暗殺者
「この先に、賊がいます!」
少女がそう叫んだのと、ほとんど同時だった。
街道の両脇に広がる森から、何人もの男たちが飛び出してくる。剣や斧を手にした男たちは、僕たちの馬車を見つけると、そのまま一斉にこちらへ向かってきた。
前後の馬車から護衛たちが降りるより早く、御者台にいたルーナが立ち上がった。
「賊ですか!」
さっきまでとは明らかに声の調子が違う。
ルーナが右手を前へ出すと、大きな鋸がその手に現れた。長い刃の周囲には無数の細かな刃が連なっており、持ち手の近くに刻まれた術式へ魔力が流れた瞬間、それらが勢いよく回転を始める。
甲高い音が街道に響いた。
「ちょうど退屈していたところです!」
ルーナは嬉しそうに言うと、御者台から飛び降り、そのまま賊へ向かって走っていった。
相変わらず、あの武器を持っているときだけ妙に楽しそうだ。
僕はすぐにエレナへ目を向けた。
「エレナ」
「はい」
「君も行って。誰も殺さないで」
自分でも分かるくらい、声が低くなっていた。
エレナが一瞬、目を見開く。
普段の僕と違うことに気づいたらしい。僕の顔を少し見つめたあと、それ以上は何も聞かなかった。
「……分かりました」
馬車から飛び降りると、剣を抜いてルーナの後を追っていく。
僕はそこでようやく、街道に立っている少女へ目を向けた。
少女は不安そうな顔をしたまま、こちらを見ている。
「君も危ないから、中に入って」
「え?」
「早く」
僕が馬車の扉を開けると、少女は一度だけ賊たちの方を振り返った。それから小さく頷き、こちらへ駆け寄ってくる。
「ありがとうございます」
「うん」
僕が先に馬車へ入り、少女も続いて乗り込んだ。
扉が閉まる。
外では、すでに戦いが始まっていた。武器同士がぶつかる音に混じって、ルーナの鋸が回転する甲高い音が聞こえてくる。
その直後だった。
少女の右手が動いた。
いつ取り出したのか、その手には小さなナイフが握られていた。
刃が、まっすぐ僕の首筋へ走る。
僕は左手を上げ、その刃を掴んだ。
掌に鋭い痛みが走った。刃が皮膚へ食い込み、指の間から血が流れ始める。
少女の動きが止まった。
僕は刃を握ったまま、彼女を見る。
「ねえ。少し話し合おうよ」
少女は何も答えない。
「僕はメディアじゃないんだ」
その言葉を聞いた瞬間、少女の表情が変わった。
驚いたのはほんの一瞬だった。すぐに口元を緩め、楽しそうに笑う。
「これは愉快ね」
少女はナイフから手を離した。
「さすがは、今を生きる唯一の英雄と呼ばれる女傑メディア。私が来ることを読んで、影武者を用意していたなんて」
僕は掌からナイフを抜き、座席の上へ置いた。
傷は思っていたより深い。血が指先を伝い、床へ落ちていく。
少女はそんな僕の手には興味を示さず、じっと僕の顔を見ていた。
「それで、あなたは誰なの?」
「それは――」
「というより」
少女は僕の言葉を遮り、少し目を細めた。
「どうして私を馬車の中に入れたのよ。私の狙いには気づいていたのでしょう?」
「うん」
「だったら、普通は近づけないと思うけど」
外から男の悲鳴が聞こえた。
続いて、エレナの声が響く。
「ルーナさん! 殺さないでください!」
どうやら、あちらは任せておいても大丈夫そうだ。
僕は少女へ視線を戻した。
「死ぬなら、僕一人の方がいいからね」
少女の眉がわずかに動く。
「君には、僕らが全員でかかっても敵わない。だったら、ここで二人になった方がいい」
「……変な人ね」
少女がそう言った、そのときだった。
右目が、淡く光った。
「……っ」
少女が顔をしかめる。
光はすぐには消えなかった。それどころか徐々に強くなり、少女は右手で目を押さえながら僕から距離を取った。
「なぜ……」
さっきまでの余裕が消えている。
「なぜ、今になって反応が……」
少女は右目を押さえたまま首を振った。
「あり得ない……そんなこと、あり得るはずがない。でも、目が……」
右目から漏れる光がさらに強くなる。
少女は苦しそうに顔を歪め、それでも僕から目を逸らさなかった。
「ノアの遺伝子が……私に告げている」
「ノア?」
「目の前にいる人間が……初代皇帝レオン・アウグストだと……」
次の瞬間、右目の光が一気に強くなった。
「うっ……!」
少女がその場に膝をつく。
僕はすぐに近づいた。
「ノア、やめて」
少女が顔を上げる。
僕はその右目を見ながら、穏やかに続けた。
「彼女は敵じゃないんだ」
返事はない。
それでも、少しすると少女の右目を覆っていた光が弱くなり始めた。
「大丈夫だから。もうやめていいよ」
まるでその言葉に答えるように、光はさらに薄れていく。
少女の荒かった呼吸も、少しずつ落ち着いていった。
やがて、右目は元の色へ戻った。
「……」
少女はしばらく何も言わなかった。
僕から離れると、向かいの座席へ腰を下ろす。
その顔には、さっきまでの余裕はなかった。
「本当に……初代皇帝なの?」
「そうみたいだね」
「そうみたいって……」
少女は呆れたように僕を見る。
僕としては、自分で名乗るよりノアに認められた方が説得力はあると思う。
その頃には、外の音もかなり少なくなっていた。
「降参してください!」
エレナの声が響く。
直後、何か重いものが地面へ倒れる音がした。
ルーナの鋸の回転音も止まっている。
どうやら、賊の鎮圧はほとんど終わったらしい。
少女は窓の外へ一度だけ目を向けると、僕へ視線を戻した。
「それで?」
「なに?」
「私をどうするつもり?」
少女は背もたれへ身体を預ける。
少しずつ、いつもの調子を取り戻しているようだった。
「言っておくけど、今からでも全員殺せるわよ」
「うーん。それは困るな」
「ずいぶん余裕ね」
「別に余裕はないよ」
僕は血の流れている左手へ目を落とした。
ナイフを掴まなければ、本当に危なかった。
少女も僕の手を見る。
しばらくしてから、僕はもう一度彼女へ目を向けた。
「ねえ」
「何よ」
「君の夢を教えてよ」
少女が怪訝そうに眉を寄せる。
「……夢?」
「うん」
僕は少女の右目を見る。
「こんなことまでして叶えたい目標があるんでしょう?」
少女は答えなかった。
「それを僕が叶えてあげよう」




