違法な薬物
町を出てからしばらく歩くと、道の両側から建物が減り、代わりに畑が広がり始めた。
僕の少し後ろを歩くエレナは、さっきから何度か僕の手元を気にしている。正確には、僕が持っている小さな紙袋だ。
中には、先ほどの店で買った暗い色の薬草が入っている。
「それ、本当に持ち歩いて大丈夫なんですか?」
「持ってるだけなら、たぶん大丈夫じゃないかな」
「たぶんですか」
「僕も今の法律にはそこまで詳しくないから」
エレナは不安そうだったが、それ以上は言わなかった。
さっき店の前で大声を出したことを少し気にしているのかもしれない。違法な薬物を買いに来たと後から聞かされたのだから、あれくらい驚くのは普通だと思う。
目的の村は、町から歩いてそれほどかからない場所にあった。
領都に近いこともあって、農家ばかりの小さな集落というほどでもない。街道沿いには宿や鍛冶屋があり、その奥に石造りの教会が見えた。
「あそこですか?」
「うん」
教会の前まで来たところで、エレナが僕より先に足を止めた。
入り口の横に、一人の女性をかたどった石像が立っている。
長い髪を背中へ流し、胸の前で両手を組んだ若い女性だった。穏やかに微笑みながら少し頭を垂れ、教会へ入る人間と同じ方向を向いている。
見覚えのある顔だった。
「聖女セラフィナですね」
エレナの声が少し明るくなった。
「知ってるの?」
「もちろんです。私、聖女様が大好きなんです」
そう言ってから、エレナは像を見上げた。
「初代皇帝陛下をずっと陰から支えていたのに、ご自分の功績を誇らなかった方でしょう? そういうところが素敵だと思います」
「へえ」
僕も一緒に石像を見上げる。
セラフィナのことはよく覚えている。
あれほど人の善意と罪悪感を使うのが上手い人間を、僕は他に知らない。
本人は本気で人を助けようとしていたので、なおさら始末が悪かった。必要だと思えば貴族にも商人にも平然と金を出させるし、人々を動かすためなら僕の名前も皇帝という地位も遠慮なく使った。
建国して間もない頃、僕が知らない間に初代皇帝のありがたい逸話が帝国中へ広まり始めたので調べさせたら、だいたいセラフィナが関わっていた。
本人に尋ねても悪びれる様子はなかった。
少なくとも、僕の記憶にいるセラフィナと、目の前で優しく微笑んでいる女性はあまり似ていない。
「でも、自分の功績を誇らない人なのに像はあるんだね」
僕が言うと、エレナがこちらを見た。
「アルト様、知らないんですか?」
「何を?」
「この像の由来です。有名な話ですよ」
どうやら知らない方がおかしいらしい。
僕が黙っていると、エレナは石像へ視線を戻した。
「もともとは、ここに初代皇帝陛下の像を建てる予定だったそうです」
「僕の?」
「……僕の?」
「ああ、いや。皇帝の」
危なかった。
エレナは少し怪訝そうな顔をしたが、そのまま話を続けた。
「でも、その計画を知った聖女様がお止めになったそうです。神の子である皇帝陛下の姿を人の手で像にするなど恐れ多い、と」
僕は石像を見た。
そんなことを言っていた記憶はない。
そもそもセラフィナが生きていた頃、僕は何度か自分の肖像画を描かされている。そのうち何枚かは、彼女が勝手に各地へ送った。
「それで聖女様は、どうしても皇帝陛下を忘れないための像を置きたいのなら、ご自身の像にするようおっしゃったそうです」
「自分の像に?」
「はい。『皇帝を崇める私の姿を置きなさい』と」
ずいぶん思い切った解決方法だった。
「さらに、像は教会の奥ではなく、入り口に置くよう命じられたそうです。自分へ祈るための像ではない。教会を訪れた人々が、自分とともに神と皇帝陛下へ祈るためのものだから、と」
エレナは感心したように石像を見つめていた。
「だから聖女様の像は、こちらを向いていないんです。私たちと同じように教会の方を向いているんですよ」
「なるほど」
改めて眺めてみる。
確かに像のセラフィナは、ずいぶん慎ましそうだった。
柔らかく微笑んだ顔には慈愛が満ちていて、誰かに金を出させるために逃げ道を一つずつ潰していった女性と同一人物には見えない。
衣服も質素だ。僕が覚えているセラフィナは装飾品に興味こそなかったが、人前へ出るときは見栄えをかなり気にしていた。聖女が貧相に見えれば民衆が不安になる、というのが本人の言い分だった。
この像を作るときにも、たぶん本人がかなり口を出している。
顔も実物より優しそうだ。
後世の彫刻家が気を遣った可能性もあるが、セラフィナなら自分の死後に任せるより、生きているうちに理想的な聖女像を完成させておくだろう。
「やっぱり素敵ですよね」
エレナが言った。
「そうだね」
少なくとも、目的は達成している。
今でもエレナは、セラフィナを心から尊敬しているらしい。
あの人なら満足するだろう。
僕が教会の入り口へ向かうと、エレナもついてきた。しかし扉へ手を伸ばす前に、彼女が思い出したように口を開く。
「それで、どうして教会なんですか?」
「さっきの薬について調べようと思って」
「教会で?」
「ここの神父さんは、昔の記録をかなり集めてるらしいんだ。帝国の歴史にも詳しいみたいだから、何か知ってるかもしれない」
僕は紙袋を少し持ち上げた。
中身を初めて見たときから、心当たりはあった。
見た目も匂いも、前世で使われていた魔力増強剤によく似ている。
作ったのはノアだ。
魔術の研究をしていたかと思えば、軍の術式を簡単にして、次には補給の仕組みを変え、その後はなぜか帝国中に道路を造り始めた男だった。本人に何が専門なのか聞いたこともあったが、「必要なもの」としか答えなかった。
そのノアが作った薬の一つに、飲んだ人間の魔力を一時的に増やすものがあった。
僕の時代には禁止されていなかった。
少なくとも、僕の仲間たちは普通に飲んでいたし、僕も止めたことはない。
ところが、今朝改めて今の法律を調べてみると、この薬は帝国では違法なものとして扱われていた。
禁止したのはヴィクトルらしい。
僕が皇帝を辞めた後、その座を任せた男だ。
何の理由もなくそんなことをする人間ではなかった。
「アルト様?」
エレナの声で顔を上げる。
「どうしました?」
「いや。この薬を禁止したのがヴィクトルだったから、少し気になってね」
「ヴィクトル陛下が?」
「うん」
エレナはまだ何か聞きたそうだったが、僕は教会の扉を開いた。
中は外より少し薄暗く、正面には祭壇が見える。礼拝に来ている人の姿はなく、広い室内は静まり返っていた。
僕とエレナは、そのまま礼拝堂の中へ入った。




