セラフィナの住居
翌日、僕は一人でセラフィナの住居を訪れていた。
王都の中心部から少し離れた場所にある、白い石造りの屋敷だ。セラフィナが生前暮らしていた場所らしく、今も当時のまま残されているらしい。
本当ならエレナとルーナも一緒に来る予定だったのだが、屋敷の前まで来たところで止められた。
メディアから、僕以外は中へ入れてはいけないと指示されているそうだ。
エレナはかなり不満そうだったが、メディアからの指示では仕方がない。二人には外で待ってもらい、僕だけが屋敷の中へ入ることになった。
扉を開ける。
その瞬間、僕は思わず笑ってしまった。
「これは……」
玄関の正面に、大きな絵が飾られていた。
描かれているのは、若い頃の僕とセラフィナだ。
まだ僕が皇帝になる前だろう。今よりずっと若いセラフィナが笑っていて、その隣で僕も笑っている。
そして、その絵の下には大きな文字で、
『レオン・アウグスト様 歓迎』
と書かれていた。
「準備がいいな」
普通なら百年近く前に死んだ人間を歓迎するための飾りなど、意味が分からない。
けれど、セラフィナは僕が転生することを知っていた。
だからこの屋敷も、いつか僕が来ることを前提に残していたのだろう。メディアには、中の物をできるだけ当時のまま維持するよう伝えていたらしい。
僕は絵の前を通り過ぎ、屋敷の奥へ進んだ。
中にはほとんど人の気配がない。
その代わり、廊下や部屋には様々な物が残されていた。
棚には古い酒瓶や小さな木箱、色の落ちた布飾りまで並べられている。どれも見覚えがあった。
「ああ、これも残してたのか」
手に取ったのは、欠けた銀色の杯だった。
僕たちがまだ若かった頃、セラフィナが酔って落としたものだ。
本人はダヴィドが割ったと言い張っていたが、僕は目の前で見ていたので犯人を知っている。
隣には、僕が昔セラフィナに渡した小さな置物まであった。
高価な物ではない。旅先の露店で見つけて、何となく買っただけのものだ。
そんな物まで、ずっと取っておいたらしい。
棚を眺めながら奥へ進むと、一つの机が目に入った。
机の上には何冊かの本が置かれている。
一番上にあった本を見て、僕は足を止めた。
『レオン・アウグスト伝』
「……これまで残してたのか」
前世で、僕自身が書いたものだ。
文才にはあまり恵まれていなかったと思うし、完成したときにも自信作というほどではなかった。それでも、自分の人生を何かの形で残しておきたくて書いたものだった。
セラフィナは、それをずっと大事に取っておいてくれたらしい。
その隣には、さらに厚い本が何冊か重ねてある。
表紙を開くと、すぐに分かった。
セラフィナの日記だ。
そして、一番上には見慣れた字で短い言葉が残されていた。
『お持ちください』
「遠慮なく」
誰もいない部屋でそう答え、僕は伝記と日記を手に取った。
さすがにここですべて読む気にはならない。
後でゆっくり読もう。
僕はそれらを抱えたまま、さらに奥の部屋へ向かった。
扉を開けると、今度は壁に大きな一枚絵が飾られていた。
いや、普通の絵ではない。
魔法によって人の姿をそのまま写し取ったものだ。
そこにいるのは五人。
僕とセラフィナ、ダヴィド、リゼット、そしてノアだった。
「懐かしいな……」
思わず絵の前まで歩いていく。
ずいぶん若い頃だ。
僕はまだ皇帝ではなく、ダヴィドも今よりずっと細い。リゼットは燃えるような赤い髪を無造作に伸ばし、ノアは相変わらず表情が薄い。その横で、セラフィナだけが楽しそうに笑っていた。
僕自身も笑っている。
こんな顔をしていたのか。
長い人生の中でも、かなり昔のことだ。
まだ帝国もなく、明日のことすらよく分からないまま、五人であちこちを走り回っていた頃。
あの頃は、何を見ても新しかった。
何も持っていなかったはずなのに、不思議なくらい、すべてが輝いて見えた。
しばらく昔の仲間たちの姿を眺めていると、視界の端に白い紙が入った。
「ん?」
部屋の奥の壁に、一枚の紙が貼られている。
近づいてみると、そこにもセラフィナの字があった。
『ここまで来ていただいたお礼に、旧友とのひと時をお届けします』
「旧友とのひと時?」
その下には、小さな木のオブジェが置かれていた。
枝を模した部分に、赤いペンダントがかけられている。
僕はそれを見た瞬間、足を止めた。
「……あれは」
心臓が大きく跳ねた。
見間違えるはずがない。
「あれは、もしかして!」
気づいたときには走っていた。
伝記と日記を片腕に抱えたまま、木のオブジェへ駆け寄る。
そして、赤いペンダントをつかんだ。
その瞬間だった。
足元が激しく光った。
「え?」
床一面に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「しまった」
光は一瞬で部屋中へ広がった。
僕はとっさにペンダントから手を離そうとしたが、もう遅い。
罠を警戒していたはずなのに。
セラフィナの家に一人で入れという時点で、何かあるかもしれないとは考えていた。それなのに、あれを見つけた瞬間、完全に気が緩んでしまった。
僕としたことが。
どこからともなく、讃美歌が聞こえてくる。
同時に、強烈な魔力が身体の中へ流れ込んできた。
「これは……」
抵抗しようとして、すぐに諦めた。
無理だ。
流れ込んでくる魔力があまりにも強い。
それに、この感覚には覚えがある。
セラフィナだ。
「ああ……最悪だ」
この魔法を残すために、セラフィナは自分の寿命の一部まで差し出している。
そこまでして発動させた魔法を、今の僕の身体で打ち破れるはずがない。
光がさらに強くなる。
もう抵抗するだけ無駄だと観念した、そのときだった。
左手が熱くなる。
見ると、薬指の周囲に細い光の輪が浮かんでいた。
「……何だ、これ」
讃美歌が止まる。
代わりに、天井のさらに上から響いてくるような声が聞こえた。
『聖女メディアとアルト、二人に永久の幸運があらんことを』
僕はしばらく動けなかった。
聞き間違いではない。
メディアとアルト。
永久の幸運。
そして、左手の薬指に残った光の輪。
「強制婚姻……」
どうやら僕は、メディアとの間にそういう呪いをかけられてしまったらしい。
魔法陣の光が消え、部屋には再び静けさが戻る。
左手の薬指に刻まれた光の輪だけが、いつまでも消えずに残っていた。




