泰平のあかし〈八〉
銀治は、この花火を仕上げる恒の様子を毎日見ていた。
堂々と正面に立っていても、恒はこちらに見向きもせず花火しか見ていなかった。ただまっすぐに、手元にだけ集中していたのだ。
ああなると、きっと物音も何も聞こえていなかった。
花火と向き合う時、恒は驚くほどの熱中ぶりを見せる。息も忘れているのではないかと思ってしまう。
それほど真摯に向き合い、仕上げた花火だ。角太郎と千鶴のことがなかったとしても、花火に真剣である姿勢は変わらないのかもしれない。
こう言いたくはないが、恒の目の確かさは自分以上かもしれないとも感じる。寸分の違いなくそろった星を見極め、均一に皮を貼る。
娘がこれだとするなら、恒の父親もきっと見事な花火を作ったのだろう。恒の父親の花火も見てみたかったものだ。
覚えてはいないけれど、もしかするとすでにどこかで目にしていたのかもしれない。
「若、よろしくお願いします」
そう言って差し出された花火玉を銀治は受け取った。
この玉がどんなふうに花咲くのか、角太郎以上に銀治が見たかった。
どう言えばいいのか、胸の奥に沸々と熱が湧いてくる。
花火の打ち上げは日暮れからだ。ただし、しっぽりと夜が更けてからはどんな花火も上げない。
月と星が光る時に夜空を騒がせるのは野暮だと江戸っ子は言う。
銀治は大川の岸辺で皆と船に花火道具を積み込んだ。
打ち上げのための火薬、竹の箍を嵌めた木製の打ち上げ筒、花火玉――。
大事な道具の手入れは怠っていない。特に打ち上げ筒に綻びなどあってはならないのだ。前もってしっかりと確かめてある。
小さな頃は、火薬を使うのに木の筒では燃えてしまわないのかと疑問に思っていた。
けれど、花火師になって打ち上げに加わってみると、花火というものは空に向けて飛ばすので、熱は筒に留まらずに上へ抜けていく。だからこれくらいで燃えたりしないのだとわかった。
とはいえ、筒の中で花火玉が破裂してしまうとそうも言っていられない。事実、治兵衛の怪我も花火の暴発なのだから。
とにかく、いつでも細心の注意を払って備える。
それでも、まったく何もないとは限らない。これは言い出したらきりのないことだ。
治兵衛は打ち上げには加わらないが、支度する間は不備がないか見守ってくれている。頑固な百蔵も、主である治兵衛の言うことだけは素直に受け入れる。
この段階になってもまだ百蔵は、恒の花火を上げることを渋っているようだった。
「若、本当にその花火を上げるんで?」
恒の手で書かれた墨書きは、お世辞にも上手い手ではなかった。――読めないほどではないけれど。
この字の拙さが恒の年若さの表れでもあって、百蔵は何度見ても顔をしかめている。
「ずっとそう言っているだろうが。下手なもんだったら、その時はお恒にそう言ってやればいい」
「それじゃあ遅いんです。下手な花火を打ち上げた後じゃあ、これまでのあっしらの仕事が台無しになっちまいやす」
百蔵が言うこともわからなくはない。長年一緒に店を盛り立てて来た職人なのだ。蔑ろにしたいわけではないが、銀治はどうしてもこの花火を上げなくてはならない。
どう言えば百蔵は納得するのか。どう言っても納得しないというのが正しい。
だから銀治も強くは言えなかった。そうしたら、治兵衛が後ろから話に割って入った。
「まあ、許したのはあたしだ。時に花火師には遊び心も要るだろうよ」
そう言ってくっくと笑っている。百蔵は口の中でもごもごと何かを言っただけでそれ以上は何も言わなかった。
本来、この百蔵のような考えが多くて、治兵衛の方が変わり者なのだ。遊び心とは言うけれど、どうして治兵衛はこうもあっさり恒に花火を作らせたのだろう。
そう考えたのがわかったのか、治兵衛は銀治にだけ聞こえる声でぽつりと言った。
「かなり前の話なんだがな、鍵屋には後の玉屋になった花火師がいた」
それは誰もが知っている。
鍵屋弥兵衛と玉屋市兵衛の名を知らぬ花火師はいない。
ただし、その玉屋は失火で江戸所払いとなったのだ。
「玉屋市兵衛はそりゃあ見事な花火師だったが、そもそもが鍵屋の花火師は粒ぞろいだったからな。見事な腕を持ちながらも玉屋市兵衛の陰になって埋もれちまう花火師もいた」
たった一人の特別な存在がいれば、その他の連中は目立たない。良い腕を持っていたとしても、それを売り込めなくては日の目を見ないなんてことはざらにある。
治兵衛は苦笑しながら続けた。
「鍵屋にいた一人の花火師のことが、どういうわけだか今になっても忘れられねぇんだ」
「なんて名の花火師だ?」
こんな話は初めて聞く。尋ねてみたけれど、治兵衛は首を振った。
「ずいぶん昔のことで、名前までは知らねぇ。目の下に黒子があったのだけ、なんとなく覚えているんだが」
目の下の黒子なんて、恒と同じだ。恒を見てその花火師を思い出したということなのだろう。
「恒の父親か?」
言いながらも、いくら親子でも黒子の位置まで似ないだろうと思う。治兵衛も笑っていた。
「さあな。もしかするとそうかもしれねぇな」
「玉屋市兵衛に敵うやつなんざいなかったが、その花火師は目が違った。ずっと、食い入るような目をして、いつかは玉屋すらも追い抜くんじゃねぇかっていうほどの熱を持っていやがった。どんな花火を上げたのか、肝心のそこがはっきりしねぇのにな」
恒の目もそれだ。
普段はただの小娘のくせに、花火を見た時だけ目の色を変える。一端の職人さながらの目をする。
治兵衛はふと、銀治に向けてにやりと笑う。
「お恒の花火、楽しみじゃねぇか。ちゃんと上げてやれよ」
銀治もまた、そんな父に笑い返すのだった。
「そうだな」
しかし、この時――。




