王都ルミナ
それから数日後、僕たちはリュミエール王国の王都ルミナへ到着した。
城門を抜けたところで、僕は馬車の窓から外を眺める。
最初に目についたのは、道の両脇に立っている警察官だった。二人一組で通りを歩いている者もいれば、交差点に立ったまま行き交う人々を見ている者もいる。その間を役人らしい服装の男たちが忙しそうに行き来していた。
ずいぶん多い。
それに比べて、町を歩く人々は少なかった。
建物も古い。
石造りの家が狭い道に沿って並び、どの建物も窓が小さく、日の光がほとんど中まで入らなさそうだった。店はそれなりにあるものの、帝国領なら普通に見かける魔法を利用した設備がまるでない。夜になれば魔法灯が並ぶはずの大通りにも古い街灯しかなく、店先にも便利な魔導具を使った設備は見当たらなかった。
僕は窓枠に手をついた。
「戻っちゃったなあ……」
「何がですか?」
向かいに座っていたエレナが聞いてくる。
「昔の町並みに」
前世でリュミエール王国を併合したときも、この町はこんな感じだった。
だからノアを送り込んだ。
あいつは嬉々として道路を広げ、古い建物を建て替え、魔法灯を設置し、数年も経つ頃には見違えるほど明るい町にしていた。古くから住んでいた人たちから苦情も出たが、それ以上に便利になったと喜ぶ人の方が多かったはずだ。
それが、ほとんど残っていない。
わざわざ新しく造ったものを壊して、以前の建物に建て直したらしい。
ずいぶん徹底している。
通りを行く人々の顔も明るいとは言い難かった。商人たちの呼び込みも少なく、警察官が近くを通るたびに、話をしていた人たちが声を小さくする。
リュミエール王国には昔から、民に余計な力を持たせるべきではないという考え方があった。
元気があれば余計なことを考え、余裕があれば反乱を起こす。
だから、生かさず殺さず。
僕が嫌いだった王国の伝統も、どうやら立派に復活しているらしい。
「すごいですね」
エレナが窓の外を見ながら言った。
「警察の方がどこにでもいます」
「うん。治安は良さそうだね」
「そういう意味で言ったわけではありません」
馬車が大きな広場へ入ると、やがて速度を落とした。
中央には巨大な石像が立っていた。
長い外套をまとい、片手を胸元へ置いた男の像。その台座には、二代目皇帝ヴィクトル・ラウゼンの名が大きく刻まれている。
ここへ来るまでにも何度か見た。
城門の近くにもあったし、役所の前にもあった。どうやら王都のいたるところにヴィクトルの像を置いているらしい。
「あそこ、人が集まっていますね」
ルーナが広場の一角を指さした。
ヴィクトルの像の前に、小さな人だかりができている。
中心にいるのは、派手な服を着た老人だった。身振りを交えながら大きな声で何かを話している。
「講談師ですね」
エレナが少し嬉しそうに言った。
「せっかくですし、聞いていきませんか? 旅に出たら、その土地の講談師の話を聞くようにと父から言われています」
ルーナも頷く。
「いいですよね。街の雰囲気も分かりますし」
「じゃあ、聞いていこうか」
馬車を降りたところで、僕はイリスを見る。
「イリスも行く?」
「そんなの聞く気しないわ」
イリスは広場に立つヴィクトルの像を見上げると、露骨に嫌そうな顔をした。
「私はちょっと家に戻る。明日、またここに集合しましょう」
「分かった」
イリスは一人で広場を離れていった。
僕たちは人だかりの後ろへ回る。
講談師の周囲には、買い物帰りらしい人や老人、それに十人ほどの子供たちが座っていた。
ちょうど話が始まるところらしい。
講談師は両手を大きく広げた。
「初代皇帝レオン・アウグストは、非常に偉大な人物でありました!」
聞き覚えのある名前が出たので、僕も少し真面目に聞くことにする。
「長きにわたる戦乱を終わらせ、混乱する帝国に平和をもたらした英雄。人々はその偉業を称え、彼を神の子とまで呼びました」
そこまでは悪くない。
「しかし!」
講談師が声を張り上げた。
「英雄の傍らには、一人の邪悪な男がおりました。その名は、宰相ダヴィド!」
僕は黙って瞬きをした。
「権力を欲するダヴィドは、皇帝へ甘い言葉を囁き続けます。やがてダヴィドにたぶらかされたレオン・アウグストは乱心し、平和を愛したかつての姿を失ってしまったのです!」
ずいぶんなことになっている。
「皇帝は各国へ次々と攻撃を仕掛け、帝国主義を世界へ広げていきました。そして我らがリュミエール王国も、その魔手に落ちたのです!」
子供たちが真剣な顔で聞いている。
「帝国によって、リュミエール王国の美しい文化は破壊されました。由緒ある建物は取り壊され、代わりに粗悪で無機質な建物が立ち並びます。神の子は、いつしか恐るべき独裁者へと変わってしまったのであります」
