聖女メディアの依頼
メディアはしばらく金色のかつらを直していたが、結局うまく収まらなかったらしい。
「やっぱり邪魔ですね、これ」
そう言って、あっさりと外して机の端へ置いた。
エレナはその一連の動きをどう受け止めればいいのか分からないらしく、立ったまま困ったような顔をしている。
「まあまあ、座ってください。今日はそんなに堅苦しい話ではありませんから」
メディアに促され、エレナは何度か迷った末に長椅子へ戻った。僕も隣に座る。
目の前の女性が聖女だと言われても、まだ少し違和感があった。
もちろん、メディアのこと自体は僕も知っている。
セラフィナが死んだとき、メディアはまだ四歳だった。
もともとは孤児だったが、セラフィナに引き取られ、実の子供のように可愛がられていたらしい。セラフィナは周囲に何度も、あの子は天使だと言っていたそうだ。
僕が死んだ後の話なので直接見たわけではないが、その後のメディアについてはかなり有名だった。
幼い頃から非常に利発で、五歳の頃には聖女として必要な儀式を一通りこなし、十歳になる頃には教会全体を取り仕切っていたという。
特に有名なのは、十五歳で成人したときの演説だ。
平和への思いを語ったその演説は帝国内で広く知られ、今でも聖女メディアを語るときには必ずと言っていいほど名前が挙がる。
そういう話だけ聞いていれば、セラフィナが天使と呼んでいたのも分からなくはない。
ただ、実際に会ってみると印象はかなり違った。
僕の向かいでは、その伝説の聖女が長椅子に座り、外したかつらの毛先を指でくるくると巻いて遊んでいる。
なんとなくセラフィナに似ている。
顔立ちが似ているわけではない。それでも、娘だと言われれば妙に納得できるものがあった。
外から見える部分には非の打ち所がないのに、中身がかなりめちゃくちゃなところまでそっくりだ。
「あの、聖女様」
隣からエレナの声がした。
見ると、さっきまで楽しそうにしていたのが嘘のように背筋を伸ばしている。膝の上に置いた両手にも少し力が入っていた。
「私たちに、どのようなご用でしょうか?」
エレナが緊張した様子で尋ねると、メディアはかつらから手を離した。
「そうなんです。よく聞いてくださいました」
急に表情を整えると、机の上で両手を組む。
「実は、エレナさんが黒鱗を一人で倒したと聞きまして。ぜひ相談したいことがあって、今日は来ていただいたんです」
「私にですか?」
エレナの目が一気に輝いた。
「はい」
「聖女様からそのようなお言葉をいただけるなんて、光栄です!」
さっきまでの緊張はどこかへ行ったらしい。
エレナは嬉しそうに身を乗り出した。
「強くなれたのはアルト様のおかげですが、私にできることなら何でもやります!」
僕は隣で黙ってエレナを見る。
僕が何か言う前に勝手に承諾しないでほしい。
相手はさっきまでアシュレイのかつらを被って遊んでいた聖女である。何を頼まれるか分かったものではなかった。
ところが、エレナの返事を聞いたメディアは急に俯いた。
「ありがとうございます……」
声まで震えている。
やがて、その目から一筋の涙が流れた。
たぶん嘘泣きだ。
「私は四歳で聖女の座を引き継いでから、ずっとセラフィナ様の教えに忠実に生きてまいりました」
メディアは目元を指で押さえながら話し始めた。
「人々に清廉な印象を持っていただくことはもちろん、孤児院の運営、医療機関の整備など、人々の暮らしを良くするためにできることはすべてやってきたつもりです」
そこまでは、僕も聞いたことがある。
実際、メディアが聖女になってからも教会は各地で孤児を引き取り、治療を受けられる施設も増えたらしい。
「そのために毎日、薬品の生産工程と販売経路を見直し、王侯貴族の皆様とも親密に取引を行い、夜の店の拡大と店舗数の増加に努めております」
後半がおかしい気がする。
孤児院と医療機関までは分かる。
どうしてそこから薬の流通と貴族相手の取引を経て、夜の店を増やす話になったんだろう。
「はい」
しかし、エレナは深く頷いていた。
まったく疑問を持っていない顔だった。
「私たちは、そんな聖女様を尊敬しています」
「エレナさん……!」
メディアが感極まったように胸元へ手を当てる。
やはり教会のやることとして何かがおかしい気がするが、少なくともエレナにとっては全部まとめて尊敬の対象らしい。
向かいに座っていたルーナも、満足そうに頷いていた。
「ですが」
そこでメディアの声が低くなった。
先ほどまで目元を押さえていた手を下ろし、真剣な顔で僕たちを見る。
「いつの時代も、正しい道を歩んでいれば、それを邪魔しようとする者は現れるものです」
エレナの表情も引き締まった。
「邪魔をする者、ですか?」
「はい。今、教会の中には、教会が世俗化しているなどという、ありもしない話を流す者たちがいるのです」
メディアは悲しそうに首を振る。
「彼らは、商業活動を縮小すべきだとか、行政との結びつきを見直すべきだとか、果ては宗教活動に専念すべきだなどという怪しい考えを広めています」
かなりまともなことを言っている気がする。
少なくとも、聖職者が夜の店を増やすよりは宗教活動に専念する方が、一般的には自然なのではないだろうか。
「本当に大変なんです」
ルーナが深く頷いた。
どうやらこちらもメディアと同じ側らしい。
「最近は若い聖職者の中にも影響を受ける方が増えていまして」
「それは困りますね」
エレナまで心配そうな顔をしている。
僕だけ話についていけていないような気がしてきた。
メディアは一度頷くと、そのまま話を続けた。
「そして今回、特に問題になっているのが、この町を担当している神父です」
その言葉で、僕にもようやく話が近づいてきた。
僕たちが何度も会っている、あの神父のことだろう。
「神父様が何かされたんですか?」
エレナが尋ねると、メディアは小さく息を吐いた。
「本人がそろそろ世代交代をしたいと言っているんです。それだけなら構わないのですが、後継者として改革派のシスターを指名しようとしています」
「改革派……」
「先ほどお話ししたような考えを持つ方です」
メディアはそこで僕とエレナを順番に見た。
「ですから、お二人には何としてでも、それを防いでいただきたいんです」
何としてでも。
言葉だけ聞くと、急にかなり物騒になった。
「何としてでもって、具体的には何をすればいいの?」
僕が尋ねると、メディアは少し考えるように視線を上げた。
「そこは、お二人にお任せします」
「任せるんだ」
「はい。説得でもいいですし、説教でもいいですし。いろいろありますよね」
メディアはにこやかに答えた。
いろいろ、の中に何が含まれているのかは聞かない方がよさそうだった。
何としてでも後継を阻止してほしい。
その相手に、黒鱗を一人で壊滅させたエレナをわざわざ呼んでいる。
たぶん、かなりの部分を武力で解決してほしいと言っている。
「分かりました!」
隣では、エレナが力強く返事をしていた。
メディアは満足そうに微笑み、ルーナも嬉しそうに頷く。
「頼もしいですね。では、よろしくお願いします」
そう言って、聖女は机の端に置いていた金色のかつらをもう一度手に取った。




