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一刻花 ~弘化江戸火話~  作者: 五十鈴 りく
【肆】泰平のあかし

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泰平のあかし〈九〉

「てめぇ、どこ見てやがるっ」


 騒がしい声に振り向くと、半平が荒っぽい男たちに絡まれていた。どこの(たな)の者だかわかるようなものは身に着けていない。けれど、花火の打ち上げ支度の中にいるのなら、この男たちも花火師ではあるのだろう。


 そもそも、命懸けで花火を上げる花火師は気弱なたちではない。むしろ鉄火肌(てっかはだ)の喧嘩っ早い男が多いのだ。

 仕方なく銀治が近づいていくと、半平はほっとしたようだった。鉄助も来て、男たちは軽く舌打ちをする。


「どうした?」


 半平に尋ねると、眉を下げながらかぶりを振った。


「どうもこうも、向こうからぶつかって――」

「なんだとこの野郎っ」


 胴間声に半平は身を竦めた。男たちは荒っぽく振舞っているが、どう見ても小物だった。

 とはいえ、川開きの間に揉め事を起こすと面倒だ。どうしたものかと嘆息すると、治兵衛の声が横から割って入った。


「うちのがどうかしたのかい? 打ち上げ前だ。花火師としちゃあ血も(たぎ)るだろうがよ、ここはひとつ許してやっちゃくれねぇか?」


 下手(したて)に出ているようでいて、有無を言わせぬ重たさがある。低く、体に染みいる声だ。

 男たちは互いに顔を見合わせ、小声で何か相談してからこちらに向き直った。


「まあ、いいだろ。次から気をつけなっ」


 それだけ吐き捨てていった。暇な連中だなと銀治は思っただけだが、納得がいかないのは半平だろう。


「なんだあれっ」


 苛立ったように足を踏み慣らすが、鉄助が肩を叩いて宥めた。


「落ち着け。心を乱すといい仕事ができなくなるぞ」

「へい、わかっておりやすっ」


 そう言いつつも、半平は腹の虫が治まらないようだった。

 ふと、風が知らせてくれたかのように、何か嫌なものを感じた。銀治はとっさに振り返る。


 そうして、そこで花火を入れてある箱の口が開いていることに気づいた。はっとして駆け寄り、中身を確かめると花火玉の数が減っていた。――ひとつ足りない。

 足りない花火は一番上に載っていた三寸玉だった。


「どうした、銀治?」


 治兵衛が背中から問いかけてくる。銀治は自分でもいつになく焦っているのを認めた。


「花火が――ひとつ足りねぇ」

「えぇっ」


 半平も愕然として声を上げる。

 鉄助も百蔵も、誰もが険しい顔になって当然だ。


「誰の仕業でしょう?」

「わからねぇが、今の騒ぎに気を取られていた隙にだ。あいつら、盗人の仲間だったのかもしれねぇ」

「盗られたのはどの花火で?」


 百蔵が箱を覗いて確かめる。


「ああ、お恒の――」


 そうして、ほっとしたように見えた。百蔵は正直だ。


「店に戻れば代わりになる花火はまだありやす」


 何かがあって花火玉が使えなくなることにも備えて余分には作ってある。

 けれど、そうではない。あの花火は特別なものなのだから。

 銀治は百蔵に答えるでもなく駆け出した。背中に治兵衛の声がかかったけれど、その続きは聞かなかった。


 込み合った岸辺で、先ほど半平に絡んだ男たちを探す。手掛かりはそれくらいだ。

 心の臓がぎりぎりと痛い。


 あそこに詰まっているのは、角太郎の想いと恒の全身全霊をかけた仕事だ。


 角太郎の千鶴へ向けた想いと、作り手である恒の想いと銀治の想い。それらが空で花咲くはずなのだ。

 これでは誰にも顔向けできない。


「くそっ」


 悪態をつきながら人の間をすり抜けていく。そうしたら、半平が追いついてきた。


「若っ。あっしも探しやすっ」

「お前はいいから打ち上げの支度をしな」

「で、でもっ」


 これが金屋に対する嫌がらせなら、考えられるのは仲屋だ。

 恒が花火を作っているとは思わないかもしれないが、金屋の評判を落としたい気持ちはあるかもしれない。


 金屋が窮地に立たされたからといって、恒が自ら仲屋に戻るということはないはずだが。それでも恒を抱えるのが他の花火屋であってはならないとでも言いたげに。


 銀治は空を見上げた。徐々に日は傾いて打ち上げの時は迫りくる。

 闇雲に探すのではもう間に合わないかもしれない。銀治は一度足を止め、息を整えた。そして――。


 岸辺の、仲屋の船へと近づいていく。そこには懐手をした男が立って花火師たちに指示を出していた。

 仲屋吉兵衛(きちべえ)だ。

 近くまで来た銀治に気づくと、やや驚いたふうに目を(しばたた)かせたが、すぐに取り繕う。


「おや、金屋の若さんだね。うちに何か? もしかして、お恒のことかね?」


 探るようにして言葉を重ねる。吉兵衛の後ろにいた花火師たちが一斉に銀治に目を向けた。人数だけは多い。

 銀治のそばにいた半平が臆している。それでも、銀治はしっかりと踏ん張り、吉兵衛から目を逸らさなかった。


「お恒のことじゃあありやせん。あれは自分がいたいところにいるだけだ。それより、うちのもんに絡んできた男を探しておりやす。何かご存じじゃあねぇかと」


 気持ちは焦るが、ゆっくりと、腹の底で煮え滾る怒りを抑えながら言った。

 吉兵衛は一度目を見開き、それからゆっくりと細めた。面白がるような、嫌な目だ。


「さあねぇ。どんな男だろう? どうしてあたしに聞くんだい?」

「前にうちに乗り込んできたのはそちらさんでしょう。何かご存じかと思いやして」


 ざわ、と仲屋の花火師たちがざわめく。それを吉兵衛が制した。


「構うな。お前たちは支度をするんだ」


 それだけ言い放つと、吉兵衛は再び銀治に向き直る。表情からは何も読み取れない。


「お恒は自分の父親の話をすることがあるかい?」

「滅多にしやせん。それが何か?」

「そうかい。あの子の父親はね、大した花火師だったんだよ。あたしもね、あんな花火が作りたい」


 笑っている。けれど、亡者よりもよほど濁った目だと思った。

 この男が求めているのは、見事な花火ではない。

 見事な花火がもたらす名声だ。そのためにはなんだってする。

 どこまでも相容れないと肌で感じた。


「――お忙しいところ、邪魔をしやした」


 銀治はそう言って軽く頭を下げ、そこから離れる。半平が戸惑いながらついてきた。


「若、なんだってあんな正面から仲屋にぶつかったんですかっ」

「いや、うちの花火を盗むように言ったのが仲屋なら、それを受け取りたいはずだ。使い道があるんだ、捨てやしねぇよ」


 銀治がこの辺りをうろついていたら、盗人も引き渡せないと考えてみたのだ。そうすると、盗人は花火玉を持ってうろつくことになる。仲屋の船の辺りを。

 この読みが外れていたら、恒と角太郎に土下座するしかない。


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