粗悪。
ノアが聞いたら怒りそうだ。
「これほど素晴らしい人物が晩節を汚してしまったことは、何とも悲しいことでありましょう!」
講談師はそこで少し間を取った。
「ですが、神は英雄を最後まで見捨てませんでした。死を目前にしたレオン・アウグストは、ついにその明哲な頭脳を取り戻したのです!」
僕は続きを待つ。
「そして、自らを批判し続けていたヴィクトル・ラウゼンこそが正しいと認め、彼を二代目皇帝に指名しました!」
講談師が背後の像を指さす。
聞いていた人々が一斉にヴィクトル像を見上げた。
「ヴィクトル陛下は平和を愛する皇帝でした。リュミエール王国の自治を回復し、リュミエール王家を再びこの地へお戻しになったのです!」
周囲から拍手が起き始める。
「こうして我々は、帝国に奪われていた昔ながらの生活を取り戻しました。豊かさばかりを求めるのではなく、たとえ貧しくとも家族と共に穏やかに生きる。本当の幸福を、リュミエールの民は再び手にしたのであります!」
講談師が深々と頭を下げた。
子供たちが嬉しそうに拍手する。
僕も拍手した。
隣ではエレナとルーナも拍手している。
話が終わると、周囲の大人たちが立ち上がった。子供たちもそれを真似して立ち上がり、ヴィクトル像へ向かって頭を下げていく。
その中で、一人だけ動くのが遅れた少年がいた。
まだ十歳にもなっていないだろう。
長い話に疲れたのか、小さくあくびをしている。周囲が立ち上がっていることに気づくのが少し遅れ、慌てて腰を上げようとした。
「おい」
低い声が響いた。
少年の身体が固まる。
広場を巡回していた警察官が二人、こちらへ歩いてきていた。
「今、何をしていた」
「え……」
「ヴィクトル陛下へ敬意を示す場だぞ」
「ご、ごめんなさい」
少年は慌てて頭を下げた。
「ごめんなさいじゃない」
警察官の一人が少年の腕を掴んだ。
「立つのも遅かったな。あくびまでしていただろう」
「ちが……疲れてて……」
「言い訳をするな」
少年の目に涙が浮かぶ。
周囲の大人たちは誰も何も言わない。
さっきまで子供たちと一緒に笑っていた講談師も、黙って視線を落としていた。
「皇帝陛下への不敬だ。連れていく」
「待ってください」
少年が泣きながら警察官を見る。
「ごめんなさい。もうしません」
「規則だ。鞭打ちを受けてもらう」
隣でエレナが一歩踏み出した。
その前に、僕は警察官たちの方へ歩いていた。
「やめなさい」
二人の警察官がこちらを見る。
僕は今、聖女メディアの姿をしている。
警察官の表情が変わった。
「せ、聖女様……?」
「聖女メディアの前で、子供を鞭で打つのですか?」
周囲がざわつく。
少年の腕を掴んでいた警察官が、一瞬だけ迷うような顔をした。
だが、すぐに姿勢を正す。
「聖女様。これは我が国の法です」
「そうですか」
「失礼ながら、国の法に介入されるおつもりですか?」
「いいえ」
僕が答えると、警察官は少し安心したようだった。
「でしたら――」
「その子の代わりに、私を鞭で打ちなさい」
警察官の言葉が止まった。
周囲も静かになる。
「……何と?」
「その子には鞭打ちの刑が必要なのでしょう?」
「それは……」
「でしたら、私が代わりに受けます」
二人の警察官が顔を見合わせた。
「しかし、聖女様を鞭で打つなど……」
「私は構いません」
僕はそのまま警察官を見る。
「あなた方は法を守れる。私は自分の信念を守れる。どちらにとっても都合がいいではありませんか」
「ですが……」
「どうぞ」
僕は両手を少し広げた。
警察官は動かなかった。
しばらく沈黙が続いたあと、少年を掴んでいた手が離される。
「……失礼いたしました」
警察官は深く頭を下げた。
「今回は、聖女様に免じて不問といたします」
二人はそれ以上何も言わず、足早に広場から離れていった。
少年はしばらくその背中を見ていた。
やがて僕の方を向く。
「聖女様……」
次の瞬間、少年が僕に抱きついてきた。
かなり強い。
僕は少しよろけながら、その頭に手を置いた。
「大丈夫よ」
メディアなら、たぶんこうする。
少年の髪をゆっくり撫でると、少年は僕の服に顔を埋めたまま泣き始めた。
「アルト様……」
後ろからエレナの声がした。
振り返ると、エレナは感心したように僕を見ている。
その隣では、なぜかルーナが泣いていた。
「あなたは……素晴らしいです」
「ルーナさんまで泣かなくても」
ルーナは何度も首を横に振りながら涙を拭う。
広場の向こう。
建物の陰には、帰ったはずのイリスが立っていた。
人々に囲まれた僕と、僕に抱きついて泣く少年を、少し離れたところからじっと見ている。
「……不思議な人」
イリスは小さく呟いた。




