エレナの手合わせ
エレナを直属に誘った翌朝、僕は彼女と一緒に訓練場へ来ていた。
少し離れたところでは、ガレス兄上がいつものように朝の鍛錬をしている。僕たちが話している間も、一人で木剣を振っては動きを確かめていた。
「ところで、エレナはどれくらい強くなりたいの?」
僕が聞くと、隣にいたエレナは少し考えてから答えた。
「できることなら、最強の剣士になりたいです」
「最強?」
「はい」
ずいぶん大きく出た。
「とりあえずの目標は?」
「ガレス様です」
エレナは訓練場の中央にいる兄上を見た。
ガレス兄上は十八歳だが、この辺境ではすでにかなり名の知れた剣士だ。僕も毎朝相手をしてもらっているが、まともにやればほとんど勝てない。
なるほど。
最強を目指すなら、まずは身近なところからということらしい。
「じゃあ、戦ってみようか」
「無理ですよ」
返事が早かった。
「戦ったことあるの?」
「ありません」
「なら分からないじゃない」
「そもそも相手にしてもらえませんので」
エレナは当然のように言った。
兄上はヴァレン家の次男で、エレナは屋敷付きの騎士だ。頼んだからといって、普段ならわざわざ手合わせを受けてもらえる立場ではないらしい。
「じゃあ、今日は僕から頼んでみるよ。勝てるかもしれないし」
「ガレス様にですか?」
「うん」
エレナはもう一度兄上を見た。
それから自分の木剣へ目を落とす。
「……確かに」
「やってみる?」
「これでも練習は手を抜いていませんから」
そう言って顔を上げたときには、さっきまでの迷いはなくなっていた。
「お願いします」
話は決まった。
僕が頼むと、ガレス兄上は意外にもあっさり引き受けた。
「こいつとか?」
兄上はエレナを見てから僕を見る。
「うん。目標が兄上なんだって」
「アルト様」
エレナが慌ててこちらを向いた。
「そこまで言わなくてもいいです」
「そうなの?」
「本人を前に言われると恥ずかしいです」
ガレス兄上は笑いながら、壁際に立てかけてあった木剣を一本取った。
「別に構わん。来い」
エレナも木剣を握り直して、訓練場の中央へ出る。
少し緊張しているらしい。それでも兄上から目を逸らさず、何度か足の位置を直してから構えた。
「お願いします」
「ああ」
先に動いたのはエレナだった。
踏み込んで木剣を振る。
兄上はそれを軽く受けた。
次の瞬間にはエレナの身体が崩れていた。
「え?」
木剣が地面へ落ちる。
何をされたのか分からないまま、エレナは足を払われて背中から倒れた。その喉元に兄上の木剣が止まる。
「終わりだ」
十秒もかかっていなかった。
エレナはしばらくそのまま固まっていたが、やがてゆっくり身体を起こした。
「……ちょっと無理でした」
「なんか、いけそうな感じはあるのにね」
「今のを見て、どこにそう思う要素があったんですか?」
エレナはかなり悔しそうだった。
ガレス兄上はそんな彼女に木剣を返すと、僕を見る。
「次はお前か?」
「今日はいいよ」
「何だそれは」
「ちょっと別のことをしたくなったから」
兄上は呆れた顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
エレナは落ちた木剣を拾いながら、まだ自分が負けた場所を見ている。
「アルト様」
「何?」
「もう一度お願いしてもいいでしょうか」
「兄上と?」
「はい」
「今日はやめた方がいいんじゃない?」
「でも、もう少しくらいは――」
「じゃあ僕と戦う?」
エレナがこちらを見た。
「アルト様とですか?」
「うん」
僕は壁際から木剣を一本取った。
「僕に勝ったら、もう一回兄上に頼んであげるよ」
「……分かりました」
エレナはすぐに構えた。
さっきの負けがよほど悔しかったらしい。
「では、お願いします」
「うん」
エレナが動いた。
最初からかなり思い切って踏み込んでくる。
僕はその剣を横へ流しながら距離を詰め、空いた脇へ肩を入れた。
エレナの身体がぐらつく。
そこへ足をかけると、そのまま地面へ倒れた。
起き上がろうとしたところで、木剣を首元に向ける。
「終わり」
今度は五秒くらいだった。
エレナは地面に座ったまま僕を見上げていた。
「……ガレス様より強いじゃないですか」
「どうだろう」
「少なくとも、私には同じくらい何もできませんでした」
それは確かにそうだった。
エレナは立ち上がると、服についた土を払いながら深いため息をついた。
「ショックです」
「そんなに?」
「はい」
かなり本気らしい。
「要領が悪い者同士、少し親近感があったのに。実は強かったなんて」
「僕、そんなふうに見られてたの?」
「毎朝ガレス様に負けていますから」
「まあ、それはそうだけど」
少しだけ事情が違う。
今の僕には、前世で剣を振っていた頃の記憶がある。身体はまだ昔ほど動かないが、相手の剣をどう避ければいいかくらいは分かる。
そう考えると、ちょっとずるではある。
エレナは木剣を拾い、もう一度構えようとしていた。
「もう一回やります」
「まだやるの?」
「今度はもう少し持たせます」
「うーん」
さすがに、このまま続けても急に強くなるとは思えない。
エレナは毎日のように練習している。それでも今は、ガレス兄上どころか僕にも簡単に負ける。
だったら――。
「あ」
ふと思いついた。
エレナが木剣を構えたまま首を傾げる。
「どうしました?」
「そうだ。いい案がある」
「いい案?」
僕は木剣を元の場所へ戻した。
「出かけよう」
「えっ」
「町に行くよ」
「今からですか?」
「うん」
そのまま訓練場を出ようとすると、後ろから慌てて足音が追ってきた。
「待ってくださいよ」
振り返ると、エレナは自分の訓練着を見下ろしていた。
「一応、おめかししてきます」
そう言い残すと、返事を待たずに兵舎の方へ駆けていった。




