天井を見つめた。
「……前世と同じだ」
健二としての記憶。
長い入院生活。
自由に動けない身体。
あの頃は仕方なかった。
生まれつきの病気だった。
だが。
今は違う。
「僕は……普通だった」
十五年間。
健康な身体で生きてきた。
その生活を突然奪われた。
「……なんで」
玲音は涙を拭おうとした。
しかし。
手が動かない。
涙はそのまま頬を伝った。
「……くそ」
自分で拭うことすらできない。
それが。
何より辛かった。
しばらくすると。
玲音はふと、自分の視界に違和感を覚えた。
視界の端。
透明な情報表示が浮かんでいる。
「……?」
網膜に埋め込まれたデバイス。
玲音は思考する。
ニュース。
すると。
視界いっぱいにニュース画面が展開された。
「……便利だな」
こんな状況でも。
少しだけ笑いそうになった。
しかし。
トップニュースを見た瞬間。
その表情が消えた。
『22世紀最大規模のテロ事件』
玲音は画面を見つめた。
『本日、小笠原諸島で開催された軌道エレベーター創業50周年記念式典において、大規模なテロ事件が発生しました』
『強化人間による人権要求を目的とした武装テロと見られています』
玲音は黙って画面を見ていた。
『テロリストは軌道エレベーター内部へ侵入』
『警備部隊との銃撃戦の後、内部に設置された爆発物が起動』
そして。
次の映像。
巨大な軌道エレベーターが崩壊していく。
「……」
玲音は言葉を失った。
『軌道エレベーターは大規模な崩壊事故を起こし、周辺施設にも甚大な被害が発生』
『現時点で確認されている死者は――』
数字が表示される。
36,479名。
玲音の呼吸が止まった。
『負傷者、多数』
『救助活動は現在も継続中』
『最終的な死者数は五万人を超える可能性もあると――』
「……五万人」
玲音は呟いた。
五万人。
数字だけなら理解できる。
だが。
その数字の一人一人に人生があった。
家族がいた。
友人がいた。
帰りを待っている人がいた。
「……」
玲音はニュース画面を閉じた。
もう見ていられなかった。
目を閉じる。
すると。
あの時の光景が蘇る。
倒れる警備員。
銃声。
悲鳴。
炎。
そして。
老人。
『君のお父さんとお母さんのことも知っている』
玲音は目を開いた。
「……そうだ」
両親。
両親はどうなった?
あの老人は。
「生きている」と言った。
確かに聞いた。
『生きている』
「……父さん」
玲音は呟いた。
「母さん……」
二人は、この事件に巻き込まれたのか。
それとも。
十年前の失踪と今回のテロは、何か関係があるのか。
玲音には分からない。
「……あの人を探さないと」
四ノ宮研究所の元研究員。
両親の行方を知っている人物。
そして。
四ノ宮零士の研究を知る人物。
「……絶対に見つける」
玲音は決意する。
しかし。
身体は動かない。
ベッドから起き上がることもできない。
「……」
玲音は自分の身体を見つめた。
十五年間。
当たり前だったもの。
歩くこと。
走ること。
手を伸ばすこと。
それらが、突然なくなった。
「……前世と一緒だ」
玲音は呟く。
健二だった頃。
身体は思うように動かなかった。
それでも。
あの時は。
病院という安全な場所にいた。
今回は違う。
両親は行方不明。
巨大テロ事件の生存者は自分だけ。
そして。
自分自身も、身体を動かせない。
「……僕は」
玲音は天井を見つめた。
「何のために生き残ったんだ?」
答えは出なかった。
ただ。
その夜。
玲音は初めて知る。
自分が、今回の事件における――
唯一の生存者だったことを。
そして。
この日を境に。
玲音の人生は、再び大きく変わることになる。




