花火師の娘〈七〉
ささやかな喜びだけを支えに生きていたが、やはり夢は夢なのだ。
それを知ることとなる。
「あっ、勇吉さん。今日のお菜は茄子の田楽だよ」
庭で七輪に炭を入れていたら、勇吉が通りかかった。
勇吉だけはいつでも笑顔で応えてくれる。この笑顔が花火の次に好きだった。
「秋茄子は美味ぇからな。そりゃあいいや」
「あたし、焦がさないようにちゃんと焼くから」
この仲屋で自分が笑顔を向ける相手もまた勇吉しかいないのだ。それでもいいと近頃は思っている。
「うんうん、働きもんのお恒ちゃんはきっといい嫁さんになれるぜ」
口の上手い勇吉は誰にでもそんな調子のいいことを言っているのだとわかっているけれど、こんな軽口でさえ嬉しかった。
仲屋での味方は本当に勇吉だけだった。
「お恒、水が足りないよっ。さっさと汲んでおいでっ」
夕餉の支度をする時、女中にまで怒鳴られ慌てて桶を手に裏手へ走ったのだが――。
裏の板壁のところに勇吉がいた。嬉しくなって声をかけようとしたのだが、勇吉の陰になったところにもう一人いたのだ。
それは一番若い女中のとせだった。あまり口を利いてくれないから、特に親しくはない。ただ、婀娜っぽい美人だとは思う。
そんな子と勇吉は寄り添って話している。
「――なんだよなぁ」
「もう、いい加減に腹をくくったら?」
「でもよ、そう楽なもんじゃねぇんだって」
「そんなこと言っても、あんたこのままじゃどんどん立場が悪くなるよ」
勇吉が何か困ったことに巻き込まれている。
そう聞こえて気が気ではなく、けれど話には割って入れずに隠れてしまった。
「あんたが雇ってもらえたのは、あのお恒のおとっつぁんの弟子だったからでしょ。それを見込まれたのに、肝心な仕事はほとんどさせてもらえていなかったなんて、旦那さんからするとがっかりもいいところなんだから」
「師匠は厳しい人だったんだって」
恒の父は妥協を許さない真の職人だった。
勇吉はその父に認められるには修行が足らなかった。まだまだこれからだったのだ。
とせは強気な物言いで続けた。
「だから、あんたがこのまま雇ってもらうには、お恒から色々と引き出すしかないのよ。あの子、女子なのにおとっつぁんから手ほどきを受けていたんでしょ?」
「大人だって上手くできねぇような職人技を、お恒ちゃんみたいな子供がそこまで呑み込めたとも思えねぇし――」
「そんなことばっかり言って。あんた、お暇を出されても行くところなんてないじゃない。大体、あたしと離れ離れになってもいいっての?」
「そいつは困る。おとせとはいずれ所帯を持ちてぇ」
「だったらもっとしっかりしなよ」
――なんだか、勇吉ばかりではなく自分のことさえも嫌いになりそうだった。
あまりにも滑稽で、悲しくなる。
ささやかな幸せさえ、本当はひどい贅沢なのだと改めて知った。
それならば、自分にとっての救いはなんだろう。恒は、水汲みひとつにどれだけかかっているんだと叱られながら考えた。
目の前が真っ暗になる。
けれど、まぶたを閉じた時、真っ暗な中に浮かび上がるのは、父の上げた花火だった。
赤い、曼殊沙華のような火の花。
誰もが夢中になり、憂さを忘れて魅入る。
まぶたを閉じると、いつでも浮かんでくる。
これからは、花火のことだけを考えていたいと思った。
❖
その決意の通り、いつでも花火のことを考えた。
どんな花火を作りたいか。それを考えていると何もかもがどうでもよくて、ただ花火のことだけで頭をいっぱいにしていられた。
それでも、父の技を誰にも教えようとしないうちは花火には触らせてもらえない。
毎日、掃除や洗濯、飯の支度、そんな雑用だけで日が暮れる。
だとしても、まぶたの裏にはいつでも花火が色づいている。
この真冬のような日々に陽が差したのは、もう少し後のことだ。
まだ寒い春先。
仲屋へ来て二年が経とうとしていた頃――。
誰もが面倒な使いを嫌がり、こちらに押しつけてきた。
跡取り息子の国吉が、評判の白粉を買ってこいと言ったのだ。並んでも買えるかわからない人気の品だから、買えなければ叱責される。だから誰も行きたがらない。
「猫糞するんじゃないよ。ちゃんと買って帰らなきゃ、おまんまはなしだからね」
女中が目を怒らせて恒の手に金子を握らせた。
行きたくもないのに、渋々その金を受け取るしかなかった。白粉なんてどうするのだろう、とそんなことは考えても仕方がない。
とぼとぼと歩く。腹は空いていたが、いつものことだ。
町を歩いていると、恒と同じ年頃の娘たちの楽しげな声が聞こえてきた。
綺麗な赤い着物、しゃらりと揺れて光る細工の簪。けれど、そんなものには心惹かれない。
この世で一番美しいもの、欲しいものはそれではないから。




