町へ
屋敷を出て町へ向かう間、エレナはいつもより口数が少なかった。
先ほどの手合わせで二度とも負けたことが、やはり悔しいらしい。僕の半歩後ろを歩きながら、ときどき自分の手を見たり、腰に下げた剣へ視線を落としたりしている。
町へ入ると、人通りが増えてきた。辺境の領都といっても、昼前の大通りはそれなりに賑わっている。商人が荷車を押し、店先では焼いた肉や果物が並べられていた。
そんな中をしばらく歩いていると、エレナが口を開いた。
「私、強くなりたいです」
「アルト様が私を強くなると思ってくださっているなら、なおさらです。せっかく認めてもらえたのに、このままなのは嫌です」
僕としては、何を考えているのか分からない人間より、こうして素直にしゃべる人間の方がいい。
それに、今日の服もよく似合っている。いつもの騎士服ではなく、白いブラウスに紺色のロングスカート、その上から薄い茶色の短い上着を羽織っていた。町へ出ると聞いて、わざわざ部屋に戻って着替えてきたらしい。腰にはいつも通り剣を下げているので少し不思議な組み合わせだが、本人によればこの服はかなりのお気に入りだそうだ。
「まあまあ。甘いものを買ってあげるから」
「私のことをなんだと思っているんですか?」
「犬かな」
エレナが足を止めた。
「犬?」
「うん。昔飼ってた犬に似てる」
「どういう意味ですか、それ」
かなり心外らしい。
僕は記憶の中にいた大きな犬を思い出した。
まだ帝国ができる前、拠点にしていた城で飼っていた犬だ。体が大きく、見知らぬ人間には警戒心が強かったが、一度主人と認めた相手にはよく懐いた。賢く、命令もきちんと聞く。
それでいて主人が危険な目に遭えば、自分よりずっと大きな魔獣にも平気で飛びかかっていった。
リゼットたちが好き勝手に城を改造したり、軍隊を連れ出したりしていた頃、あの犬だけは僕の言うことを素直に聞いてくれた。かわいかったな、と今でも思う。
「かなり褒めてるよ」
「犬に似ていると言われて喜ぶ人間は少ないと思います」
「愛情深くて忠実で、いざというとき根性がある犬だったんだ」
「説明されてもあまり嬉しくありません」
「そう?」
「はい。かなり心外です」
はっきり言われた。
ただ、そのまま機嫌を悪くして黙り込むわけではなく、エレナはまた僕の隣を歩き始める。
「それで、どこへ向かっているんですか?」
「もう少し先」
目的の店は、大通りを一本外れた場所にあった。
小さな甘味処で、入り口には果物と牛乳を使った氷菓の絵が飾られている。中へ入ると、エレナの視線がすぐにその絵へ向いた。
「食べる?」
「……いいんですか?」
「そのためにも来たんだよ」
「では、いただきます」
返事が早かった。
席に着き、僕は氷菓を二つ頼んだ。エレナも同じものを選び、少し待つと、小さな器に盛られた白い氷菓が運ばれてくる。果実の蜜がかかっていて、見た目からかなり甘そうだった。
一口食べると、舌が冷たさに驚いたあと、強い甘みが広がった。そのままもう一口食べる。
「アルト様も甘いものがお好きなんですね」
向かい側で、エレナが意外そうにしていた。
「うん。かなり好きだよ」
「かなり、ですか」
「不自然なくらい甘いものが好きなんだ。干し芋みたいな素朴な甘みじゃなくて、砂糖をたくさん使ったようなやつ」
「随分はっきりしていますね」
エレナも一口食べる。
その瞬間、目に見えて表情が明るくなった。
「おいしいです」
「よかった」
「こういう店、あまり来たことがなくて」
「食べられるうちに食べた方がいいよ」
「そんなに勧めます?」
「突然食べられなくなることもあるから」
エレナが首を傾げた。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ」
僕には実際にあった。
前世で皇帝になってしばらく経った頃、僕が干した芋を好んで食べていることを、セラフィナがどこかで知った。
当時、政敵だった王族は贅沢好きで有名だった。そこに目をつけたらしい。
数日後には、皇帝は華美な菓子を好まず、民と同じ素朴な食べ物を愛している、という話が帝都中に広まっていた。
質素倹約を尊ぶ真の王だとか、民の暮らしを忘れぬ神の子だとか、僕の知らないところで話はどんどん大きくなった。
その結果、宮廷で出てくる間食がほとんど干し芋になった。
豪華な菓子を食べれば、それだけでせっかく作られたイメージを壊しかねない。セラフィナ本人は笑顔で「陛下のお好きなものを皆が知れてよかったですね」と言っていた。
あの女だけは本当に信用してはいけない。
「どうしたんですか?」
「昔、おやつが全部干し芋になったことを思い出してた」
「……よく分かりません」
「僕にもよく分からなかった」
エレナは何か聞きたそうだったが、結局は氷菓を食べる方を選んだ。
僕も二つ目を頼む。
「まだ食べるんですか?」
「好きだからね」
エレナは少し笑った。さっきまでよりは肩の力も抜けているようだった。
「でも、ちょっと楽しいです」
「そう?」
「はい。朝は負けたことばかり考えていましたから」
エレナは器の中を見ながら、少し考えるように続けた。
「もしかして、気分転換をさせてくださったんですか?」
「気分転換?」
「一つのことに夢中になりすぎず、少し離れて考えろ、という意味で連れ出してくださったのかなと」
なるほど。かなり好意的に解釈されている。
「違うよ」
「違うんですか?」
「全然。朝のことは特に考えてなかった」
「では、どうして……」
「別の用事があったから」
二つ目の氷菓を食べ終え、僕は立ち上がった。
会計へ向かい、店主に代金を渡す。そのついでに、少し声を落とした。
「お土産に、最高のキャラメルを」
店主の手が止まった。
ほんの一瞬だけ僕を見て、それから何事もなかったように笑う。
「少々お待ちください」
奥へ引っ込み、しばらくして小さな紙袋を持って戻ってきた。どこから見ても普通の菓子袋にしか見えない。
僕はそれを受け取り、そのまま店を出た。
エレナが隣に並ぶ。
「キャラメルも買ったんですか?」
「そうだね」
「随分甘いものを食べますね」
「これは食べないよ」
僕が紙袋を少し開くと、中を覗いたエレナの顔から笑みが消えた。
包み紙の中に入っているのは菓子ではない。細かく砕かれた、暗い色の薬草だった。
「……何ですか、それ」
「違法な薬物」
エレナが足を止めた。
「はい?」
「最近、この町で出回ってるらしいんだ。今日はこれについて調べようと思って」
エレナは僕の顔を見て、それから紙袋へ視線を落とした。
さっきまで甘いものを食べに来ただけだと思っていたらしい。しばらく固まったあと、僕を見上げる。
「……そういう大事なことは、先に言ってください!」
店先に響いた声に、通りを歩いていた人が何人か振り返った。




