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一刻花 ~弘化江戸火話~  作者: 五十鈴 りく
【肆】泰平のあかし

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泰平のあかし〈七〉

 遅かれ早かれ来るのではないかと思っていたが、やはり仲屋の連中は金屋までやってきた。

 

 ひとつだけ意外だったとすれば、その中に勇吉がいたことだろう。恒は障子の向こう側からその様子を盗み見た。

 七五三太まで隠れる必要はないのに、一緒になって隣から覗いている。


「ここにお恒って娘がいるでしょう? なんの断りもなく仲屋を飛び出していったんですが、うちの(あるじ)が大層心配しておりやして、ちょいと出してくれやせんか?」


 勇吉なら恒を連れ戻せると踏んだらしい。

 きっと、連れ帰らないとひどく叱責されるのだ。どこかおどおどしている。


 とはいえ、帰る気などない。叱られないように、勇吉も花火師としていい仕事をしてくれと思うだけだ。

 店の板敷きの上で、鉄助と半平が神社の狛犬のように控えている。


「その心配とはどういったもので?」


 鉄助が涼やかに返す。鉄助はいつも落ち着いていて、時々町人っぽくないとさえ思う。

 勇吉もそう感じたのか、やや怯んだようだ。


「い、いや、仕事が嫌になったなら、仕事はしなくていいからうちに戻っておいでって。お恒はお世話になった人の大事な娘さんだから――」


 それを聞くなり、半平がハッと声を立てて笑った。


「大事な娘さんなぁ。飯食ってんのかと思うほど痩せてたけどなぁ」


 これではいつまで経っても恒が出てこないと思ったのか、後ろにいた二人が勇吉を押しのけて前に出た。昨日の二人だ。


「おい、いいから早くお恒を出せっ」


 声だけ無駄に大きい。恒と七五三太が障子の裏側で身を竦ませていると、張り上げているわけでもないのによく通る声がした。


「何を騒いでやがる」


 中から出て来たのではなく、外から来た。いつもの稲荷参りから銀治が帰ってきたのだ。

 背後から来た銀治に、仲屋の連中はたじろいだ。


「い、いえ、お恒ちゃんに会いに来たんです」


 勇吉はへらりと愛想笑いを浮かべる。その横顔を見て、変わっていないなと思った。つまり、少しも褒めていないのだが。

 それに対し、銀治は目を細めただけだった。明らかに小物だと判じられている。


「お前さん方、川開きだってのに随分余裕じゃねぇか。他にやることはねぇのかよ」


 どちらかといえば小柄で線の細い銀治だが、妙な迫力がある。

 肝が据わっているせいなのか、己の信念は絶対に曲げないという気迫が伝わる。そういうところが半端者には近寄り難い。


「その前に、お――」


 荒っぽい声を上げたところで、銀治は顔をしかめて振り払うだけだった。


「うるせぇ。さっさと帰りやがれ。俺たちはそちらさんほど暇じゃねぇんだ。遊び歩いて無様な花火なんざ上げた日にゃ、花火師の名折れだ。女の尻を追い回すほど手が余ってやがる仲屋の花火は、さぞ立派なんだろうな?」


 綺麗な顔をして言うことがきつい。けれど、もっと言ってやってほしいと思った。

 カン、カン、と音を立てて下駄を脱ぐ。もう相手にしてやるつもりもないらしい。


 銀治が入ってきて障子を開けたから、七五三太と一緒に逃げたけれど、そんな恒の様子を見ても銀治は涼しい顔をして横を通り過ぎていくだけだった。

 別に恒を庇ってやったというのではなく、思ったことを口に出してきただけの話なのかもしれない。仕事の邪魔をするなと。


 勇吉たちはすごすごと去っていった。結局のところ、勇吉たちは下っ端なのである。

 ほっとした半面、嫌がらせをされないといいと心配にもなった。




 そして、川開きが始まってから日が流れていく。

 恒の作った花火がしっかりと乾き、上げられるようになるまでの日数はぎりぎりだった。

 もう手をかけるところはなく、乾けばいいだけなのだが。


 夏の盛りよりは暑さも落ち着きつつある。

 恒はこの花火玉のことだけを考えて毎日を過ごした。

 これを上げると決まっている前日に角太郎が店にやってきた。


「お恒ちゃんが作ってくれた花火は屋根船に乗って見ることにした。しっかり、目に焼きつけてくるぜ」


 川開きの時分の屋根船など、そう容易く押さえられるものではない。相当な無理を言ってねじ込んだと思われる。


 これを言った時の角太郎は、明るさをほんの少し取り戻しつつも初対面の頃とは別人のように感じられた。

 随分と痩せたし、やはり苦しんだのだろう。けれど、それでも前は向いている。その様子を見て、銀治もきっと安堵しているのだろう。


「あい。どうかしっかりと見ていてください」


 大げさな物言いをするなと言われそうだけれど、残りの人生のすべてをかけるつもりで作った。だから、角太郎には恒のこの仕事を目に焼きつけておいてほしい。

 もしかするとこれが恒の最後の花火かもしれないのだから。


 花火玉の皮に書いた墨書きに、恒は自分の名を刻めなかった。恒が花火を上げるわけではないからだ。銀治の名を借り、(したた)めた。

 ここに堂々と自分の名を記せるようになる日は来るだろうか。


 しばらく、花火玉を抱えて撫でていた。

 その間に、土間に出てきた銀治が小粋な仕草で屋号を染め抜いた印半纏を着込んだ。花火師は、火がついた際にはまたさっと脱ぎ捨てられるように、印半纏に帯をしない。その着崩しがなんとも鯔背(いなせ)なのだ。


 恒がいつまでも花火玉を抱えていると、銀治が顔をしかめて手を伸ばした。


「ほら、早く寄越せ」


 手放すのが惜しいというのではない。やっぱり自分で上げたいとだだをこねるのでもない。

 ただ、ほんの少し不安になりもしたのだ。恒は花火玉をぎゅっと抱きしめる。


「――若は、この花火玉を打ち上げるのに不安はないんですか?」

「なんだ今更」


 怖い顔で言われた。けれど、この怖い顔にも見慣れてしまった。


「あたしが久しぶりに作った花火です。あたしが上げるなら、何があっても自分のせいでいいです。でも、これを預けて若に何かあったらどうしたらいいかって、今になって、少ぅし考えて――」


 もし空へ昇る前に爆ぜた時、銀治まで治兵衛のようになってしまうかもしれない。それがふと頭をよぎった。

 そうしたら、銀治に吐き捨てられた。


「お前は最初から俺が打ち上げるってわかってて、その花火を作ったんじゃねぇのかよ」

「そうですけど」

「だったら中途半端な仕事なんざしてねぇはずだ。俺が命を預けてやるんだから、お前も腹をくくれ」


 厳しい目の奥にあるのは恒への期待だろうか。

 銀治がそこまで信じてくれるのなら、恒も己の技を、父の教えを信じなくては。不安など、あってはならない。


 覚悟を決め、花火玉を銀治に向けて差し出した。


「若、よろしくお願いします」


 銀治が受け取り、花火玉が手を離れた時、恒は深々と頭を下げた。この時、銀治がどんな表情でいたのかは見えない。


「わかってら」


 短く言われた。

 けれど不思議なのは、たったそれだけだというのにすっかり安心できたことだろうか。


 この後、恒にできることは夜空を見上げることだけだ。


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