泰平のあかし〈十二〉
すべての打ち上げを終え、船は岸辺へ戻る。
鉄助や半平は忙しく立ち動いている中、百蔵だけはぼんやりと空を見上げていた。
もう花火は打ち上がらない。それでも空を見続ける。
そこにどんな思いを馳せているのか。
銀治はどう声をかけるべきかと迷った。
きっと、考えていることは自分と同じだろう。
「花火ってやつはどんなに腐心して作ったところで瞬く間に消えちまう。そのくせ、いい花火を見たやつらはどうしたって忘れねぇ。鮮やかに焼きついて、何年経っても他の花火を見るごとに思い出す。あの日見た花火は見事だったなぁって。人の目はごまかせねぇ」
百蔵は、もごもごと返した。
そうですね、と言ったように思う。
百蔵の顔の皺に、目から零れた涙が染み込むようにして広がっている。
――女子の作った花火だから。
そんなふうに軽んじていられたうちはよかった。けれど、工場に入り仕事をする恒を見ているうちに空恐ろしさも感じたのではないのか。
もしかすると、あの娘には何かあるのではないかと。
口でどのように言ったところで、見事な花火を求める職人だからこそ、あの出来を否とは言えない。
人よりも器用なたちではなく、ひた向きに打ち込むことでやっと実を結んだ職人である百蔵には、年若い恒の才を受け入れがたかった。
――あんな花火を作りたかった。
美しい、少しの乱れもない花火を。
そのために生きてきた。
そんな気持ちは痛いほどわかる。
ただ、恒の花火が見事なのはそれだけの才を生まれ持ったからではない。
あの娘は己の命を削るようにして花火に魂を込める。ありったけの想いを花火に封じ込めるのだ。そのためには何ひとつ惜しむことをしない。
それだけの熱を傾けることができる恒だからこそ、あの花火は人を惹きつけた。
銀治もまた、己の未熟さを痛感している。
あの花火を自分の名で上げるなど、軽はずみにすることではなかった。あれは今の銀治には作れない。
ただし、そこでへこたれるようでは情けない。
恒に負けているようでは不甲斐ないと、それを張り合いにしなければ。
川を流れる船に乗った銀治は、橋から空を見上げている人々を見てふと、幼い頃に橋で花火を見たことを思い出した。
まだ花火師になる前のほんの子供の頃。橋の上から誰かと見た。
あれは吾妻橋だったか、両国橋だったか。
そう、人の群れに揉まれた小さな迷い子の手を握って見ていたのだったか。
あの時の花火は見事だった。鍵屋か玉屋のものだったのだろうか。屋号までは覚えていない。
それなのに、あの時何があって橋の上にいたのかは未だに覚えていた。
『――あんたは気味の悪い子だね』
物心ついた頃から亡者が見える銀治は、それを口に出すべきではないと気づくには幼すぎた。見えるものを口に出してそのつど母に伝え、挙句に疲れ果てたとばかりに言われたのがこの言葉だった。
柔らかな幼子の胸にこの言葉は深く刻まれ、少なからず傷ついていた。
母がいなくなってもそれは変わらなかった。
そんな子供に愛想を尽かして出ていったのだと考えてしまった息子に、父は自分が離縁したかったからだと言った。
誰のことも容易には見捨てぬ父であると知っているからこそ、きっと優しい嘘だ。
そんな父も川開きの時は忙しく、幼い銀治にばかり構っていられなかった。
その年の川開きは母と来た最後だった。母は手も繋いでくれず、銀治ははぐれた。別にいなくなってもいいと言われたような気がしていた。
それでも、花火を見ている時は全部忘れて見入っていた。ただ花火を見ていたら、迷子らしき女の子が近くにいて、自分と同じだと思った。
その子は銀治よりももっと小さく、人に押されれば橋から転げ落ちてしまう。だから手を差し出した。
「ほら、危ないぞ」
すると、その小さな子はなんの躊躇いもなく銀治の手を握り返してきたのだった。
気味が悪いと言われた銀治の手を。
それはあたたかい手だった。
二人、手を繋いで花火を見た。
迷子の子は気づけば泣いていて、母親とはぐれた不安や大きな音に驚いたのかのどちらだっただろう。花火が終わると母親が慌てて迎えに来て別れた。
その後、銀治は自力で家に戻り、そこにいた母と顔を合わせたが、勝手に動くなと叱られただけだった。
そんな他愛のない出来事を何故今頃になって思い出したのかは知らない。
あの子も、あの日見た花火を覚えているだろうか。




