近衛兵との手合わせ
神父との話が一段落した頃には、窓から差し込む光が少し傾き始めていた。
薬が教会でどう扱われているのか。第二代皇帝がなぜそれを禁じたのか。聞きたかったことは、おおよそ聞くことができた。
国が禁じ、教会は教義を変えなかった。
その結果、今では違法なはずの薬が、教会の理屈では使用を禁じる理由のないものとして残っている。
ずいぶん面倒なことになっているが、事情そのものは理解できた。
「ありがとうございました。ずいぶん勉強になりました」
「いえ。私も久しぶりに昔のことを思い出しました」
神父が穏やかに答える。
隣ではエレナも立ち上がり、帰る準備をしていた。
僕も椅子から腰を上げたところで、一つ気になっていたことを思い出した。
「そういえば、もう一つだけいいですか?」
「もちろんです」
「この教会を守っている近衛兵の中に、かなり強い人はいますか?」
神父が少し意外そうな顔をした。
「おりますが……なぜそのようなことを?」
「エレナと手合わせしてもらえませんか?」
「私ですか?」
帰るつもりでいたエレナが、こちらを振り返った。
「どうして急にそうなるんですか?」
「今の話を聞く限り、教会の近衛兵はあの薬を使ってる可能性が高いでしょう」
薬そのものは、僕の知っているものと同じだと思う。
ただ、僕が生きていた頃にも、飲んだ者全員が同じだけ強くなるわけではなかった。元の魔力量や身体能力によって効果は違うし、使い方にも慣れが必要になる。
今の時代に、どの程度のものとして使われているのかは見ておきたかった。
「実際に戦ったらどれくらい強いのか、ちょっと知りたいんだ」
「でしたら、アルト様が戦えばいいじゃないですか」
「僕が?」
「はい」
当然のように言われた。
確かに、それが一番手っ取り早い。
ただ、僕は別に強い相手と戦いたいわけではない。
「嫌だよ。痛いかもしれないし」
「私ならいいんですか?」
「護衛でしょう?」
エレナが黙って僕を見る。
「それに、たまには強いところを見せてよ」
「この前、アルト様にも二回負けたばかりなんですが」
「だからちょうどいいんじゃない?」
「何がですか」
よく分からないという顔をされたが、僕にも上手く説明できなかった。
神父は僕たちのやり取りをしばらく眺めてから、小さく笑った。
「手合わせ程度であれば、頼めると思います。少々お待ちください」
そう言って部屋を出ていく。
エレナはその背中を見送ったあと、僕へ顔を向けた。
「先に言っておきますけど、私は薬を使っている相手と戦ったことなんてありませんからね」
「うん」
「負けても怒らないでくださいよ」
「怒らないよ」
「本当ですか?」
「エレナが負けるの、もう何度か見てるし」
「今の言い方は嫌です」
はっきり言われた。
しばらくして、僕たちは教会の裏手にある訓練場へ案内された。
屋敷のものほど広くはないが、近衛兵が普段から使っているらしく、地面はきれいに均されている。壁際には訓練用の剣や盾も並んでいた。
ちなみに、服は教会が貸してくれた。おかげで、エレナのお気に入りの服は汚れなくて済みそうだ。
神父が連れてきたのは、三十歳前後に見える男だった。
大柄ではない。ただ、立っているだけでも身体の使い方に無駄がなく、腰の剣にも自然に手が届く位置を取っている。
なるほど。
確かに腕は立ちそうだった。
「こちらが、先ほどお話しした方です」
神父が紹介すると、男は僕たちへ軽く頭を下げた。
「手合わせをご希望とうかがいました」
「お願いします」
答えたのはエレナだった。
さっきまで文句を言っていたのに、訓練場へ出ると表情はすっかり切り替わっている。
二人は刃を潰した訓練用の剣を受け取り、距離を取った。
僕と神父は邪魔にならないところまで下がる。
