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一刻花 ~弘化江戸火話~  作者: 五十鈴 りく
【壱】花火師の娘

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花火師の娘〈六〉

 しばらくは、本当に大事にされた。それを分不相応に感じるくらいには。


「お(つね)に新しい着物を仕立てようかと思ってね」


 内儀はいつでも継ぎの当たった着物など着ていなかった。古着ですらない上等の結城縮(ゆうきちぢみ)だ。だから、女子(おなご)なのに身なりに構わない恒が可哀想になったのだろうか。


「いえ、あたしは厄介者の身ですので、そんな贅沢は――」

「いいんだよ、気兼ねなんてしなくって」


 どうしてこんなによくしてくれるのだろう。それを不思議に思わないでもなかった。


 けれど、しばらくするとその理由(わけ)も段々わかってきた。

 それというのも、一人でいると吉兵衛がよく声をかけてきたからだ。親を亡くした子を気遣うのとは明らかに違う。


「お恒、おとっつぁんはどんなふうに花火を作っていたんだい?」


「玉を滑らかに貼るのにどんなこつがあると言っていた?」


「何か、人をあっと驚かせるような仕掛けの花火を考えていたんじゃないのかい?」


「知っているんだよ、お恒。勝造さんがお前に技を仕込んでいたって」


 吉兵衛が話したがるのはいつでも花火のこと。

 それも、父の技を知りたがる。花火師の技はおいそれと口にするものではない。

 幼い子供ならばそれを容易く口にすると思ったのだろうか。


 恒は花火師を志したのだ。

 それならば、父の技を口にするべきではない。そんなものは職人とは呼べない。


「いえ、あたしは女子なのでちょっと眺めているくらいでした。よく覚えていません」


 判で押したように同じ受け答えをしているうちに、段々と自分の周りは寂しくなっていった。


 着物も、履物も、(かんざし)も、広い部屋も、十分な食事も。

 気づけば、女中よりも下の扱いだった。


「お恒、あんたは役立たずなんだから、せめて奉公人くらいには働くんだよ」


 吉兵衛も内儀も、恒が仲屋をあの鍵屋にも負けない評判の(たな)にして金を稼がせてくれるとでも期待していたらしい。

 ただのみすぼらしい子供を引き取ってしまったのだと気づいた時、上っ面が完全に剥がれ落ちていた。


 日増しに当たりが強くなり、罵って憂さを晴らすようなことを繰り返した。

 まあいい。働けと言うなら働こう。


 言い返すでもなく、寝る間も惜しんで働いた。

 すると、女中たちも恒を侮り、仕事を押しつけて怠けるようになった。


 それでも毎日働いた。

 この仲屋は花火屋だ。火薬や糊の匂いがして、職人たちが花火を作り上げる場である。

 そこに関わっていられるだけで耐えられた。花火は、今の自分にとっては何より尊いものだった。


 夜空に打ち上げられる花火を見たら、嫌なこともきっと火の粉と一緒に消えてなくなると思った。

 それと、仲屋には勇吉がいる。勇吉だけが味方だった。


「お恒ちゃん、これ食べな」


 いつも腹を空かせていると、こっそり饅頭や大福を手渡してくれた。


「ありがとう、勇吉さん」


 饅頭よりも勇吉の気遣いがただ嬉しかった。

 とくん、と胸があたたかくなる。




 この頃になると、吉兵衛も恒を大事な跡取り息子の嫁になどするつもりはないのがわかった。

 吉兵衛は内儀とは違い、小娘をいびるのではないが、もう用がないとばかりに捨て置かれていた。


 国吉はというと、やたらと猿若町(さるわかまち)に出かけていって浄瑠璃だか歌舞伎だかに夢中になっていた。国吉が火薬を触っているところなど見たことがない。


「おい、国吉。職人にばかり任せていないで、お前もそろそろ習い始めないか」


 吉兵衛に厳しいことを言われても、国吉は顔をしかめるだけだった。


「手が黒く汚れるし、顔に火傷でもしたらどうするんだよ。そういうことは職人を雇ってさせればいいんだ」


 国吉は花火作りにまったく興味がなかった。いくら顔が綺麗でも国吉のような男は嫌いだ。

 手を真っ黒にして、火の粉で顔を洗う、そんな男たちが花火師だ。

 国吉は花火師を敬わない。そんな(かしら)に誰がついていきたいと従うだろう。


 それでも、男であるというだけで花火師になりたいと思えばなれるのだ。

 女子(おなご)の恒よりも容易く――。



     ❖



 そうして、仲屋に来て一年が過ぎた。


 毎日が大変ではあったけれど、どうにかなっている。

 それでもある日、祖母の関の訃報が届いた。


「お、おばあちゃんが」


 報らせてくれたのは伯父のところの奉公人だった。忙しそうに、告げるだけ告げて帰ってしまった。


 どんどん身内が減っていく。ここへ来てから、祖母と顔も合わせていなかった。

 自分のことで手一杯で、祖母のことまで考えられなかった。最後に会った時ですら具合が悪そうだったのに。


 死に目には会えなかったけれどせめて墓に参りたくて、内儀に頼んでみた。


「祖母が亡くなったので、お墓に参らせていただきたいのですが」


 すると、内儀はとても嫌な顔をした。

 それを目の当たりにすると、どうしてこの人を綺麗だと思ったのかわからなくなった。


「もう亡くなったのなら、今更何もできやしないだろ? そんなことより、あんたにはすることがたくさんあるじゃないか。怠けたいからそんなことを言い出したんだって、それくらいわかってるよ」

「いえ、そんなことは――」

「ああ、もうあんたみたいに鈍い子と話していると苛々(いらいら)するよ。さっさと働きな」


 これまで何も望まず、ただ働いてきたのに、こんな願いすら聞き入れてもらえない。

 そもそもが、自分は奉公人ではなかったはずだ。一文だってもらっていないのだから奉公人ではない。


 けれど、見切りをつけて出ていくには自分は幼かった。

 家の裏手で膝を抱えて泣いていると、いつの間にか勇吉がいて、そっと頭を撫でてくれた。


「おばあちゃんが――」

「うん、聞いた」


 いつもは口数の多い勇吉が、この時は何も言わずに黙ってただそこにいてくれた。

 嫌なことが続くこの世で、勇吉と花火だけが救いだと思えた。




 いつまでもこんな店にいるのは自分のためにならないと思いつつも、仲屋の仕打ちに耐えてしまっていた。

 ここが花火屋であること。勇吉がいること。


 このふたつが自分を仲屋に縛りつけていた。

 ここを出てしまうと、大事なものとも引き離されてしまう。


 だからまだ仲屋に居続けることを選んだ。

 その毎日に救いはない。それでも、川開きが始まれば、どんな仕事も放り出して花火を見に大川へ向かった。


 あとでどれほど怒られようとも、これだけは譲れなかった。支度に手間のかかる花火は次々と打ち出されることはなく、一度上がると次がなかなか続かない。抜け出して来ているのではすべてを見るのが難しい。

 それでも、たった一発でも見られた日には涙が零れた。


「たまやーっ」

「かぎやーっ」


 花火の見事さを称える見物人の声が聞こえてくる。

 懐かしさと共に、花火は胸を熱くしてくれる。


 喜びの少ない冷めた今の暮らしの中、いつか自分で作った花火を打ち上げたいという願いが渦巻いて、そのためには生きていなくてはと思えるのだから。


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