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スナップ360  作者: 丸鶴
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団扇太鼓

 祭り帰りの列車は、夕暮れの田園をゆっくりと切り取って進んでいた。

 ボックス席で向かい合った佐藤郁は、膝の上に置いた鞄を整えながら窓の外を見ていた。研究室に戻ったら解析の続きだな、と頭の片隅で考えている。

 そのとき、向かいの高橋祐樹が足元をごそごそと探り始めた。

「あれ?」

「どうしたの」

「いや……」

 祐樹は細長い袋を引っ張り出した。

「これ、持って帰ってきちゃった」

 袋から現れたのは団扇太鼓だった。

 郁は数秒見つめたあと、小さく眉を上げた。

「返却物じゃない?」

「だよなあ」

「だよね」

 祐樹は困ったように笑う。

 郁は眼鏡を押し上げた。

「駅に着いたら連絡しないと」

「うん」

 そう答えながら祐樹は太鼓の面を指で軽く弾いた。

 ぽん。

 予想以上によく響く。

「へえ」

 もう一度。

 ぽん。

「祐樹」

「いや、これ面白いな」

 また音が鳴る。

 郁は窓へ視線を戻した。

 祭りで歩き回った疲れがじわじわ足に残っている。静かに帰りたい。

「ほどほどにして」

「はいはい」

 返事だけは素直だった。

 けれど、ぽん。

 また鳴る。

 郁は吐息をひとつ落とした。

 子供が一人、通路から顔を出した。

 ぽん。

 もう一人。

 ぽん。

 三人。

「ほら」

「お、集まってきた」

 祐樹は嬉しそうだった。

 郁は額を押さえた。

「だから言ったのに」

 子供好きの祐樹は完全に遊びモードである。

 ぽん、ぽん。

 子供たちは笑う。

 郁は頬杖をついた。

 どうせ飽きたら戻るだろう。

 少しくらいなら。

 そう思った。

 だが甘かった。

 四人が五人になり、五人が七人になる。

 いつの間にかボックス席の周囲は小さな人影で埋まっていた。

 祐樹は相変わらず太鼓を鳴らしている。

「ねえ」

「ん?」

「増えてる」

「増えてるな」

「他人事じゃなくて」

 祐樹は笑うだけだった。

 その瞬間。

「おねえちゃん!」

 小さな手が郁の袖を引いた。

「え?」

 さらに別の子が寄ってくる。

「ここすわっていい?」

「えっと」

 答える前に隣へ腰掛ける。

 郁は目を瞬かせた。

 なぜか祐樹ではなく自分のほうへ集まってくる。

 大柄な祐樹は楽しそうに太鼓を叩き続けている。

 郁は助けを求めるように視線を送った。

 しかし返ってきたのは満面の笑みだった。

「人気者じゃん」

「全然うれしくない」

 子供がさらに増えた。

 前からも横からも現れる。

 背中がむずむずする。

 嫌いではない。

 だが得意でもない。

 どう話せばいいのか、どの程度相手をすればいいのか、いつもよく分からなくなる。

「ねえ、これなに?」

「大学院生」

「ちがう」

「そうだよね」

 口が滑った。

 子供たちは大笑いする。

 また一人増える。

 郁は胸のあたりがそわそわしてきた。

 まずい。

 なんとかしないと。

 膝の上に子供がよじ登ってきた。

「わっ」

 慌てて右へ降ろす。

 すると今度は左から別の子。

「待って待って」

 後ろを見る。

 背もたれの向こうから顔が三つ覗いている。

「そこ越えちゃだめ!」

「えー」

「えーじゃなくて!」

 声が少し大きくなった。

 自分でも驚く。

 祐樹は腹を抱えて笑っている。

 ぽん。

 ぽん。

 ぽん。

 まるで呼び鈴みたいに子供を呼び続ける。

「祐樹!」

「なんだ?」

「鳴らすのやめて!」

「なんで?」

「なんでって!」

 郁は立ち上がりかける。

 だが服を引かれる。

「おねえちゃん」

「はい!」

「おねえちゃん」

「はいはい!」

「おねえちゃん!」

「今行く!」

 何処へ行くのか自分でも分からない。

 心臓だけが忙しい。

 袖は引っ張られる。

 服はしわだらけ。

 膝は満員。

 左右も後ろも子供。

 視界の端で祐樹が楽しそうに太鼓を構える。

「なんで私ばっかりぃ!」

 思わず叫んだ。

 その声に車内がどっと笑う。

 大人たちは微笑ましそうに眺めている。

 祐樹なんて涙が出るほど笑っている。

 郁はもう笑うしかなかった。

 妙に可笑しい。

 訳が分からない。

 なのに頬が熱い。

 息も弾む。

 子供たちの笑い声が波みたいに押し寄せてくる。

 車内全体が祭りの続きになったみたいだった。

 そのとき。

「はいはい、みんな席に戻ろうね」

 車掌が現れた。

 子供たちは一斉に散る。

 魔法が解けたようだった。

 数分もしないうちに元の静かな車内へ戻る。

 祐樹は団扇太鼓を抱えたまま頭をかいた。

「すみません」

「ほどほどにしてくださいね」

「はい」

 車掌が去る。

 郁は深く背もたれに沈み込んだ。

 肩から力が抜けていく。

 乱れた服を整えると、さっきまでの騒ぎが嘘みたいだった。

 窓の外では田んぼが夕日に染まっている。

 祐樹が苦笑した。

「楽しかったな」

「私は大変だった」

「でも嫌そうじゃなかった」

 郁は反論しようとして、やめた。

 確かに途中から必死すぎて、嫌がる暇もなかった気がする。

 小さく息を吐く。

「とりあえず」

「うん」

「早く団扇太鼓返しに戻らなきゃ」

 祐樹はまた頭をかいた。

 郁はその様子を見て、ようやく肩の力を抜いたまま笑った。


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