先に動いたのはエレナだった。
踏み込む直前、脚に魔力が集まる。
朝に僕と戦ったときと同じように、一気に間合いを詰めた。近衛兵はそれを正面から受けず、身体をずらして剣を合わせる。
乾いた音が続けて響いた。
エレナも簡単には崩れなかった。
最初の一撃を避けられると、すぐに身体を返して追う。相手が打ち返してきた剣を受け、そのまま前へ出た。
屋敷で見ていたときより、動きは悪くない。
もっとも、相手にもまだ余裕があった。
近衛兵の身体には、最初から薄く魔力が巡っていた。その量が、打ち合いが続くにつれて少しずつ増えている。
薬を飲んでいる場面を見たわけではない。
ただ、僕の知っている感覚とよく似ていた。
剣と剣がぶつかった瞬間、エレナの身体が押し戻された。
そこへ近衛兵が踏み込む。
エレナはぎりぎりで一撃を受けたが、今度は足が止まった。近衛兵はその隙を逃さず、剣を巻き上げるようにして弾き飛ばす。
訓練用の剣が地面を転がった。
「そこまでです」
神父の声がかかった。
エレナはしばらく空になった手を見てから、地面に落ちた剣を拾った。
「……負けました」
かなり悔しそうだった。
近衛兵は剣を下ろし、少し息を整えている。
僕は二人を見比べた。
「なるほど。ガレス兄上ほどじゃないな」
「基準がそこなんですか?」
エレナが振り返った。
「兄上の方が強いと思う」
「私はその方にも負けて、アルト様にも負けて、今また負けたんですけど」
「そうだね」
「なんか自信がなくなってきました」
見るからに肩を落としている。
さっきまで戦っていた近衛兵も、少し気まずそうにしていた。
僕はエレナのところまで歩いていき、地面に転がっていたもう一本の訓練用の剣を拾った。
「ほら、立って」
「え?」
「一回じゃよく分からないから。どんどんやるよ」
エレナが僕の顔を見た。
次に近衛兵を見る。
それからもう一度、僕を見る。
「まだやるんですか?」
「せっかく頼んだんだし」
「今、私、普通に負けましたよね?」
「うん」
「疲れてもいるんですけど」
「少し休んだら?」
「そういう問題ではない気がします」
そう言いながらも、エレナは剣を握り直した。
二戦目は、最初から慎重に距離を取った。
一戦目で正面から押し切られたのが嫌だったらしく、今度は近衛兵の踏み込みに合わせて横へ動く。
それでも、しばらくすると捕まった。
剣を受けたところから体勢を崩され、肩へ訓練用の刃を当てられる。
「……もう一度お願いします」
エレナが言った。
近衛兵が少し驚いたように僕を見る。
僕は頷いた。
三戦目。
今度はもう少し長く続いた。
エレナは何度か危ない場面をしのぎ、一度だけ相手の脇近くまで剣を届かせた。けれど最後は足を払われ、そのまま地面に尻餅をつく。
「痛っ……」
「大丈夫ですか?」
近衛兵が慌てて手を差し出す。
「大丈夫です。ありがとうございます」
その手を借りて立ち上がったエレナは、土のついた服を払った。
かなり息が上がっている。
僕は近くに置いてあった水差しを渡した。
「少し休もうか」
「……はい」
水を飲みながら、エレナが僕を睨んだ。
「アルト様」
「何?」
「鬼ですか?」
「まだ三回だよ」
「今日の朝から数えたら、もっと負けてます」
それは確かにそうだった。
エレナはしばらく息を整えると、水差しを僕へ返した。それから剣を拾い、待っていた近衛兵の前へ戻っていく。
「すみません。もう一度お願いします」
「まだやるのですか?」
今度は神父まで驚いていた。
「やります」
エレナは答えて構えを取る。
近衛兵も少し困ったように笑ってから、もう一度剣を上げた。
「では、参ります」
「お願いします!」
次の瞬間、また二人の剣が訓練場の中央でぶつかった。




