エレナとの同居
次の日の朝、僕は自室の机に向かい、神父から渡された紙を広げていた。
昨日受け取った上級品の薬には、使い方を記した説明書がついていた。普通に流通しているものより扱いが難しいと聞いていたので、エレナに渡す前に一度確認しておいた方がいい。
最初の数行には、薬が魔力にどう作用するのかが書かれていた。
服用すると、一時的に体内の魔力が増幅される。
ただし、増えた魔力そのものが身体に定着するわけではない。その状態で持っている魔力をすべて使い切ると、翌日以降に身体が生み出す魔力量が少しずつ増えていくらしい。
一度増えた一日の発生量は、薬をやめても元には戻らない。
なかなか便利な薬だ。
もっとも、一度飲めばいいわけではなかった。効果を定着させるには、最低でも二週間ほど、薬の服用と魔力を使い切ることを毎日繰り返す必要がある。
途中で訓練を怠ると意味がないという神父の話は、このためなのだろう。
僕はそのまま続きを読んだ。
問題は服用量だった。
薬によって身体が本来持っている以上の魔力を無理に増やすため、量が多いほど痛みが出る場合があるらしい。最初は一日一粒から始め、痛みが強ければ量を減らす。反対に問題がなければ少しずつ増やしていく。
一日三粒まで服用できるようになれば、かなりの効果が期待できる。
もっとも、そこまで増やすには相当な忍耐が必要になる、と最後に注意書きがあった。
「三粒か」
紙を見ながら、ずいぶん控えめになったものだと思う。
僕がこの薬を初めて見た頃には、こんな丁寧な説明書などなかった。
作ったのはノアだった。
当時のノアはリゼットに一度でいいから魔法で勝ちたいと言っていて、そのためにいろいろなものを作っていた。この薬も、その一つだったはずだ。
魔力そのものを増やしてしまえば、いずれリゼットにも追いつける。
理屈としては間違っていなかった。
ただ、完成品を見せられたリゼットが何の迷いもなく自分でも飲み始めたせいで、計画はかなり早い段階でおかしくなった。
しかも一日六粒だった。
ノアがどれほど飲んでいたかは覚えていないが、少なくともリゼットよりは少なかった。
結果として、差を縮めるために作った薬で、二人の差は前より広がった。
リゼットはそういうところがあった。
新しい魔法でも道具でも、使えると思えばためらわない。危険性を説明されても、自分なら大丈夫だと思えば普通に試す。
天才というのは、新しいものを取り入れることにも躊躇がないらしい。
僕は説明書へ目を戻した。
一日三粒でかなり強くなる。
リゼットは六粒。
それなら、今のエレナなら八粒くらいだろうか。
紙の端に、過剰摂取についても書かれていた。
十粒を超える服用は危険なので絶対に避けること。
「八なら大丈夫そうだね」
少し余裕もある。
方針が決まったので、紙を畳んで席を立った。
エレナは、いつもの訓練場にいた。
屋敷の裏手まで行くと、木剣が空気を切る音が規則的に聞こえてくる。近づいてみると、エレナは一人で何度も同じ動きを繰り返していた。
昨日教会から戻ったばかりだというのに、朝から元気らしい。
「エレナ」
呼びかけると、エレナはすぐに動きを止めた。
僕を見つけると、さっきまで真剣だった顔が分かりやすく明るくなる。
「アルト様。おはようございます」
「おはよう」
木剣を下ろしながらこちらへ歩いてくる。
こうして呼んだだけで嬉しそうに来るところは、やっぱりかわいい。
「どうされました?」
「ちょっと聞きたいんだけど、エレナって今、一人暮らしだよね?」
「はい、そうですが」
「じゃあ、明日からここで一緒に暮らそうか」
エレナの足が止まった。
数秒ほど、何も言わずに僕を見ている。
その顔から笑みが消えた。
「……アルト様」
「うん?」
「やっぱり、そういうつもりだったんですか?」
「何が?」
聞き返した瞬間、エレナが持っていた木剣を振り上げた。
反射的に身体をずらす。
さっきまで僕の頭があったところを木剣が通り過ぎた。
「危ないな」
「結局、私を妾にするつもりだったんですか!」
「違う、違う」
二撃目が来たので、今度は腕をつかんで止める。
エレナは本気で怒っているらしく、木剣を引こうとしていた。
「だったら、どうして一緒に暮らすんですか!」
「薬の副作用で死なないように、横で見ておこうと思って」
エレナの力が止まった。
「……薬?」
「うん」
そのまま腕を放すと、エレナは木剣を下ろした。
怒っていた顔が、今度は困惑へ変わる。
「でも、昨日の近衛兵の方々は、少し身体が痛む程度だとおっしゃっていましたよ」
「そうみたいだね」
「それなら、死ぬようなものではないのでは?」
「普通に飲めばね」
「普通に?」
エレナが眉を寄せる。
僕は説明書に書いてあった服用量を思い出した。
本来は一粒から始める。
僕が考えているのは八粒だ。
正直に言ってしまうと、さすがのエレナでも少し怖がるかもしれない。
せっかく本人も薬を使って強くなる気になっているのだから、始める前から余計な心配をさせる必要もないだろう。
それに、リゼットは六粒を普通に飲んでいた。
エレナなら、根性だけならあの赤髪の魔女にも負けていない気がする。
「念のためだよ」
「念のため、ですか?」
「神父様からも、最初の何日かはきちんと様子を見るように言われてるから」
僕は安心させるように笑った。
「何かあってからじゃ遅いでしょう?」
「それは、そうですけど……」
エレナは少し考え込んだ。
どうやら妾にされるわけではないと分かって、先ほどまでの怒りは収まったらしい。
「では、本当に薬のためなんですね?」
「もちろん」
「……分かりました。明日からでいいんですか?」
「うん。必要なものだけ持ってきて」
「分かりました」
素直に頷いたあと、エレナは一度僕の顔を見た。
それから、まだ何か引っかかっているような顔で、ゆっくりと木剣を下ろした。




