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父の誤解

 ルーナが僕の従者になってから、三日ほど経った。


 今のところ、大きな問題は起きていない。


 少なくとも、僕が知る限りでは。


 そんなことを考えていた日の午後、僕は父上から呼び出された。


 場所は父上の執務室だった。


 部屋に入ると、机の向こうに父上――レオニス・ヴァレン辺境伯が座っていた。


 その隣にはセドリック兄上もいる。


「失礼します」


「来たか、アルト」


 父上は腕を組んだまま、じっと僕を見る。


 なんだろう。


 妙に空気が重い。


 しかも、セドリック兄上までいる。


「それで、僕は何かしましたか?」


「ほう」


 父上が片方の眉を上げる。


「何もしていないと?」


「はい」


 少なくとも、父上に怒られるようなことをした覚えはない。


 最近は黒鱗の件も片付いたし、屋敷では大人しくしている。


 教会とのやり取りは多少あるけれど、それだって別に悪いことではない。


 父上はしばらく僕を眺めたあと、低い声で言った。


「最近は随分、好き勝手やっているようだな」


「……なんの話ですか?」


「わしはな、アルト。お前のことを、才には乏しいが、真面目で心優しい子供だと思っていた」


「はい」


 ずいぶんな評価だった。


 才には乏しい、は余計だと思う。


「だが、最近は考えを改めている」


 父上は机の上で指を組んだ。


「今のお前は、むしろこの家で一番危険な存在なのではないかとな」


「僕が?」


 意味が分からない。


「なんの話ですか?」


「まだとぼけるか」


「いや、本当に分からないんですけど」


 父上は僕を睨んでいる。


 僕も父上を見る。


 しばらく無言の時間が続いた。


「先に言っておきますけど、僕には野心なんてありませんよ」


「ほう?」


「家督にも興味はありません。将来は伝記を書く作家になるつもりですから」


「……伝記?」


「はい」


 これは本気だった。


 前世での後悔はいくつかある。


 その中でも、かなり大きなものが一つ。


 僕の伝記が後世に残らなかったことだ。


 一応、自分で書こうとはした。


 戦争のこと。


 政治のこと。


 僕が何を考え、何をしたのか。


 後世の人間にも分かるように、かなり詳しく書いたつもりだった。


 しかし、どうも僕には文才がなかったらしい。


 完成した原稿を読んだ側近から、ひどく微妙な顔をされたことを今でも覚えている。


 結局、出版されることはなかった。


 今世こそはと思っている。


 自分で自分の伝記を書くのが難しいなら、他人の伝記から練習すればいい。


「はあ……」


 父上が深いため息をついた。


「そこまで脅しても正体を出さぬか」


「正体?」


「お前が裏で教会と何かしていることは分かっておる」


「……」


「表では能天気な顔をして、裏では策謀を巡らす。とんだ食わせ者だな」


「いやー。そんなことは」


 ない。


 と言い切りたいところだけれど、教会とは実際に色々あった。


 メディアとも。


 セラフィナとも。


 その辺りをすべて説明すると、さらに面倒なことになる気もする。


 僕が黙っていると、父上は勝ち誇ったような顔をした。


「図星か」


「違います」


「まあいい」


 父上は椅子にもたれかかった。


「今日お前を呼んだのは、その話だけではない」


 ようやく本題らしい。


「実は先ほど、教会から正式な使者が来た」


「教会から?」


「ああ。聖女メディア様からだ」


 嫌な名前が出てきた。


「メディア様が近く、隣国のリュミエール王国を訪問されるそうだ」


「そうなんですか」


「そこで、お前に護衛として同行してほしいとの依頼があった」


「僕が?」


「ああ」


 ますます意味が分からない。


 聖女の護衛なら教会の騎士がいくらでもいる。


 わざわざ辺境伯家の三男坊を連れていく理由なんてない。


 つまり。


 またメディアが何かおかしなことを企んでいる。


「だが」


 父上が言った。


