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一刻花 ~弘化江戸火話~  作者: 五十鈴 りく
【肆】泰平のあかし

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泰平のあかし〈十〉

 そうして待ち構えていれば、風呂敷包みを抱えた男がようやく現れた。


 丸い花火玉は懐に入れるとかえって目立つ。

 そのせいか包んで隠しているが、花火には火薬が詰まっているのだから、扱いは慎重でなくてはならない。赤ん坊を抱えるかのように大事に持っている。あれは、下手をすると自分も危険な目に遭う代物なのだ。


 銀治はすかさずその男に駆け寄った。


「おいっ」


 男は銀治と同じくらいか、それよりも背の低い小男だ。

 ひっ、と小さく声を上げた。


「その包みはなんだ?」

「な、何って、別になんだっていいだろっ」

「ああ。下手くそな字で俺の名前が書かれた花火玉じゃなけりゃなんだっていい。見せてみろ」


 銀治が素早く伸ばした手を、小男はさっと躱した。この素早さは掏摸(すり)かもしれない。

 舌打ちし、それでも銀治は再度小男につかみかかる。しかし、小男は巧みに銀治の手を振り払った。


「この――しつけぇなっ」

「つべこべ言ってんじゃねぇっ」


 銀治の怒鳴り声に周囲の目が向く。こちらにはゆとりがまったくないのだ。 

 小男はあまり人目につくと困るのだろう。後ろへ向けて跳ぶと、背を向けて逃げ出した。


「待ちやがれっ」


 そう言われて待つ盗人(ぬすっと)がいないことくらいわかっている。こんなに熱くなったことがこれまであっただろうかというほどの怒りが声になって飛び出したのだ。


 その小男を追う時、仲屋吉兵衛が銀治の方を見て、忌々しげに顔をしかめていたのが見えた。


「若っ、気をつけてくださいっ」


 半平が少し遅れてついてくるが、銀治の方が速かった。ただし、小男は韋駄天(いだてん)かというほど足が速い。場数を踏んで鍛えられているようだ。


 差は縮まるどころか開いてしまう。岸辺から引き離され、暖簾の並ぶ通りへ移った。このままでは巻かれてしまう。

 銀治は道の先にあった天水桶をひとつつかみ、小男の足元へ向けて投げつけた。


「うあっ」


 桶が足に絡まり、間抜けな声を上げて小男は転んだ。ただし、手に持っていた包みを放り投げて。

 この時、銀治の寿命はかなり縮んだのではないかと後になって思う。

 必死で駆け寄り、包みに手を伸ばした。


 包みが飛んだ先には、日暮れに灯された行燈(あんどん)があったのだ。花火は火薬だから、火がつけば爆ぜる。

 それでも、命を賭けてやると言ったのは伊達ではない。


 本気で命を張っていいと思ったのだ。

 それほどまでに恒の花火を見てみたいと自分自身が渇望していた。


 あれほどの熱意を持って作られる代物が夜空にどのような花を咲かせるのかを見届けたい。知りたい。

 それは花火師として当然の欲だろう。

 この花火は何があってもこんなところで無駄になどできない。


「若っ」


 半平の悲鳴に近いような声だけが聞こえた。それ以外の音は置き去りになった。

 目の前の出来事がゆっくりと通り過ぎていくようなおかしな感じだった。必死で伸ばした指先が、すんでのところで風呂敷の端に届く。二本の指にすべての力を籠め、花火玉を引き寄せた。その包みをどうにか抱き込み、砂に(まみ)れて地べたに転がる。


 あちこち擦り剥いていても痛いとは思わなかった。はあ、はあ、と息が乱れる。

 それでも、ただここにあるものが無事であればいい。


 銀治は震える手で風呂敷包みを解いた。そこから出てきたのは、拙い字で書かれた銀治の名だ。

 これは恒の花火で間違いない。


 ほっとした半面、どっと冷や汗も出た。心の臓がまだ荒れ狂っている。それは一部始終を見ていた半平も同じだったのだろう。


「若、無茶しますねぇ」


 追いついた半平が情けない顔でぼやいた。盗人はすでに駆け去っている。

 捕まえなくてもいい。仲屋の名を吐かせたところで、とぼけられてはどうにもならないのもわかっている。

 花火さえ無事なら、今はもういい。


「戻るぞ」

「えっ――へ、へいっ」


 すぐさま起き上がり、銀治は花火玉を抱えて来た道を戻った。

 打ち上げの支度がまだだ。休んでいては間に合わない。

 もうひと踏ん張り、気概を見せろと己の胸を叩いた。




 戻ると、迎えてくれた治兵衛が岸辺で大きくうなずいた。

 銀治が取り戻すと信じ、店まで代わりの花火を取りに行かせず打ち上げの支度を急がせたのだとわかった。


「花火なら無事だ。ここにある」


 銀治の手中にある玉を見て、治兵衛は少しも慌てることなく鷹揚に笑った。


「上出来だ。さあ、行ってきな。金屋の花火がどんなもんだか見せてやれ」

「へいっ」


 皆で返事をし、船は宵の空の下で漕ぎ出す。

 雇いの船頭が漕ぎ、他の船とぶつからないように進んでいく。川に浮かぶ、あのたくさんの切妻屋根の船のどれかで角太郎が待っているのだろう。


 それから、恒も自分の花火が上がるのを待ち構えているはずだ。

 川開きも終わりかけであり、空を賑わす花火も残り僅かだ。


 銀治は火の粉から身を守るため、手ぬぐいを被って結び口をぎゅっと締めた。


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