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スナップ360  作者: 丸鶴
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8/12

水鉄砲

職員会議で夏季プール開放の当番表が回ってきたとき、佐伯加奈は何でもない顔で自分の名前に丸を付けた。

「佐伯先生、水泳部だったりします?」

隣の教師に聞かれ、

「まさか」

と笑う。

泳げる。たぶん。

少なくとも、そう思っている。

ただ、好きではないだけだ。

それだけだ。


当日。

更衣室の前に立つと、胸の奥が少し重くなった。

生徒たちはもう歓声を上げている。

水面がきらきらしている。

眩しい。

「先生、入らないんですかー」

「監視だから」

そう答えながら、帽子を被り直した。

別に嘘ではない。

監視は大事だ。

監視台の下の日陰に腰を下ろし、加奈は小さく息を吐いた。

早く終わらないかな。


数日後。

相変わらずプールサイド専門だった。

生徒がふざけて飛び込めば笛を吹く。

走れば注意する。

忘れ物を回収する。

それだけだ。

「先生、プール嫌いでしょ」

二年生の男子が言った。

「嫌いじゃない」

「じゃあ入ればいいじゃん」

「仕事中だから」

「へえ」

納得していない顔だった。

加奈は面倒になって手を振った。

「はいはい、泳いできなさい」


その翌週。

最初の一発は不意打ちだった。

ぴしゃっ。

ふくらはぎに冷たい感触。

振り向くと男子三人組が水鉄砲を構えていた。

「こら」

「誤射です」

「絶対嘘」

「誤射です」

全員笑っている。


それから加奈は、やたら誤射されるようになった。

足。

腕。

背中。

肩。

気付けば毎回どこか濡れている。

「先生、当たった」

「知ってる」

「逃げないんですか」

「逃げるほどでもないし」

言いながら、少しだけ距離を取る。

すると追ってくる。

面倒くさい。

本当に。


ある日、ホースまで持ち出された。

「ちょっと待ちなさい!」

水の弧が飛ぶ。

逃げる。

追ってくる。

生徒たちは腹を抱えて笑っている。

加奈も走る。

気付けば笛を咥えたまま全力で走っていた。

濡れた髪が頬に張り付く。

息が上がる。

「待て!」

「やだ!」

「待てって!」

なぜ追いかけているのだろう。

自分でも分からない。


ホースを奪おうとして揉み合いになった。

水が顔にかかる。

目を閉じる。

冷たい。

けれど、次の瞬間には笑い声が耳に飛び込んできた。

開いた視界の向こうで、生徒たちがぐしゃぐしゃに笑っている。

その顔を見ていると、何かが少しずつ軽くなる。

変だ。

こんなに濡れているのに。

こんなに水を浴びているのに。

まだ立っている。

平気だ。


「先生!」

突然声が飛んだ。

振り向く。

浮き輪が流されていた。

浅い場所だ。

ほんの数歩先。

生徒たちは見ている。

加奈も見ている。

そして。

ふと気付く。

今の自分は。

全身びしょ濡れだった。


馬鹿みたいだ。

ここまで濡れておいて。

まだ躊躇うのか。

加奈は一度だけ息を吸った。

それから。

ざぶり、と水へ足を入れた。

冷たい。

けれど思ったほどではない。

もう一歩。

もう一歩。

水面が揺れる。

足はちゃんと底についている。

当たり前だ。

当たり前なのに。

少し笑ってしまった。


「先生、入った!」

歓声が上がる。

拍手まで聞こえる。

なんなの、この子たち。

加奈は肩まで水に浸かった。

水はただの水だった。

昔から知っていたはずのことなのに、今さら確かめた気がした。

胸の奥で張っていた糸がほどけていく。

ゆっくりと。

静かに。


帰り際。

例の三人組が寄ってきた。

「先生」

「なに」

「楽しかった?」

加奈は答えなかった。

代わりに、水鉄砲を一本取り上げる。

そして至近距離から発射した。

悲鳴。

逃げ出す背中。

夕陽。

笑い声。


「……ありがと」

小さく呟く。

もちろん聞こえていない。

それでいい。

濡れた髪を指で梳きながら、加奈は空を見上げた。

今年のプール当番も、悪くないかもしれないと思った。

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