提灯
学会のプログラムをスマートフォンで開き、かおるは小さく息をついた。
午後は興味のある発表が続く。
それなのに九份へ行く。
「いいんですか、本当に。」
「録画はしてあるから。」
中村は眼鏡を指で押し上げる。
「あと、九份は今日しか撮れない。」
撮る。
その一言が中村先輩らしかった。
駅を降りると、先輩はもう眼鏡の録画ランプを確かめ、胸元の小型カメラを軽く叩き、スマートフォンをジンバルへ載せていた。
「GoProも回しておくか。」
独り言のように呟く。
誰に見せるでもない、いつもの準備。
かおるはその横で、手持ち無沙汰にバッグの肩紐を握った。
石段を上る。
先輩は景色を撮り、人波を撮り、猫を撮り、雨に濡れた提灯を撮る。
ときどき。
「岡田ちゃん、そのまま。」
と言う。
振り返る。
カシャ。
「ありがとう。」
また歩く。
自分が撮られたのか、背景を撮られたのか分からない。
少しだけ肩を落とした。
ランタン広場は人でいっぱいだった。
赤、黄、青。
色紙が夕暮れに揺れている。
「ここ、むっちゃ映える。」
中村が言う。
かおるの胸が少しだけ跳ねた。
「岡田ちゃん、かわいいから助かる。」
「……え?」
「人物いるとスケール分かるし。」
そのままカメラを構える。
「そこ。」
カシャ。
「いい。」
カシャ。
「その笑顔。」
カシャ。
褒められている。
撮られている。
見られている。
そう思うたび、頬が熱くなった。
願い事を書く。
筆先が震える。
何を書いたかは、先輩には見せなかった。
「秘密?」
「……はい。」
「了解。」
本当に、それで終わりだった。
少しくらい気にしてくれてもいいのに。
そう思った途端、そんな自分が子どもっぽく思えて苦笑する。
係員からランタンを受け取る。
紙越しに炎の熱が伝わる。
「岡田ちゃん、そのまま。」
またシャッター音。
炎越しにレンズがこちらを向く。
もう何枚撮られたのか分からない。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
「いいね。」
中村は液晶を一度だけ見て頷く。
「今日、一番。」
その一言だけで胸がいっぱいになる。
合図と同時に手を放す。
ランタンはゆっくり空へ昇っていった。
「わあ……。」
夜空いっぱいに灯が浮かぶ。
その光よりも。
隣で夢中になってシャッターを切る横顔の方が、ずっと眩しく見えた。
「岡田ちゃん。」
「はい。」
「ちょっとこっち。」
言われるまま立つ。
ランタンを見上げる。
またシャッター音。
レンズの向こうにいるのは、自分。
きっと今も見てくれている。
そんな気がして、思わず笑った。
帰りの電車で、中村から写真が送られてきた。
開く。
「……え。」
そこにいたのは、自分だった。
ランタンの灯を映した瞳。
柔らかく笑う横顔。
風に揺れる髪まで、映画の一場面みたいにきれいだった。
指で一枚ずつ送る。
どれもかわいい。
どれも、自分じゃないみたいだった。
『私って、こんなふうに写るんですね。』
送ると、すぐ返事が来た。
『AI選別。』
その一言だけ。
思わず吹き出す。
「もう。」
画面を胸へ抱く。
AIでも。
カメラでも。
理由なんて、どうでもよかった。
今日一日、あんなにたくさんレンズを向けられたのは、自分だけだった。
窓ガラスに映る頬は、ランタンの灯を残したみたいに、まだ少し赤かった。




