聖女の身代わり
男が僕に向けて手をかざすと、身体の内側を何かがゆっくりと流れていくような感覚がした。
痛みはない。ただ、手を見ると指が少しずつ細くなっている。腕も同じように細くなり、視線の高さまでゆっくりと下がっていった。
「……本当に変わってるね」
自分の声にも、すでに少し違和感があった。
そんな僕の様子を眺めながら、メディアは何事もないように話を始めた。
「セラフィナ様は晩年、終の住処をリュミエール王国に定められました。ノア様が暮らしていた国ですね」
「セラフィナが?」
「はい。王都からは少し離れた場所に、小さな家が残っています」
髪が肩を越えて伸びていく。視界の端に入った色は、メディアと同じものだった。
僕がそれをつまんで眺めている間も、メディアは続ける。
「その家には、セラフィナ様が亡くなる前に少し変わった決まりを残していまして。次の聖女以外は、中へ入ってはいけないことになっています」
「ずいぶん厳しいね」
「おかげで私が掃除をしています」
「聖女が?」
「年に一度ですけどね」
メディアは笑顔で頷いた。
どうやら冗談ではないらしい。
「普段なら今年も私が行くところなのですが、少々問題がありまして」
「問題?」
「近いうちに、私が暗殺されるという予言が出ました」
ずいぶん軽い調子で言う。
僕は伸び続ける髪を見ていた手を止め、メディアへ顔を向けた。
「それ、大丈夫なの?」
「おそらく大丈夫ではありません」
「そうなんだ」
「ですので、今年はアルト様に私の代わりをお願いしようかと」
そこでようやく話がつながった。
僕がメディアの姿になる理由は、単にこの男の趣味に付き合わされているからではなかったらしい。
いや、趣味であること自体は間違いなさそうだけど。
「僕がメディアの代わりに、その家へ行くってこと?」
「はい。先ほどお渡しした地図の遺跡も、ちょうど同じリュミエール王国にあります。私の代わりに家を掃除していただいて、そのついでに遺跡へ行っていただければ、無駄がないでしょう?」
「なるほど」
確かに、それなら僕にとっても悪い話ではない。
そう考えているうちに、身体の変化が止まった。
「終わりました」
男が満足そうに手を下ろす。
何となく自分の頬を触ってみる。髪も、手も、身体つきも、さっきまでとはまるで違っていた。
「鏡をどうぞ」
男から渡された鏡を覗き込む。
そこにはメディアがいた。
顔立ちも髪も完全に同じだ。鏡の横から本物のメディアが顔を出すと、同じ顔が二つ並んだ。
「すごいですね。私が二人います」
「声まで同じなのかな」
口を開いた瞬間、自分で驚いた。
聞こえてきたのは、僕の声ではない。
隣にいるメディアとまったく同じ声だった。
「……これ、相当まずい魔法なんじゃない?」
顔だけならまだしも、身体も声もここまで完全に変えられる。
使い方次第では、王族だろうが貴族だろうが簡単になりすませそうだった。
メディアも鏡の中の僕を見ながら頷く。
「はい。この魔法の使い手が、可愛い女の子にしか変化させたくないという強いこだわりを持った変態でなければ、世界の均衡を変えていたかもしれません」
「安心してください」
男が胸を張った。
「女の子以外へ変化させるなど、私は考えたくもありません。想像しただけで吐き気がします」
「そうなんだ」
「はい」
男は誇らしげだった。
誇ることなのだろうか。
少なくとも、この魔法が世の中で好き勝手に使われていない理由だけは分かった。
僕は鏡を男へ返すと、メディアに話を戻した。
「でも、それって僕が代わりに暗殺されるんじゃないの?」
メディアは一瞬きょとんとしたあと、楽しそうに笑った。
「アルト様が死ぬわけがないではないですか」
「ずいぶん信用するね」
「当然です。『汝、暗殺者を愛せ』と言ったアルト様ですよ?」
「それは違うよ」
僕はすぐに否定した。
そんな立派なことを言った覚えはない。
「皇帝になったあと、ヴィクトルに言われたんだよ。暗殺を企てる人間があまりにも多いから、一度大規模な粛清をした方がいいって」
ヴィクトル・ラウゼン。
僕の死後、二代皇帝になった男だ。
あの頃は何度捕まえても次の暗殺者が出てくるので、さすがのヴィクトルもかなり苛立っていた。
「でも、そんなことをしてもきりがないでしょ。だから、殺されなきゃいいんだから気にするなって言っただけ」
「それをセラフィナ様が聞いていたのですね」
「そうみたいだね。いつの間にか教義にされてたけど」
僕としては、暗殺者を愛した覚えなど一度もない。
単に全員を相手にするのが面倒だっただけだ。
メディアはしばらく僕を見つめたあと、笑顔のまま首を傾けた。
「でも、ということは暗殺者に殺されない自信はあったのでしょう?」
「まあね」
「では、問題ありませんね」
そう言われると、反論するところがなくなった。
相手が誰なのかは知らないが、僕もわざわざ殺されるつもりはない。それにセラフィナが最後に暮らした家には興味があるし、その先にはノアの遺跡もある。
「分かった。やるよ」
僕が答えると、メディアは満足そうに手を合わせた。




