聖女メディア
その日の夜、僕とエレナはルーナに連れられて、町の中心部にある大きな店へ来ていた。
通りに面した入口からして、普段ルーナが案内してくれる酒場とは随分雰囲気が違う。扉の脇には綺麗な服を着た男が立ち、中へ入れば暖色の明かりが広い店内を照らしていた。
奥からは楽器の音も聞こえてくる。
何より目につくのは、客の隣について話をしている女性たちだった。
「こういうお店、初めてです」
隣を歩くエレナは、少し緊張しているのかと思ったが、そんなことはなかった。
むしろ楽しそうに店内を見回している。
「でも、こういうところへ連れてきてもらうのも騎士のたしなみだって、父から聞いたことがあります」
「そうなんだ」
「はい。仕事の付き合いでは、いろいろな場所へ行くものだと」
エレナはそう言いながら、近くを通った女性へ目を向けた。
「それにしても、綺麗な方が多いですね」
かなり嬉しそうだ。
僕は少し考えてから言った。
「それ、お父さんがこういう店に行くための言い訳だったんじゃない?」
「え?」
エレナが足を止めた。
「……そんなことないと思います。父は真面目な人ですから」
「そう?」
それなら余計に、家ではそう説明していた可能性もありそうな気がする。
もちろん、会ったこともない人なので黙っておいた。
「ここは普通のお店ではありませんよ」
先を歩いていたルーナが振り返った。
今日はいつも以上に機嫌がいい。
「教会が運営している店の中でも、かなり有名なところです」
「教会が?」
僕が聞き返すと、ルーナは当然のように頷いた。
「はい。各地からお客様がいらっしゃいます。ここで働いている女性も、皆さん厳しい審査を通った方ばかりなんですよ」
教会が何を審査しているんだろう。
「特に人気なのが、アシュレイさんです」
ルーナがそう続けた途端、エレナが反応した。
「アシュレイさんって、あのアシュレイさんですか?」
「ご存じなんですか?」
ルーナが少し驚いた顔をする。
「はい。父から聞いたことがあります」
エレナは少し興奮した様子で僕を見る。
「一生のうちに一度でもお会いできれば、それほどの幸福はない方だそうです」
「そんなに?」
僕が尋ねると、エレナは大きく頷いた。
「はい!」
随分大げさな話に聞こえる。
するとルーナが、何故か自分のことのように胸を張った。
「それくらい有名な方なんです。一目会うために財産を使い果たして、破産する方までいるそうですよ」
「破産するの?」
「はい。それでも後悔しないと言う方もいるくらいです」
僕は改めて店の中を見る。
女性たちは客の隣で酒を注いだり、笑顔で話をしたりしている。見たところ普通の夜の店だ。
教会は一体何をしているんだろう。
ただ、考えてみれば、セラフィナならやりかねない。
前世で皇帝をしていた頃、僕のことを妙に熱心に支援してくれる貴族が何人かいた。
特に頭の固い年配の貴族には、最初は僕のことを若造扱いしていたのに、しばらくすると急に協力的になった者もいた。
当時はセラフィナが何か話をしてくれたのだろうと思っていた。
でも、もしかすると違ったのかもしれない。
こういう店の女性を通して、僕のことを良く言わせていた可能性もある。
あの人なら普通にやりそうだった。
本人に聞けば、きっと布教活動か何かだと言い張る。
「それで、どうして今日はここなの?」
僕が尋ねると、ルーナは待っていましたと言わんばかりに笑った。
「もちろん、エレナさんのお祝いですよ」
「私のですか?」
エレナが自分を指差す。
「はい。あれだけの武功を上げられたんですから、お祝いしないわけにはいきません」
ルーナにそう言われ、エレナの顔がすぐに明るくなった。
「ありがとうございます!」
「今日は私のおごりです。遠慮しなくていいですよ。何でも頼んでください!」
「本当ですか?」
「もちろんです!」
ルーナが笑顔で答えると、エレナもますます嬉しそうになる。
二人とも楽しそうだった。
僕だけが少し引っかかった。
「うーん」
「何ですか、その顔」
僕の声を聞いたエレナがこちらを見る。
「いや。ちょっと怪しいなと思って」
「どうして人の親切を素直に受けられないんですか」
エレナは明らかに不満そうだった。
「ルーナさんがお祝いしてくださるって言ってるんですよ」
「それは分かるんだけど」
僕はルーナを見る。
ルーナは何も言わずに笑っている。
「ルーナなら、もっと安くて美味しいところに連れていきそうじゃない?」
「失礼ですね」
今度はルーナが少しむっとした顔をした。
