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2/15

エレナとの出会い

 翌朝、僕は訓練場には行かず、庭の木陰で本を読んでいた。


 ガレス兄上との訓練が嫌いなわけではない。ただ、毎朝同じように剣を振って、何度も打ち合うのは少し退屈だった。


 昨日までの僕なら、それでも真面目に通っていたらしい。


 前世の記憶が戻ってから、その辺りの感覚も少し変わっていた。


 今読んでいるのは、前の人生でも知っていた小説だった。


 僕が死ぬ少し前に新刊が出て、その先が気になっていたのを覚えている。当時はまだ続きがなかったが、今ではとっくに完結していた。


 これがかなり面白い。


 記憶が戻る前の僕は小説にほとんど興味がなかったらしく、本棚にあるのも歴史書や剣術書ばかりだった。わざわざ町から何冊か取り寄せてもらったが、続きを何十年も待たずに読めるのはなかなか贅沢だった。


 残念なのは、僕が前世で書いた自伝が見つからなかったことだ。


 屋敷の蔵書にもなく、町の書店に聞いても絶版だと言われた。


 一応、初代皇帝本人が書いた本なのだが、それでも残らなかったらしい。


 どうも僕には文才がなかったようだ。


 そんなことを考えながら次の頁をめくろうとしたところで、木剣が風を切る音が聞こえた。


 顔を上げる。


 音は少し離れたところから、一定の間隔で続いている。


 ちょうど区切りもよかったので、本に栞を挟んで立ち上がった。


 音のする方へ向かうと、使用人や兵士が使う小さな練習場に出た。


 一人の女騎士が木剣を振っている。


 見覚えがあった。


 名前は確か、エレナ。


 栗色の髪を後ろでまとめ、訓練着の袖を肘まで上げている。朝の合同訓練はもう終わっている時間だが、一人で残っているらしい。


 エレナは剣を振り下ろすと、一度止まった。


 足元を見て立つ位置を変え、もう一度振る。


 次は踏み込む距離が少し短くなった。


 身体強化はそれほど強くない。剣に流している魔力も少なく、ガレス兄上のような迫力はなかった。


 今のところ、あまり強い騎士ではなさそうだ。


 それでも見ていると、何度も同じ動きを繰り返しながら、そのたびに少しずつ直している。


 そういえば、以前にもここでエレナを見かけたことがあった。


 そのときはガレス兄上との訓練へ向かう途中だったので、そのまま通り過ぎた。考えてみれば、何度か同じ姿を見ている。


 僕はしばらく眺めた。


 自分が毎朝ガレス兄上と打ち合うより、こういう人に強くなってもらった方がいいかもしれない。


 前世でも、強い敵を全部僕が倒していたわけではない。


 リゼットの方が強かったし、ほかにも僕より戦える人間はいくらでもいた。それで特に困らなかった。


 僕は本を片手に練習場へ入った。


「エレナ」


 木剣が止まった。


 振り返ったエレナは僕を見ると少し驚き、すぐに姿勢を正した。


「アルト様。おはようございます」


「おはよう。毎朝やってるの?」


 僕が木剣を示すと、エレナもそちらへ視線を落とした。


「はい。できる日は、合同訓練のあとに」


「そうなんだ」


 エレナは不思議そうに僕を見ている。


 考えてみれば、僕から話しかけたことはほとんどなかった。


「少し話してもいい?」


「もちろんです」


 エレナは木剣を下ろした。


「僕の直属にならない?」


「……私がですか?」


「うん」


 エレナは自分を指差した。


「どうして私なんですか?」


「君がいいと思ったから」


 答えると、エレナはしばらく待っていた。


「……それだけですか?」


「前からここにいるのは見てたし、さっきも少し見てたよ」


「見ていたんですか?」


「うん」


 エレナは急に自分の髪へ手をやった。額には汗も浮いている。


「声をかけてくださればよかったのに……」


「集中してたから」


 エレナは少し恥ずかしそうに髪を整えてから、こちらへ向き直った。


「直属というのは、護衛ということでしょうか?」


「たぶんそれが一番多いかな。外へ出るときについてきてもらったり、必要ならほかの仕事も頼むと思う」


「分かりました」


「父上には僕から話すよ。給金も今より上がると思う」


「それはありがたいですけど……」


 そこでエレナが言葉を止めた。


「どうしたの?」


「一つ、確認してもいいでしょうか」


「何?」


 なぜか急に言いにくそうな顔になる。


「私を、その……騎士以外の目的でそばに置くつもりではありませんよね?」


 一瞬、意味が分からなかった。


 その間にもエレナの顔が赤くなっていき、ようやく察した。


「妾とか?」


「はっきり言わないでください」


 聞いてきた本人の方が慌てている。


 なるほど。


 若い貴族が女騎士をわざわざ直属にするとなれば、そういう見方もあるらしい。


 前世では直属の部下などいくらでもいたので、その発想はなかった。


「それは違うよ」


「そうですか」


 エレナは目に見えて安心した。


「そういう相手なら、もう少し別の基準で選ぶと思う」


「別の基準ですか?」


「見た目とか」


 安心していた顔が止まった。


「アルト様」


「うん」


「今、私に魅力がないと言いました?」


「そこまでは言ってないよ」


「ほとんど同じです」


 エレナの手にある木剣が少し持ち上がったので、僕は半歩下がった。


「頭はやめてね。まだ痛いから」


「打ちません」


 そう言いながらも、かなり腹は立っているらしい。


「でも、今のは失礼です」


「ごめん」


「本当に失礼ですよ」


「それは分かった」


 エレナはしばらく僕を睨んでいたが、やがて木剣を下ろした。


「……では、本当に騎士として私を選んだんですね?」


「そうだよ」


 エレナは僕の顔を見たあと、少しだけ背筋を伸ばした。


「分かりました。お受けします」


「いいの?」


「はい」


 今度は迷わず頷いた。


「アルト様が私を選んでくださったんですよね」


「うん」


「でしたら、やります」


 そう答えた途端、エレナの表情が明るくなった。


「ただ、一つお願いしてもいいでしょうか」


「何?」


「一応、両親に相談してもいいでしょうか。心配されると思うので」


「もちろん」


「ありがとうございます」


 父親は遠方の領主に仕える騎士団長だったはずだ。すぐに会いに行ける距離ではないので、手紙を出すことになるのだろう。


「じゃあ、父上には僕から話しておくよ」


「お願いします」


 エレナは勢いよく頷いた。


 さっきまで僕を睨んでいたのが嘘のように、口元が緩んでいる。木剣を握り直す手まで妙に軽い。


「そんなに嬉しい?」


「はい!」


 ほとんど間を置かずに返事が飛んできた。


 自分でも少し声が大きかったと思ったのか、エレナは一瞬だけ口を閉じる。


 それでも、笑顔はまったく隠せていなかった。


「……嬉しいです」


 そう言って、もう一度大きく頷いた。


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