エレナの祝勝会
店の中は、まだ夜も早いというのにかなり賑わっていた。
教会が経営している店だけあって、以前ルーナに連れてきてもらった店とは雰囲気が違う。客の大半は教会の関係者らしく、近衛兵の姿もちらほら見える。
僕たちは奥の大きなテーブルを囲んでいた。
「今日こそアシュレイさんに会えると思っていたんですけどね」
席についてからしばらくして、エレナが少し残念そうに店内を見回した。
前に話を聞いてから、一度くらい本人を見てみたかったらしい。
「今日は来てないみたいだね」
「そうみたいですね……」
エレナが肩を落とす。
人生で一度会えれば幸福だとか、そのために破産する人間までいるとか聞かされているのだから、気になるのも分からなくはない。
「まあまあ、今日はエレナさんのお祝いなのですから」
隣からルーナが楽しそうに声をかけた。
すでに頬が赤い。
店に入ってすぐ酒を注文し、乾杯してからそれほど時間も経っていないはずなのだが、ずいぶん楽しそうだった。
「ほら、もう一杯飲みましょう」
「私はあまり強くありませんから」
「今日はお祝いですよ。少しくらい大丈夫です」
「その少しくらいが、さっきから何杯も続いているんですけど」
そう言いながらも、エレナは笑っている。
今日の勝利がよほど嬉しかったらしい。教会に来てからずっと機嫌はよかったが、今も普段より表情が明るかった。
「しかし、最後の踏み込みはよかったですよ」
向かいに座っていたアーサーが、杯を置きながら言った。
さっきからエレナは今日の勝負について、アーサーから色々と話を聞いている。
「ただ、その前に一度下がったでしょう。あれは少し危なかったですね」
「二撃目を避けたところですか?」
「ええ。僕がもう半歩踏み込んでいたら、追いつけたと思います」
エレナは真剣な顔で頷いた。
「なるほど……。距離を取りすぎましたか?」
「そうですね。ただ、避けた後の判断は速かったです。刀を戻す前に入られたので、こちらはどうしようもありませんでした」
「ありがとうございます」
祝勝会なのだが、二人の間だけは半分くらい反省会になっていた。
それでもエレナは楽しそうなので、好きにさせておけばいいだろう。
「まったく」
僕の隣では、ミシェルが小さく息を吐いた。
「お酒で身を持ち崩すなんて、私には到底理解できません」
そう言って杯を空にする。
すぐに店員へ手を上げた。
「同じものをお願いします」
これで何杯目だろう。
少なくとも、僕よりは飲んでいる。
「ミシェル、酒豪だね」
僕が言うと、ミシェルがこちらを向いた。
頬は少し赤くなっているが、目はまだしっかりしている。
「あら」
「なに?」
「私はあなたが嫌いです」
「知ってるよ」
「だから、もっと飲みなさい」
そう言って、僕の杯に酒を注いでくる。
随分な量だった。
「酔うと気が荒くなるタイプなんだね」
「何か言いましたか?」
「何も」
「では飲んでください」
杯を押しつけられた。
仕方なく口をつける。
向かいではルーナがいつの間にか近衛兵たちのテーブルに混ざり、楽しそうに杯を掲げていた。
「今日は本当にめでたい日ですね!」
「ルーナさん、もう少しゆっくり飲んだ方が……」
エレナが心配そうに声をかける。
「大丈夫ですよ。私はまだ全然酔っていませんから」
かなり酔っている人がよく言う言葉だと思う。
その横では、アーサーも店員に新しい酒を頼んでいた。
「アーサーさんも結構飲みますね」
「今日は負けましたからね。これくらいは飲ませてください」
「それなら私がおごります」
「勝った人におごられると、余計に情けなくなるんですが」
エレナが笑った。
僕も杯を空にすると、すぐ横からまた酒が注がれる。
「ミシェル」
「何ですか?」
「ちょっと多くない?」
「まだ喋れるなら大丈夫です」
「どういう基準なの、それ」
「いいから飲んでください」
どうやら本気で僕を酔わせたいらしい。
僕も酒にはそれなりに強いつもりだったのだが、ミシェルはまったく速度を落とさなかった。
しばらくすると、店内が妙に揺れて見えるようになった。
「アルト様?」
隣からエレナの声が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「全然大丈夫そうに見えませんけど」
身体を起こそうとしたが、思ったより力が入らない。
そのまま椅子の背にもたれると、エレナが慌ててこちらへ寄ってきた。
「ちょっと、アルト様。本当に飲みすぎですよ」
「ミシェルがどんどん入れてくるから」
「人のせいにしないでください」
ミシェルの声がする。
そちらを見ると、彼女は僕よりずっと飲んでいるはずなのに、まだ普通に座っていた。
少しだけ得意そうな顔をしている。
「満足?」
「ええ、とても」
ひどい人だ。
エレナが僕の身体を支えてくれる。
「お水をもらってきますね」
「ありがとう」
返事をしたところで、急に眠気が強くなった。
遠くから歌声が聞こえる。
ルーナだった。
いつの間にか立ち上がって、近衛兵たちと肩を組みながら讃美歌を歌っている。
教会の人間が多い店なので、周りも普通に合わせ始めていた。
少し離れたところでは、アーサーが知らない女性の隣に座っている。
「いやあ、実は僕、今日かなり惜しいところまでいったんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。ほんの少しですよ。本当に」
負けた話で女性を口説こうとしているらしい。
あまり成功する気はしなかった。
「アルト様、水です」
戻ってきたエレナが杯を差し出してくれる。
受け取ろうとしたところで、手がうまく動かなかった。
「もう。私が持ちますから」
「お願い」
エレナに杯を持ってもらい、そのまま少しだけ水を飲む。
気持ちよかった。
そのあたりまでは覚えている。
その後のことは、ほとんど記憶に残っていなかった。
◇
テーブルに突っ伏したアルトを見て、ミシェルは満足そうに頷いた。
「これで少しは静かになりましたね」
「ミシェルさん、飲ませすぎですよ」
アルトの隣で介抱していたエレナが苦笑する。
「本人も飲んでいたんですから、私だけのせいではありません」
「ほとんどミシェルさんが勧めていた気がしますけど……」
ミシェルは聞こえなかったことにした。
酒を飲んで少し身体が熱くなっているが、意識ははっきりしている。
ルーナは相変わらず讃美歌を歌っていた。
今では周囲の客まで巻き込んでいる。
アーサーはというと、少し離れた席で女性相手に楽しそうに話をしていた。勝負で負けたことなど、もう気にしていないらしい。
「少し席を外します」
「はい」
エレナに声をかけ、ミシェルは席を立った。
用を済ませて戻ろうとしたところで、階段の方から声がした。
「あら、あなた」
ミシェルが足を止める。
二階へ続く階段の途中に、一人の女性が立っていた。
長い金髪の、美しい女性だった。
「珍しいわね。このお店にいらっしゃるなんて」
女性は楽しそうに笑っている。
ミシェルは少し考えてから、その顔に見覚えがあることに気づいた。
「たしか、アシュレイさんでしたっけ」
「名前なんて何でもいいわ」
アシュレイはそう言うと、階段の手すりに軽く身体を預けた。
「今日は暇なの。少しだけお話してくださらない?」
普段なら断っていた。
知らない相手についていく理由もないし、今はエレナたちと一緒に来ている。
けれど、今日は少し酒を飲みすぎたのかもしれない。
「……少しだけでしたら」
「あら、嬉しい」
アシュレイが笑い、二階へ向かって歩き始める。
ミシェルもその後を追って、階段を上っていった。




