風鈴
理科準備室の段ボール箱を机の上に置き、佐伯加奈はカッターナイフを滑らせた。蓋を開く。緩衝材をどける。手順通りに取り出したガラスの風鈴を窓辺のフックへ掛ける。
――チリン。
かすかな音がした。
加奈は吊り糸の結び目に目をやり、傾きがないことを確かめる。割れもない。短くうなずいて、椅子へ腰を向けた。
あの二人が卒業してから、もう一年になる。
それなのに、この音を聞くたび胸の奥が重たくなる。
授業中に実験器具を壊しただの、校庭で騒ぎを起こしただの、職員室へ呼び出された回数など数えきれない。卒業式の日まで問題ばかり起こしていた。
――チリン。
「はぁ……」
思わず息が漏れる。
風鈴ひとつ置くだけで教務会議があれほど揉めるとは思わなかった。
学校らしくない。
集中を妨げる。
苦情が来るかもしれない。
反対意見ばかり並んだ中で、なぜ自分があそこまで譲らなかったのか、今でも説明できない。
窓の外を眺める。
夏の日差しは白く、蝉の声は遠い。
仕事は山積みだというのに、手を伸ばす気になれない。
――チリン。
また鳴った。
そのたびに二人の顔が浮かぶ。
馬鹿みたいに笑っていた顔。
叱られてもどこ吹く風だった顔。
「まったく……」
口に出してみても、続く言葉はなかった。
追い払おうとしても思い出は居座り続ける。
毎年こうして風鈴を出して、その音を聞かなければならない気がする。
理由などわからない。
ただ、鳴らさないまま夏を終えるのは、何かを忘れてしまうようで落ち着かなかった。
微かな風が吹く。
――チリン。
耳が勝手に音を追う。
――チリン。
指先が机を軽く叩く。
――チリン。
次の音を待っている自分に気づき、加奈は眉をひそめた。
おかしい。
なのに胸の奥では、何かがそわそわと身じろぎしている。
呼吸が少し浅くなる。
背筋を伸ばし、意味もなく窓の方を見る。
音はもう鳴り終えたはずなのに、まだ耳の奥で余韻が揺れている。
そのときだった。
窓辺から強い風が吹き込んだ。
風鈴が大きく揺れる。
チリン、チリン、チリンチリンチリン――。
ガラスが震え、銀色の音が準備室いっぱいに散った。
「あ……」
息を呑む。
胸の鼓動が急に速くなる。
二人の笑い声が聞こえた気がした。
廊下を走る足音。
怒られても懲りない返事。
卒業式の日、風鈴を差し出した照れ臭そうな顔。
次々に浮かび上がる。
まとまりなく。
めちゃくちゃに。
音にかき回されるように。
胸の奥が熱い。
苦しい。
けれど嫌ではない。
もっと鳴れ、とさえ思ってしまう。
風鈴は狂ったように鳴り続ける。
加奈は唇を開いたまま、その音に聞き入っていた。
そして。
ふいに風が途切れた。
音も消える。
静寂。
加奈は数度まばたきをした。
ようやく息を吐く。
「……なんだったの」
誰に向けるでもない呟きが零れる。
肩から力が抜けた。
椅子へ深く腰を下ろし、背もたれに身を預ける。
窓辺では風鈴がわずかに揺れている。
もう音は鳴らない。
加奈はそれを見つめ、小さく笑った。
胸のざわめきだけが、まだ少しだけ残っていた。




