泰平のあかし〈十一〉
「東西東西――」
さあ、始まった。
花火師たちが命を賭けて挑む夜が。
この時ばかりは銀治も、水面から突き出す亡者の腕になど気を取られている場合ではなかった。ただ一心に、花火を打ち上げることだけを考える。
ドォン、と轟音を立て、いくつかの花火屋の花火が順に打ち上げられていく。
その音は水面を、船を揺らし、川風が運ぶ火薬の臭いが鼻をかすめる。ひりひりとした熱気、見物客の歓声、野次。
瞬く間に消える赤い火の花。そのひとつひとつをつぶさに見る。
目玉である鍵屋の花火は、やはり同じ花火師として見惚れてしまうような出来だ。
しかし、まだできる。もっと上を目指せる。そう思って挑むしかない。
「次、うちです」
半平がささやくように言った。皆でうなずき合う。
最初の花火は恒のものではない。百蔵の花火だ。
熟練の職人である百蔵を敬い、金屋では真っ先に数ある中から星を選ばせる。おかしなものを作るはずがない。
長年花火と向き合い年を重ねた。それだけの技は身についている。
打ち上げにも慣れたもので、動きには躊躇いがない。
火薬が爆ぜ、船が大きく揺れる。船縁につかまりながら空を見上げた。
空に咲く赤い花は欠けもなく、喝采を浴びた。
ただし、その余韻に浸る間もなく、次に備えなくてはならない。
その間に続いて仲屋の花火が上がった。
右下の星が欠けていた。
――仲屋がよりによって何故、いくつかある花火の中から恒の花火を選んだのかと思ったが、もしかするとあの汚い字のせいだったのかもしれない。共にいた仲屋の連中が恒の手を知っていてもおかしなことではない。
研鑽を怠り、盗むことで補おうとする。虚しいものだ。
そんな連中のことはこの際いい。
あと少しで恒の花火の出番となる。
間違いのないよう、何度も手順を頭の中で繰り返して待った。
角太郎は口上が金屋の名を口にするたびに姿勢を正しているのだと思われる。恒の花火は、金屋にとって今日最後の一発だ。
最後の最後まで百蔵は渋っている。花火が上がるたびに照らされる横顔にその苦悩が滲んでいた。
――女子の作った花火だから認められないと。
そう感じる心をいけないとは言えない。ただしそれは本心だろうかと思う時がある。
「百蔵、悪ぃが後には引けねぇんだ」
銀治が言うと、百蔵は垂れたまぶたを精いっぱい見開き、小さく息をついた。
「これより打ち上げられまするのは、金屋銀治の〈引先紅菊〉にござい――」
さあ、ついにこの時が来た。
間違いなく、まっすぐに夜空へと飛ぶように。
祈るような気持ちで、花火の竜頭(輪になった紐)に紐を通し、火薬の入った打ち上げ筒に下ろしていく。
初めて自分が作った花火を上げた時以上に気が張っているかもしれない。
種火によって筒の中で花火玉が爆ぜ、船が揺さぶられる。その轟音で耳が痛い。
熱風が頬を叩き、煙が肌に触れた。
そうして急いで顔を上げ、船から見た花火は――。
パァン、と小気味よい音を立てて空で弾けた。
玉の外側に並べた親星の光芒が、空に絵を描くように広がる。
どこにも星の抜けはなく、それは目を疑うほどに整った形をしていた。
どれほど丹精込めて作ったところで、花火というものはひとつひとつが手作業で、人が作るものだ。
組み込まれる火薬の星も、型に嵌めたようにまったく同じものは作れない。それが、何十という数の星をあそこまでそろえて詰め、一切の歪みが出ないように皮を貼り合わせ、爆ぜた時にどちらの方にもまったく同じように飛ぶように作らねば、あんなに丸い菊の花は咲かない。
つまりが、あれは花火師たちがこぞって作ろうとする美しさだった。
その花火が完全に消えるまで、どんな声も上がらなかった。
ただ、皆がその花火を間違いなくずっと、消え失せるのを惜しむように見上げていた。
あまりにも綺麗で、あれは銀治が追い求める〈いい花火〉そのものだったと言ってもいい。
そろった消え口の見事なこと――。
作った恒でさえ、二度と同じものは作れない気がする。それほどの出来だった。
あの花火を見て胸が震えたと言ったら、恒は調子に乗るだろうか。
恒の花火が消えた夜空を、誰もが名残を惜しむかのように見つめていた。
そうして、我に返った見物客たちが騒ぎ立てる。
その喝采はいつまでも、次の花火を告げる口上の邪魔をするようだった。
えーと、花火師が自分で上げた花火を見られるかというと、ちょっと難しいんですよね。
でも根性で見たということで勘弁してください(おい)




