団扇太鼓
祭り帰りの列車は、夕暮れの田園をゆっくりと切り取って進んでいた。
ボックス席で向かい合った佐藤郁は、膝の上に置いた鞄を整えながら窓の外を見ていた。研究室に戻ったら解析の続きだな、と頭の片隅で考えている。
そのとき、向かいの高橋祐樹が足元をごそごそと探り始めた。
「あれ?」
「どうしたの」
「いや……」
祐樹は細長い袋を引っ張り出した。
「これ、持って帰ってきちゃった」
袋から現れたのは団扇太鼓だった。
郁は数秒見つめたあと、小さく眉を上げた。
「返却物じゃない?」
「だよなあ」
「だよね」
祐樹は困ったように笑う。
郁は眼鏡を押し上げた。
「駅に着いたら連絡しないと」
「うん」
そう答えながら祐樹は太鼓の面を指で軽く弾いた。
ぽん。
予想以上によく響く。
「へえ」
もう一度。
ぽん。
「祐樹」
「いや、これ面白いな」
また音が鳴る。
郁は窓へ視線を戻した。
祭りで歩き回った疲れがじわじわ足に残っている。静かに帰りたい。
「ほどほどにして」
「はいはい」
返事だけは素直だった。
けれど、ぽん。
また鳴る。
郁は吐息をひとつ落とした。
子供が一人、通路から顔を出した。
ぽん。
もう一人。
ぽん。
三人。
「ほら」
「お、集まってきた」
祐樹は嬉しそうだった。
郁は額を押さえた。
「だから言ったのに」
子供好きの祐樹は完全に遊びモードである。
ぽん、ぽん。
子供たちは笑う。
郁は頬杖をついた。
どうせ飽きたら戻るだろう。
少しくらいなら。
そう思った。
だが甘かった。
四人が五人になり、五人が七人になる。
いつの間にかボックス席の周囲は小さな人影で埋まっていた。
祐樹は相変わらず太鼓を鳴らしている。
「ねえ」
「ん?」
「増えてる」
「増えてるな」
「他人事じゃなくて」
祐樹は笑うだけだった。
その瞬間。
「おねえちゃん!」
小さな手が郁の袖を引いた。
「え?」
さらに別の子が寄ってくる。
「ここすわっていい?」
「えっと」
答える前に隣へ腰掛ける。
郁は目を瞬かせた。
なぜか祐樹ではなく自分のほうへ集まってくる。
大柄な祐樹は楽しそうに太鼓を叩き続けている。
郁は助けを求めるように視線を送った。
しかし返ってきたのは満面の笑みだった。
「人気者じゃん」
「全然うれしくない」
子供がさらに増えた。
前からも横からも現れる。
背中がむずむずする。
嫌いではない。
だが得意でもない。
どう話せばいいのか、どの程度相手をすればいいのか、いつもよく分からなくなる。
「ねえ、これなに?」
「大学院生」
「ちがう」
「そうだよね」
口が滑った。
子供たちは大笑いする。
また一人増える。
郁は胸のあたりがそわそわしてきた。
まずい。
なんとかしないと。
膝の上に子供がよじ登ってきた。
「わっ」
慌てて右へ降ろす。
すると今度は左から別の子。
「待って待って」
後ろを見る。
背もたれの向こうから顔が三つ覗いている。
「そこ越えちゃだめ!」
「えー」
「えーじゃなくて!」
声が少し大きくなった。
自分でも驚く。
祐樹は腹を抱えて笑っている。
ぽん。
ぽん。
ぽん。
まるで呼び鈴みたいに子供を呼び続ける。
「祐樹!」
「なんだ?」
「鳴らすのやめて!」
「なんで?」
「なんでって!」
郁は立ち上がりかける。
だが服を引かれる。
「おねえちゃん」
「はい!」
「おねえちゃん」
「はいはい!」
「おねえちゃん!」
「今行く!」
何処へ行くのか自分でも分からない。
心臓だけが忙しい。
袖は引っ張られる。
服はしわだらけ。
膝は満員。
左右も後ろも子供。
視界の端で祐樹が楽しそうに太鼓を構える。
「なんで私ばっかりぃ!」
思わず叫んだ。
その声に車内がどっと笑う。
大人たちは微笑ましそうに眺めている。
祐樹なんて涙が出るほど笑っている。
郁はもう笑うしかなかった。
妙に可笑しい。
訳が分からない。
なのに頬が熱い。
息も弾む。
子供たちの笑い声が波みたいに押し寄せてくる。
車内全体が祭りの続きになったみたいだった。
そのとき。
「はいはい、みんな席に戻ろうね」
車掌が現れた。
子供たちは一斉に散る。
魔法が解けたようだった。
数分もしないうちに元の静かな車内へ戻る。
祐樹は団扇太鼓を抱えたまま頭をかいた。
「すみません」
「ほどほどにしてくださいね」
「はい」
車掌が去る。
郁は深く背もたれに沈み込んだ。
肩から力が抜けていく。
乱れた服を整えると、さっきまでの騒ぎが嘘みたいだった。
窓の外では田んぼが夕日に染まっている。
祐樹が苦笑した。
「楽しかったな」
「私は大変だった」
「でも嫌そうじゃなかった」
郁は反論しようとして、やめた。
確かに途中から必死すぎて、嫌がる暇もなかった気がする。
小さく息を吐く。
「とりあえず」
「うん」
「早く団扇太鼓返しに戻らなきゃ」
祐樹はまた頭をかいた。
郁はその様子を見て、ようやく肩の力を抜いたまま笑った。