「でも、わざわざ教会の施設に来たんだよね」
「たまたまです」
「しかも何でも頼んでいいって言ってるし」
「今日は特別なんです」
ルーナは平然と答える。
僕はその顔を見ながら続けた。
「何かの理由で、教会からお金が出てるんじゃない?」
ルーナの笑顔が少しだけ固まった。
「そんなことないですよ」
「そう?」
「はい」
答えるのが少し早い。
やっぱり何かあるらしい。
「アルト様」
エレナが眉を寄せた。
「せっかくルーナさんが連れてきてくださったんですから、今日は普通に楽しみましょう」
「そうだね」
何が目的なのかは気になるが、今問い詰める必要もない。
そのうち分かるだろう。
店員に案内されて店の奥へ進むと、一般の客がいる広間を抜け、さらに廊下を進んだ。
やがて、豪華な扉の前で店員が足を止める。
「こちらでございます」
扉が開かれる。
中には大きな机と柔らかそうな長椅子が並んでいた。置かれている調度品も、さっきまでの場所より明らかに高そうだ。
「こちらは特別室になります」
そう言い残して、店員が退室する。
僕は部屋を見回した。
「特別室か」
「はい!」
ルーナが嬉しそうに答える。
「ますます怪しいね」
僕がそう言うと、エレナが呆れたような顔をした。
「まだ言ってるんですか」
ただ、その直後には別のことが気になったらしい。
エレナは期待するようにルーナを見る。
「あの、もしかして……アシュレイさんにもお会いできるんですか?」
さっきまで以上に目が輝いていた。
「もし本当にお会いできるなら、父に自慢できます」
ルーナはそんなエレナを見て、得意げに胸を張った。
「私はこれでも教会の中では、かなり上の立場なんですよ」
「おお……」
エレナが感心したような声を漏らす。
「ですから、期待していてください」
「はい!」
エレナは素直に頷き、姿勢まで少し整えた。
アシュレイという人に会うだけなのに、偉い騎士にでも会うような緊張の仕方をしている。
僕たちが長椅子へ座ってしばらくすると、扉が静かに開いた。
入ってきたのは、一人の女性だった。
長い金色の髪に、整った顔立ち。華やかな服を着ていて、店の中で見かけた女性たちと比べても明らかに目立つ。
エレナがすぐに立ち上がった。
「あ、あの!」
随分緊張している。
「あなたがアシュレイさんですか?」
尋ねられた女性は、にこりと笑った。
「はい」
「やっぱり!」
エレナの顔が一気に明るくなる。
「私、父からお話だけは聞いていたんです。まさか本当にお会いできるなんて……」
「そうなんですか?」
女性が柔らかく聞き返す。
「はい! 一生に一度でもお会いできれば、それほど幸せなことはないって」
エレナが嬉しそうに答えると、女性はしばらくその顔を眺めていた。
やがて、口元がゆっくりと緩んでいく。
「アシュレイだと思った?」
「はい?」
エレナがきょとんとする。
女性は両手を頭へ伸ばし、そのまま金色の髪を掴んだ。
ずるりと外れる。
「残念でしたー」
かつらの下から別の色の髪が現れた。
女性は外したかつらを片手に持ち、もう片方の手で指を二本立てる。
「メディアちゃんです」
そこでわざわざ顔まで作り、決め顔のままピースをした。
部屋が静かになった。
僕は隣のエレナを見る。
「変な人だね」
「何を言ってるんですか!」
エレナが勢いよくこちらを向いた。
さっきまでとは別の意味で目を見開いている。
「なんで分からないんですか!?」
「知り合いなの?」
僕が尋ねると、エレナは信じられないという顔をした。
「聖女様ですよ!」
「え?」
僕はもう一度、目の前の女性を見る。
聖女メディアは、外した金髪のかつらを片手に持ったまま、まだ決め顔を崩していなかった。
「メディアちゃんでーす」
どうやら聞き間違いではないらしい。
今の聖女を選んだのは、初代聖女だったセラフィナだ。
こんな人を自分の次の聖女に選んだのなら、あの人は僕が死んだ後も相当好き勝手にやっていたらしい。
「アルト様! 立ってください!」
エレナに腕を引かれ、僕は長椅子から立たされた。
一方のメディアは楽しそうに笑ったまま、外した金髪のかつらをもう一度頭へ載せようとしている。
「これ、結構似合ってると思わない?」
メディアが僕たちにそう尋ねる。
「聖女様、何をされているんですか!」
エレナが慌てて声を上げた。
「今日はアシュレイ役」
「そういう意味ではありません!」
エレナの声が特別室に響く中、メディアは少しも気にした様子を見せず、ずれたかつらを両手で整えていた。