「わしは認めるつもりはない」


「そうですか」


 よかった。


 思わず安心してしまった。


 何を考えているのかは知らないけれど、父上が許可を出さない以上、僕にはどうしようもない。


 辺境伯家の人間である以上、勝手に外国へ行くわけにはいかないからだ。


 今回は僕の勝ちだ。


 メディアには悪いけれど、諦めてもらおう。


「父上」


 そのときだった。


 それまで黙っていたセドリック兄上が口を開いた。


「少しよろしいでしょうか」


「なんだ?」


「実はアルトとメディア様は――」


 兄上が父上のそばへ寄る。


 そして、何かを耳打ちした。


 僕には聞こえない。


 けれど。


 嫌な予感しかしない。


「……兄上?」


 セドリック兄上はこちらを見た。


 そして、少しだけ優しい顔で笑った。


 やめてほしい。


 その顔は昨日も見た。


「そういうことか!」


 突然、父上が大声で笑い始めた。


「はっはっはっはっ!」


「……何がですか?」


「なるほどな! そういうことなら話が違う!」


「何も違いませんけど」


「アルト!」


 父上が立ち上がった。


 そして満面の笑みで僕の肩を叩く。


「さすがはわしの息子だ!」


「はい?」


「惚れた女には敵わんな!」


「違います」


 即座に否定した。


「メディアとはそういう関係じゃありません」


「分かっておる、分かっておる」


「絶対分かってないですよね」


「照れるな」


「照れてません」


 父上はますます機嫌をよくした。


「良いか、アルト。色恋のことならわしに聞け。これでも若い頃はそれなりに浮き名を流したものだ」


「聞きません」


「女心というものは難しい。追えば逃げる。だが引きすぎてもいかん。そこに駆け引きというものが――」


「だから違いますって」


「隠さなくていい」


 どうして誰も僕の話を聞いてくれないんだろう。


「だいたい、聖女様がわざわざお前を指名して外国まで一緒に来てほしいと言っているのだぞ?」


「何か別の理由があるんですよ」


「ほう」


 父上が目を細める。


「ならばお前は、聖女様からの頼みを断るのか?」


「父上が許可しないなら仕方ないですよね」


「わしは許可するぞ」


「さっきまで認めないって言ってましたよね?」


「事情を知らなかったからな」


 なんという手のひら返しだ。


「アルト」


 父上が真剣な顔になる。


「愛する女を売るような男にはなるな」


「だから愛してません」


「ほら」


 父上が懐から小さな袋を取り出した。


 僕の手に押しつけてくる。


 ずしりと重い。


「なんですか、これ」


「金だ」


「それは分かります」


「持っていけ」


「どうして?」


「お前、その格好で聖女様と外国へ行くつもりか?」


 僕は自分の服を見る。


 いつも通りだ。


 特に問題があるようには思えない。


「そんな格好では駄目だ。しっかりした服を買いなさい」


「いりませんよ」


「受け取れ」


「いや」


「受け取れ」


 父上が僕の手を両手で包み、そのまま金貨の入った袋を握らせてきた。


「男なら、惚れた女の前では格好をつけろ」


「惚れてません」


「足りなければ言え」


「聞いてます?」


 父上は聞いていなかった。


「セドリック!」


「はい、父上」


「出発までに仕立屋を呼べ。アルトの服を何着か新調させろ」


「分かりました」


「兄上まで」


 セドリック兄上は笑っていた。


 その顔を見て、僕はようやく理解した。


 これがメディアの狙いだったのかどうかは分からない。


 だけど。


 少なくとも結果だけを見れば。


 父上に反対されて終わるはずだった話が、一瞬で許可されてしまった。


 しかも服まで新調されることになった。


 金まで渡された。


 僕は手の中の袋を見る。


 それから、満足そうに笑っている父上を見る。


 こうかてきめんじゃないか。


 僕は小さく息を吐いた。

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